ドゥオーモ、広場、街。

最初に訪れたイタリアの都市はミラノだった。ミラノのドゥオーモはその規模において世界最大級である。恥ずかしいことに、あのミラノ大聖堂のことをドゥオーモと呼ぶのだと思っていた。しかし、それも束の間、続いてヴェネツィアを、フィレンツェを訪れるうちに、どこの街にもドゥオーモがあることに気づかされた。

ドゥオーモ(Duomo)はイタリア語で、イタリア各地の街にあって代表的な教会や大聖堂のことを指す。ミラノの他に、これまでぼくが訪れたドゥオーモを指折り数えてみたら、アレッツォ、アッシジ、ボローニャ、オルヴィエート、フィエーゾレ、フェッラーラ、フィレンツェ、レッチェ、ルッカ、ペルージャ、ピサ、サン・ジミニャーノ、シエナ、ヴェネツィア、ヴェローナ、ローマと16もあった。時代は異なるので、建築も初期から晩期のゴシック様式やルネサンス様式などバリエーションに富んでいる。
花の大聖堂+オルヴィエート.jpgのサムネール画像最も気に入っているドゥオーモは、花の大聖堂と呼ばれるフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレだ(写真左)。何度見ても見飽きない。下から見上げたり、立ち位置を変えたり、隣のジョットの鐘楼から眺めてみたり。そのつど表情が変わる。華麗ナンバーワンには、ローマから列車で約1時間、良質の白ワインで有名なオルヴィエートのドゥオーモを指名したい(写真右)。14世紀に建てられた大聖堂で優雅なゴシック様式が特徴だ。

都市について詳しいわけではないが、困った時のレオナルド・ダ・ヴィンチ頼みで少し書いてみたい。ボローニャの地方自治体の一つに「イーモラ(Imola)」という街がある。実は、万能の天才ダ・ヴィンチはこの街を踏査して市街地の設計図を書いている。街を機械的構造に見立てて芸術と技術の調和を具現化しようとしたのである。残されている設計図は曼荼羅絵図のように見えなくもない。
ダ・ヴィンチが生きた1516世紀のルネサンス時代、それまでの中世の都市とは違って、人が暮らす視点から都市を構築しようとする試みが始まった。従来の構図は〈ミクロコスモス(人間)〉と〈マクロコスモス(宇宙)〉であり、あの名画モナリザもそういう見方ができなくもない。ダ・ヴィンチをはじめとする当時の都市デザイナーたちは、ミクロコスモスとマクロコスモスの両方を介在させる、またはつなぐ存在としての都市にまなざしを向けたのである。
それが中間に介在するという意味の〈メディオコスモス〉だ。ずばり都市のことなのだが、小概念で言えば、広場であり教会であった(イタリアの街の主たる広場には必ず教会がある)。ドゥオーモと呼ばれる大聖堂は尖塔が空へと高く伸びる。天へと届けとばかりに伸びて、ミクロ宇宙をマクロ宇宙へとつなごうとしたのである。暗鬱とした中世時代の空気を払拭すべく、都市には古典的なギリシア・ローマ時代のデザインが駆使された。かつての人間味ある精神の模倣であり再生であった。街と広場とドゥオーモをこんなふうに見ていくと、再生であるルネサンスの意味もじんわりとわかるような気がする。

石畳を歩くように

年末年始、別に慌ただしくもなかったが、気がつけば、流れに棹差すように時が過ぎていた。昨年の11月中下旬にはパリにいたのに、それが何だかはるか過去の出来事のように思えてくる。写真もろくに整理しないまま、ゆっくりと振り返る暇もなく今日に至った。

かと言って、別に重苦しい日々を送っていたわけでもない。ただ、いつになく、少々苛立つ場面に出くわす。何に対してかはよくわからないが、もどかしい。駅の階段を二段ずつ上がろうとしている割には足が上がっていないという感じ。

時間にも「ゆったり時間」と「急かされる時間」がある。おもしろいことに、前者の時ほどいい仕事が手際よくできる。後者のリズムに入ると「あれもこれも感覚」が襲ってきて、事が前に進まない。

こんな時、地を踏みしめるようにゆったりと「仕事の中を歩く」のがいい。靴底から地面の凹凸が伝わってくるように。たとえばそれが石畳なら、そこから街のメッセージを汲み取るように。歩いてこそ伝わってくるものがある。走ってばかりいては重要なものを見逃してしまう。と言うわけで、やり慣れた仕事、見慣れた光景や風情にもよく目配りして歩こうと思う。実際、昨日と一昨日はそうして街歩きでくつろいだ。

Brussels.JPG
2011年11月21日。昼前から黄昏時までブリュッセルの街をくまなく歩き続けた。車や電車やバスでは感知できない「地場」を足の裏で時々思い出す。