旅先のリスクマネジメント(6) トイレ問題

学生の頃からの個人的な理由があって、ぼくの旅先はほぼヨーロッパ、とりわけイタリアとフランスに集中している。たわいもない理由なのでここで公にするほどでもない。何かの機会があればいつか書いてみるかもしれない。ともあれ、他の国へも少々旅はしている。イタリア語と英語はまずまずなので、語学が苦手な人に比べれば危機回避の術は少しは長けているはず。それでも、独学で少し齧ったフランス語、ドイツ語、スペイン語のほうは、絶対的なリスニング量が少ないから、たかが知れている。出掛ける直前または現地に行ってから、使う可能性の高そうな表現のみを集中的に覚えて凌いでいるのが実情だ。

旅行会話集の類は場面を幅広く網羅しているから、何もかも覚えようとしても無理である。挨拶と道や場所の尋ね方、それに料理の注文方法の3章だけを押さえておけばいい。買物好きにとっては数字の聴き取りはかなり難しいが、必須だろう。また、会う人のほとんどが初対面なので、「お元気ですか?」に出番はほとんどない。

ところで、語学はまったくダメという人でも、絶対に覚えておくべき必須表現が一つある。それは、「すみません、トイレはどこですか?」である。街中であろうとカフェやレストラン内であろうと、この言い回しの頻出機会はとてつもなく多い。
 
欧州の旅ではトイレ探しにかなりの時間とエネルギーを費やすことになる。ぼくは決して頻尿ではないが、あちらの連中に比べると日本人はトイレが近いような気がする。外出すると喉がよく渇くのは、湿度が低くて空気が乾燥しているせいかもしれない。ミネラルウォーターが安いから部屋にいてもよく飲むし、食事の折にも当たり前のようにワインと水を飲む。水分摂取は間違いなく増える。加えて、公衆便所が極端に少ない。モールやデパートでさっさと用を済ませるわけにもいかない。広い駅でもトイレの場所は一ヵ所にしかなかったりする。しかも、そのトイレの場所を探すのが一苦労なのである。探し当てたと思ったら、そこが有料トイレ。そう、だから「トイレはどこ?」とセットにして小銭をいつも携えておかねばならない。紙幣をくずすために売店で水を買って飲むと余計にトイレが近くなってしまう。
 
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有料トイレのレシート.jpgこの写真は50ユーロセントと手書きされた有料トイレの領収書である。スタンプで番号を押してあるが、単なる事務処理用であって、その番号のついた便器へ行けという意味ではない。入口で当番しているおじさんかおばさんにお金を先払いし、レシートを受け取って改札を通過する。駅に改札がないくせに、トイレにはちゃんと設けてある。こんな領収書をもらっても申告できるわけでもあるまいが、いつもの癖で財布に入れてしまう。半月も旅したら56枚はたまる。なお、男性よりも女性のトイレ代のほうが料金が高い場合もある。
 
急に尿意をもよおした。長時間探しているうちに漏らしそうになる……大いにありうる話である。こうなると、フランスならカフェに、イタリアならバールに行ってコーヒーを注文するしかない。現地の人は店のどこにトイレがあるか知っているから、店に入っても飲み物を注文せずにさっさと用を済まして出て行く。旅の異邦人はそういうわけにもいかない。我慢の限界であっても、エスプレッソを頼んでぐいっと一杯飲み干し、バリスタに「トイレはどこかな?」と聞く手順を踏まねばならない。
「そこ」とか一語で指を差されて「そこ」を目指しても、推測した「そこ」にトイレが見つからないことはよくある。隠れ家みたいになっていたりする。「突き当りの左に階段がある。そこを降りて正面だよ」などと説明されるのはありがたいが、語学オンチにはこれがまた大きな負荷になるだろう。やっと無事にトイレに入ったら、今度は鍵のかけ方がわからない、水を流すボタンの位置がわからないなどは当たり前。おまけに、怪しい先客がいないかの用心も欠かせない。天井から釣り下がっている紐などを下手に引っ張るとブザーが鳴るから要注意だ。
 
有料トイレ スイスフラン.jpg
イタリア語圏のスイスの街に行った時の話。言葉は困らなかったが、トイレで困った。外出中はめったにないことなのだが、その時は便意をもよおした。トイレの場所を聞いて駆け込んだ。係はいないが、ドアのノブの下に硬貨を入れて中に入る有料トイレだった。数字が書いてあるので、ユーロ硬貨を入れるが返却口に戻るばかりで、ドアは開いてくれない。ノックをしたが中はどうやら空いている。血迷った眼でよく見たら、ユーロではなくフランだった。そうか、イタリア語圏だけれど通貨はスイスフランなんだ……。
 
限界を感じながらも息せき切って両替カウンターへ走り込み、50ユーロ紙幣を差し出してフラン紙幣に替えた。その紙幣を握りしめて売店へ行き、キャンディか何かを買って小銭でお釣りを受け取った。再びトイレに戻り、震えの来ている指先をもどかしくも制御して硬貨をつまみ、投入口に狙いを定めて放り込んだ。ドアが開いた。まるで「開けごま」と祈る思いであった。スイスフランなど手元にあっても仕方がないから、乗り物と飲食に使いきった。手元に残ったのがこのコインである。帰国後しばらくは、このコインを見るたびに条件反射的に便意を催したものだ。

旅先のリスクマネジメント(3) さらに切符の話

今日はイタリアでの体験を書く。結論から言うと、大きなリスクにつながったわけでもなく、単に無知ゆえに起こった小さなエピソードばかりである。日本の懇切丁寧で過剰とも言える説明に慣れきってしまうと、この国での利用者への案内はつねに言葉足らずに思える。だが、「知らないのは本人の責任であって、説明を怠った側のせいではない」という姿勢が基本なのだろう。「自分のことは自分でやれ、わからなければ聞けばいい」という調子なのである。まさに「郷に入っては郷に従え」(いみじくも、この諺の本家はイタリアで、「ローマではローマ人のように生きよ」というラテン語に由来する)。

フィレンツェは人口35万人で、イタリアとしては大きい都市の部類に入るが、歴史地区は高密度でコンパクトだからどこへ行くにもたいてい歩ける。それでも、短時間であちこちへ移動したければ市内循環バスが便利だ。写真の切符はフィレンツェ滞在中に利用したバスの切符。時間内なら乗り降り放題の70分チケット一枚で4回分の回数券になっている。たとえばバスで15分の場所へ行き、そこで下車して20分ぶらぶらしたり見学したりして再乗車できる。

70分チケット.JPGバスでは乗車券のチェックはほとんどないから、時間制限があるものの、乗客はかなり大雑把に利用しているようである。もし時間オーバーに気づいて不安なら、次のバス停で降りればいい。その日、ぼくは、回数券ではなく一回限りの70分チケットでバスを利用していた。
とあるバス停でバス会社職員が乗り込んできた。めったにない検閲に遭遇してしまったのである。慌ててポケットの切符を取り出してチェックする。ドキッ! なんとパンチを入れてから70分どころか90分以上も過ぎているではないか。何が何でも次のバス停で降りねばならない。後方座席だったので、検閲の時間がかかることを祈った。祈りが通じた。不安の中の悪運とでも言うべきか、真ん中あたりにいた学生風の男性がチケットを持たずに乗っていた。彼は次のバス停で職員と一緒に降りる。目の飛び出るような罰金が言い渡されたはずである。
 
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トスカーナのある街へ宿泊地から日帰りで出掛けたことがある。観光客がいないわけではないが、小さな街である。各停か準急しか停まらない、列車の本数も少ない駅だったので、着いた時点で帰りの時刻をメモしておいた。中世の街並みを歩き、たしか店でピザを買って公園で食べた記憶がある。お目当ての列車が出る10分前に駅に行き、自動券売機に10ユーロか20ユーロ札を入れた。ところが、切符は発券されたが、お釣りが出て来ない。もう一枚、切符と同じサイズの紙がある。レシートだろうと思ってろくに見なかった。受け取るべきお釣りは運賃の34倍の金額だから、泣き寝入りするわけにもいかない。列車の時間も近づいていて焦った。
 
窓口へ向かったが、二つあるうちの一つしか開いていない。前には二人が並んでいる。イタリアでは駅員が他にいても、こちらに一瞥するだけで立ち上がってもう一つの窓口を開けることはめったにない。焦ったが、ようやく順番が回ってきた。釣銭が出ないことを伝えたら、小馬鹿にしたような顔をして両手の親指と人差し指で長方形を作り、「カードを出せ」と言う。カード? 何のことかとっさにピンと来なかった。あ、レシートみたいなあれか……。それを差し出した。お釣りが手渡される。そう、この駅の券売機では釣銭が出ずに、釣銭の金額を表示したカードが出てきて、それを窓口で換金する仕組みだったのである。
 
最後は斜塔で有名なピサでの話。フィレンツェからピサまでは列車なら1時間か1時間半で行ける。駅に着けば、そこから斜塔まではバスに乗る。あいにくの雨だったので足早に斜塔を見学して、その周辺だけを歩いてみた。小さな土産を少し買い、バールでエスプレッソを飲んだ。バスの本数はいくらでもあるから慌てる必要はなかった。
ところが、バス停へ行ったものの切符売場がわからない。イタリアではタバッキ(タバコ屋)でも切符を売っているが、店が見当たらない。道路の路肩に券売機のような機械を見つけたので小銭を入れた。券が出てきた。よく見れば、その券はパーキングの切符だった。ぼくは車に乗らないから、こういうことには疎いのである。バスの切符を買い直した。駐車券は今も手元にある。あれから7年。ピサに車を駐車しっぱなしの気分でいる。

思い出のスローフード

ベルガモ チーズ.jpgベルガモ プロシュート.jpgベルガモ アニョロッティ.jpgその時、たしかに時間はゆったりと流れていた。食事に満足したのは言うまでもなかったが、時間そのものが至福の味わいであった。

時は2006年、味覚の初秋に約2週間かけてフランス、イタリア、スイスに旅した。パリとミラノとヴェネツィアにそれぞれ4泊という旅程だった。ミラノに滞在した折り、かねてから訪れてみようと思っていたベルガモに出掛けた。列車で北東へ約1時間の街である。ここは二つのエリアに分かれている。駅周辺に広がる新市街地のバッサ(Bassa=低い)と、中世の面影を残すアルタ(Alta=高い)だ。日帰りなのでバッサは見送り、アルタを目指してケーブルカー駅へと急いだ。ここから標高336メートルの小高い丘の瀟洒な街が目的地である。

地産地消の名物スローフードをランチタイムに堪能しようという魂胆。その時間を稼ぐために足早に街を散策してみた。スローフードのための足早散策、ちょっと情けない思いだった。なにはともあれ、オペラ作曲家ガエターノ・ドニゼッティゆかりの資料館や塔や要塞跡などを見学した後、ベルガモ料理を看板に掲げるトラットリアに入った。ハウスワインの赤を頼み、数ある料理から10分以上時間をかけて三品を選ぶ。どれも一品千円弱と驚くほどリーズナブルだ。

一品目はここベルガモでしか食べられないチーズの盛り合わせ。あちこちでチーズの盛り合わせを食べてきたが、これだけの種類を一皿に盛ってくれる店はまずない。二品目もご当地名物のプロシュート(生ハム)とサラミの盛り合わせ。馬のコーネのような脂身のハムが珍しい。濃い赤身の薄切りは猪だ。三品目は、ひき肉やチーズなどを詰めたラヴィオリの一種で、アニョロッティという。

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これら三品のスローフードにたっぷり2時間はかけた。日本のランチタイムとしては考えられない間延びした時間。ちなみに“slow food”はイタリアで造語された英語。イタリア語では“cibo buono, pullito, e giusto”というコンセプトで、「うまくて、安全で、加減のよい食べ物」というニュアンスである。

ぼくたちがイタリア料理の常識だと信じ切っている「大飯」ではない。前菜、大量のパスタ、ボリュームたっぷりのメイン料理にデザートというコースなら時間がかかるのもわかる。しかし、これもすでに過去の話となった。最近では一品か二品だけを注文してじっくりと2時間以上かけて食べるのが多数派になりつつある。現在イタリアでもっとも大食しているのは日本人とドイツ人ツアー客ではないか。残念ながら、ドカ食いとスローフードは相容れない。大量ゆえに時間がかかってしまうのと、意識的に時間をかけるのとは根本が違うのだ。

スローフードは“slow hours”(のろまな時間)であり、ひいてはその一日を“slow day”(ゆっくり曜日)に、さらにはその週を“slow week”(ゆったり一週間)に、やがては生き方そのものを“slow life”にしてくれる。ベルガモの体験以来、ぼくの食習慣はどう変わったか。正直なところ、まだまだスローフードへの道は険しい。けれども、少しずつではあるが、毎回の食事に「時間」という名の、極上の一品をゆっくり賞味するよう心掛けるようになった。

《本記事は200867日に更新したブログを加筆修正したもの》

買いかぶられるホウレンソウ

ほうれん草.jpg『常識のウソ277』(ヴァルター・クレーマー/ゲッツ・トレンクラー共著)に、「ホウレンソウは特に鉄分豊富な食品?」という一文が載っている。そこには100グラム当たりの食品の鉄分含有量がミリグラムで示されていて、ゆでたホウレンソウは2.2(タマゴやパンとほぼ同じ)、生のホウレンソウが2.6(ソラマメや大豆とほぼ同じ)とある。アーモンド、レバーペースト、チョコレート、ピスタチオなどはホウレンソウの2倍~3.5倍の鉄分を含んでいる。

「ホウレンソウの鉄分含有量は他の食品と大差ない。もしポパイのエネルギー源が鉄分だとしたら、ホウレンソウより空き缶に食らいついたほうがいい」と著者は言う。懐かしくアニメの記憶を辿れば、ポパイは缶詰を開けた後、たしかくわえているパイプをストローみたいに操ってホウレンソウを飲み込んでいた。空き缶をしゃぶりなどしていない。
イタリアでホウレンソウ料理を注文すると、肉の付け合わせのような申し訳程度の量ではなく、一皿にしこたま盛られて出てくる。おひたしのように根元のほうにちょっと固さが残っているようなものではなくて、ゆるゆるに茹でて炒められた離乳食のような一品だ。フォークよりもスプーンですくうほうが食べやすいくらいのそれを、イタリア人は「たまらねぇ」という顔をしてむしゃむしゃ食べる。出されれば拒否する理由はないが、わざわざ注文してまでポパイになろうとは思わない。
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二十数年前、学生時代の友人であり、当時大手銀行に勤めていた男をゲストスピーカーとしてぼくの勉強会に迎えたことがある。そのとき初めて、口にはするが食べられない「ホウレンソウ」の存在を知った。口にするとは唱えるということで、これが「報連相」だった。今となってはすっかり人口に膾炙した「報告・連絡・相談」のことである。彼の話を聴きながら、なぜこんな当たり前のことを大企業ではわざわざスローガンにして定着させようとするのか解せなかった。組織内コミュニケーションがこんなことで良化するなどとは……今もにわかに信じがたい。
まず、組織にあって部下が上司に報告するのは当然だろう。英語に粋な言い回しがあって、“I report to Mr.X”と言えば、「X氏が私の上司であること」を暗に示す。さらに、上司の目の届かない所に出張していれば、これも当然のこととして連絡は取るものだ。できたからと言って特別に自慢するような”ミッション・インポッシブル”ではない。つまり、報告も連絡も組織の一員としては、水を飲んで空気を吸うのと同じように、生理的機能として身についてしかるべきだろう。「こんなことをホウレンソウに語呂合わせして浸透させているようでは、諸手を挙げて銀行員を信頼するわけにはいかないな」と思った次第である。
「ソウ」、つまり「相談」だけを徹底すればいい。ビジネス最前線では部下の知恵だけではいかんともしがたい難問が噴出する。経験者に解決策のヒントを仰ぐ相談は不可欠である。そして、相談こそが十分条件を満たすのではないか。ホウレンソウの徹底などと声高らかに謳い上げるところに、大組織のコミュニケーションのイロハの幼さを垣間見る。
自発的な必要に突き動かされるのではなく、スローガンを叩き込まれ義務としてやっているかぎりは、形だけの報告や連絡しかできないのである。ホウレンソウの鉄分含有量が案外だったように、報連相も期待するほど組織の栄養になっていない。食べるにせよ唱えるにせよ、ホウレンソウの買いかぶりには要注意。

ローマとラテン語のこと(上)

ローマに関する本.jpgのサムネール画像のサムネール画像《ローマのパッセジャータ》というシリーズでフェースブックに写真と小文を投稿している。ローマにはこれまで4回足を運んでいるが、最後の訪問からまもなく5年半。その時はアパートに一週間滞在して街をくまなく歩き、当てもなく同じ道を何度も行ったり来たりした。イタリア語ではこんなそぞろ歩きのことを「パッセジャータ(passegiata)」と呼ぶ。イタリア人にとっては夕暮れ時の日々の習慣だ。

 ところで、西洋絵画に刺激されて十代の頃によく絵を描き、ついでにルネサンスや古代ローマなどイタリアの歴史や美術や言語についてなまくらに独学したことがある。いろんなことを知ったが、とりわけ「すべての道はローマに通じる」や「永遠の都ローマ」などが言い得て妙であることがよくわかった。なにしろローマという街は古代からの「直系」であり、たとえ現代を語るにしてもどこかに歴史のエピソードがからんでくる。過去を切り離しては、たぶん今のローマは成り立たないのだろう。
 
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ローマに関する本を雑多に拾い読みすると、必ずと言っていいほど古代ローマの名言やラテン語に巡り合う。話が少しそれるが、カタカナで表記される外来語に対してぼくは寛容である。わが国では、明治時代から欧米の概念を強引に日本語に置き換え始めた(恋愛、概念、哲学、自由などの術語がそうである)。いま日本語と書いたが、実は、やまとことばへの置き換えではなく、ほとんどが漢語への翻訳だった。現在でも、外国固有のことばを無理に母語や漢語で言い換えてしまうと曲解や乖離が起こる。それなら、最初からカタカナ外来語のままにしておいてもいいとぼくは思うのだ。
 
仕事柄、マーケティング、コミュニケーション、コンセプトなどの用語をよく使うが、手を加えて日本語化することはない。ラテン語源のちょっとした知識を持ち合わせれば、これらのカタカナ語の本質を理解しながら地に足をつけて使うことができる。ぼくたちがふだん使っているカタカナ語の大部分はラテン語に起源をもつ。ギリシア由来のものも少なくないが、それらもラテン語を経由してヨーロッパ諸言語に広がった。だから、ラテン語の語源をちょっと齧っておくとおもしろい発見があったりする。
 
たとえば、英語のマーケット(market)は現代イタリア語ではmercatoであり、ラテン語mercatusにつながっている。「商品を持ち寄って売る」というのがマーケットの意味だったことがわかる。フランス語のマルシェ(marche)もここに由来する。なお、コミュニケーションは伝達というよりも「意味の共有」、コンセプトは別に小難しい用語ではなく、「おおまかな考えやアイデア」というのが原義である。
《「下」に続く》

ドゥオーモ。広場。街。

最初に訪れたイタリアの都市はミラノだった。ミラノのドゥオーモはその規模において世界最大級である。恥ずかしいことに、あのミラノ大聖堂のことをドゥオーモと呼ぶのだと思っていた。しかし、それも束の間、続いてヴェネツィアを、フィレンツェを訪れるうちに、どこの街にもドゥオーモがあることに気づかされた。

ドゥオーモ(Duomo)はイタリア語で、イタリア各地の街にあって代表的な教会や大聖堂のことを指す。ミラノの他に、これまでぼくが訪れたドゥオーモを指折り数えてみたら、アレッツォ、アッシジ、ボローニャ、オルヴィエート、フィエーゾレ、フェッラーラ、フィレンツェ、レッチェ、ルッカ、ペルージャ、ピサ、サン・ジミニャーノ、シエナ、ヴェネツィア、ヴェローナ、ローマと16もあった。時代は異なるので、建築も初期から晩期のゴシック様式やルネサンス様式などバリエーションに富んでいる。
花の大聖堂+オルヴィエート.jpgのサムネール画像最も気に入っているドゥオーモは、花の大聖堂と呼ばれるフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレだ(写真左)。何度見ても見飽きない。下から見上げたり、立ち位置を変えたり、隣のジョットの鐘楼から眺めてみたり。そのつど表情が変わる。華麗ナンバーワンには、ローマから列車で約1時間、良質の白ワインで有名なオルヴィエートのドゥオーモを指名したい(写真右)。14世紀に建てられた大聖堂で優雅なゴシック様式が特徴だ。
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都市について詳しいわけではないが、困った時のレオナルド・ダ・ヴィンチ頼みで少し書いてみたい。ボローニャの地方自治体の一つにイーモラ(Imola)という街がある。実は、万能の天才ダ・ヴィンチはこの街を踏査して市街地の設計図を書いている。街を機械的構造に見立てて芸術と技術の調和を具現化しようとしたのである。残されている設計図は曼荼羅絵図のように見えなくもない。
ダ・ヴィンチが生きた1516世紀のルネサンス時代、それまでの中世の都市とは違って、人が暮らす視点から都市を構築しようとする試みが始まった。従来の構図はミクロコスモス(人間)とマクロコスモス(宇宙)であり、あの名画モナリザもそういう見方ができなくもない。ダ・ヴィンチをはじめとする当時の都市デザイナーたちは、ミクロコスモスとマクロコスモスの両方を介在させる、またはつなぐ存在としての都市にまなざしを向けたのである。
それが中間に介在するという意味の「メディオコスモス」だ。ずばり都市のことなのだが、小概念で言えば、広場であり教会であった(イタリアの街の主たる広場には必ず教会がある)。ドゥオーモと呼ばれる大聖堂は尖塔が空へと高く伸びる。天へと届けとばかりに伸びて、ミクロ宇宙をマクロ宇宙へとつなごうとしたのである。暗鬱とした中世時代の空気を払拭すべく、都市には古典的なギリシア・ローマ時代のデザインが駆使された。かつての人間味ある精神の模倣であり再生であった。街と広場とドゥオーモをこんなふうに見ていくと、再生であるルネサンスの意味もじんわりとわかるような気がする。

三ヵ国同時体験スポット

ローマからフィレンツェ、ボローニャへと列車で巡る9泊の旅。その直前にウィーンに滞在していたので、ウィーンからローマへ飛んだ。時は20043月、あれから8年半が過ぎたが、今でも鮮明に覚えているシーンと体験がある。
三度目のローマはわずか二泊。前二回の旅で訪れた場所とは違う見所を、当時現地に住んでいた知人が車で巡ってくれた。まず、ジャニコロの丘から見渡すローマ市街地の光景に目を奪われた。しかし、ぼくがもっとも愉快がったのが、アヴェンティーノの丘に位置する「マルタ騎士団広場(Piazza dei Cavalieri di Marta)」でのひとときだった。何が愉快だったのか、写真を紹介すれば済むのだが、あいにく撮り収めていない。というわけで、文章で綴るしかない。
この広場の塀の向こうはマルタ騎士団団長の館。そこには植木が美しく刈り込まれた庭園がある。館はマルタ共和国に属し、治外法権域であるから入館はできない。だが、扉があり、その扉には覗き見してもいい鍵穴があるのだ。警備にあたる兵は鍵穴から館内を覗いても文句は言わない。
ぼくの立ったこの場所はローマ。つまりイタリア共和国。そして館のある場所はマルタ共和国。鍵穴に目を付けるようにして覗いてみた。庭園のずっと向こうに映し出された光景、それはサンピエトロ大聖堂のクーポラだった。サンピエトロ大聖堂はバチカン市国にそびえるカトリックの大本山だ。ということは……そう、ぼくの目線は「イタリア発マルタ経由バチカン着」と横断し、きわめて稀な三ヵ国同時体験をしてしまったのである。

広場も館も絵にしにくい題材だったが、ラフなスケッチと写真をもとに帰国後にペンと色鉛筆と水彩で描いてみた。それがこの一枚である。

Piazza dei Cavalieri di Marta-thumb-240x163Katsushi Okano

Piazza dei Cavalieri di Marta
2004
Pigment liner, felt pen, color pencil

立つか座るか

ブログを始めてから3年半。これまでは最長でも5日ほどしか空かなかったが、初めて1ヵ月もごぶさたしてしまった。海外に出てiPadからアップすればいいと気軽に思っていたが、思ったほどうまくタッピングできない。そもそも長い記事を書くタイプなので、23行書いて「ハイ、おしまい」で片付けられない。億劫になって、手軽に投稿できるfacebookのほうを重宝した。

帰国後ずいぶん反省して一念発起したのだが、それからすでに1週間以上も経っている。ネタ不足か、行き詰まりかと自問するも、そうでもない。書きたいことや少考してみたいことはいくらでもあるのだ。よくよく考えて、どうやら息の長い文章を綴る習慣が元に戻らないという結論に落ち着いた。徐々に取り戻そうと思うが、同時に、この機会にあっさりと書くスタイルに変えてもよさそうな気もしている。

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閑話休題。イタリアでもフランスでもそうだが、喫茶店(バールやカフェ)でコーヒーを飲むときに、立って飲むか座って飲むかという選択肢がある。カウンター内のバリスタに注文し、カウンターの上に出されたエスプレッソやカフェラテをその場で飲むのが立ち飲み。座って飲むのは、日本の通常の喫茶店のスタイルと同じ。まず気に入ったテーブルに座り、注文して運んでもらう。

同じものを飲んでも、座って飲めば料金は立ち飲みの2.5倍か3倍になる。テーブルでは席料が加算されるシステムなのだ。観光名所近くのカフェに入ると、強引に観光客にテーブル席を勧めてくる。店にとっては当然の作戦。カウンターで飲めば180円ほどのカフェ・クレームがテーブルでは520円になる。というわけで、よほどゆっくりとくつろぐ気がないときは、ぼくはカウンターに直行して注文する。

カフェの朝食メニュー.JPGパリ3区のボーマルシェ通りに面したカフェの看板。最初の行には「カウンターでのプチ・デジュネ」とあって2ユーロ。ホットドリンクとトーストとジュースのモーニングセットをカウンターで飲んで食べれば210円とは格安だ。トーストがクロワッサンかブリオッシュに、ジュースが搾りたてのオレンジに少々格上げされるものの、ほとんど同じメニューをテーブル席で注文すると6ユーロと3倍になる(ちなみに一番下の8.9ユーロのメニューはビュッフェ、すなわち食べ放題)。

毎日同じカフェにやってくる常連は、仕事の前にさっと立ち飲みして1ユーロ前後を置いて出ていく。観光客やカップルはだいたい座っている。座って通りを眺めたりお喋りしたり本を読んだりしても、普通のカフェなら250円か300円だから、日本の喫茶店よりもだいぶ安い。なお、チップを置いていくという習慣もここ数年でだいぶ薄れてきたような印象がある。

イタリア料理とワインと・・・

 『週刊イタリア紀行』と題して雑文を54回にわたって書いた時期がある。本ブログに長く付き合っていただいた読者なら記憶に残っていると思う。先ほど調べたら、最終回は一昨年の9月だった。つまり、一年四ヵ月経ったことになる。ヨーロッパに最後に旅したのが2008年の2、3月。まもなく三年になろうとしている。

 めっきりイタリア離れをしている今日この頃だが、年が開けてから集中的にNHKハイビジョンのイタリア特集を観る機会があった。毎日、複数の番組が数時間から十時間くらいにわたって放映された。すべてイタリアに因(ちな)むものだ。再放送もいくらかあったものの、初めての番組も楽しむことができた。こんなきっかけからイタリア語の本を開けたり久々に音読したり。会話をしてみたら、おそらくだいぶ鈍(なま)っているに違いない。

 無性にイタリア料理を食べたくなった。よく食べてはいるが、ランチでパスタばかり。ディナーとしてゆっくり食べてみたくなったのだ。国内のイタリア料理店はどこも本場水準、いや、むしろ凌ぐレベルに達してきたから、近場でも十分に堪能できる。だが、午後8時に予約を取り、午後7時に仕事を終えて芦屋まで出掛けることにした。もう何年も前からその店のことを聞いていたのだが、なかなか縁がなかった。遠戚がオーナーシェフをしている、夜しか営業していないトラットリア(trattoria)。小ぢんまりとして肩肘張らない料理店のことをそう呼ぶ。

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 少々遠出になるとはいえ、寒さや歳にかこつけて邪魔臭がってはいけない。もっと早くこの店に来るべきだったと反省させられたのだ。良質の味と良心的サービスにはまずまずの知覚を持ち合わせているつもり。だが、上には上があるものである。この店は元バールだったが、常連客に薦められて本格的料理を手掛けるようになったらしい。

 数種類のおかずを盛り合わせた前菜、ボローニャ風ラグーソースのタリアテッレ(平打ち生パスタ)、それにボリュームたっぷりのオッソブーコ(骨髄の入った仔牛の骨付き脛肉の煮込み)。これにエスプレッソが付いて、さあいくら? とクイズに出したくなるほど、とにかく旨くてリーズナブルなのである。ワインは好きだがたくさんは飲めない。それでもお気に入りの赤ワイン《モンテプルチアーノ・ダブルッツォ》をグラスになみなみ三杯いただいた。

 仕事の絡みもあって、風土から見たヨーロッパの小麦・牧畜と日本の稲作・漁業について再学習している。和辻哲郎の『風土』にこうある。「食物の生産に最も関係の深いのは風土である。人間は獣肉と魚肉のいずれを欲するかに従って牧畜か漁業かのいずれかを選んだというわけではない。風土的に牧畜か漁業かが決定せられているゆえに、獣肉か魚肉かが欲せられるに至ったのである。」 ちなみに、小麦と米の選択にも同じことが言える。

 この説に大きくうなずく。そして、はるか遠くのイタリア風土が育んだパスタと肉を頬張った翌日に、米と魚を融合した食文化の最たる寿司を堪能しようとする日本人の貪欲を思う。ぼくたちの食習慣から風土の固有性が失われて久しい。地産地消的に言えば、これほどルール違反をしている民族も珍しい。それでも、その節操の無さは異文化受容の柔軟性とつながっている。日本人は間違いなく世界一の美食家であり多食家なのである。願わくば、スローフード発祥のイタリアに見習って、もう少しだけ食事に時間をかけるのはどうだろう。

ゆったりとした時間も食べるスローフード習慣

その時、たしかに時間はゆったりと流れていた。もちろん食事に満足したのは言うまでもない。しかし、時間も至福であった。

20069月の終わりから10月半ばにかけて、フランス、イタリア、スイスを旅した。イタリアでの拠点はミラノ。ある日、北東へ列車で約時間の街、ベルガモへ出掛けてみた。正確に言うと、この街は二つのエリアに分かれている。駅周辺に広がる新市街地のバッサ(Bassa=”低い”という意味)と、中世の面影を残すアルタ(Alta=”高い”という意味)だ。バッサはアルタへ向かうバスから眺めることにし、ケーブルカー駅へと急いだ。ここから標高約336メートルの小高い丘アルタへ。

足早に街を散策する。ランチタイムに地産地消のスローフードを堪能しようと目論んでいるのに、「足早」とは日本人特有の習性か!? ちょっと情けない。何はともあれ、しばらくしてベルガモ名物料理店らしきトラットリアに入る。ハウスワインの赤を頼み、じっくりとメニューから三品。どれも一品千円見当である。

Bergamo1.jpgのサムネール画像

一品目はお店自慢のご当地チーズの盛り合わせ。なんと78種類が皿に乗っていて驚いた。ベルガモでしか食べられない逸品である。どのチーズを口に入れても、芳醇な風味が鼻に広がり、舌と喉元に滲みていくようだった。

Bergamo2.jpgのサムネール画像

二品目の前菜は生ハムとサラミの盛り合わせ。これもこの街ならではの一品である。濃い赤身の薄切りは濃厚な猪の肉。猪肉の生ハムは珍しい。脂身のハムは見た目はガツンときそうだが、思いのほか淡泊。

Bergamo3.jpgのサムネール画像

料理の範疇としてはパスタなので前菜としていただくものである。しかし、この三品目をメインに見立てることにした。餃子のようなラヴィオリの一種。たしかアニョロッティと紹介された記憶がある。挽き肉やチーズなどを詰め込んである。

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以上のスローフードにたっぷり2時間。日本では考えられない間延びした時間だ。ちなみに“slow food”はイタリアで造語された英語。イタリア語では“cibo buono, pullito, e giusto”というコンセプトで、「うまくて、安全で、加減のよい食べ物」というニュアンスになるだろうか。

かつてのイタリア料理のように大量の前菜、大量のパスタ、ボリュームたっぷりのメイン料理にデザートとくれば時間がかかるのもわかる。しかし、これもすでに過去の話。一品か二品をじっくりと2時間以上かけて食べるイタリア人カップルやグループが多数派になりつつある。現在、イタリアでもっとも大食なのは日本人ツアー客かもしれない。朝も昼も夜も大食いである。残念ながら、ドカ食いとスローフードは相容れない。大量ゆえに時間がかかってしまうのと、意識的に時間をかけるのとは根本が違うのである。

スローフードは“slow hours”(のろまな時間)であり、ひいてはその一日を“slow day”(ゆっくり曜日)に、さらにはその週を“slow week”(ゆったり週間)に、やがては生き方そのものを“slow life”にしてくれるのだ。

ベルガモの体験以来、ぼくの食習慣は変わっただろうか? 正直なところ、まだまだ道は険しい。でも、少しずつではあるが、毎回の食事に「時間」という名の、極上の一品をゆっくり賞味するよう心掛けるようになった。