二つの対処法

謹賀新年

元旦の早朝、散歩がてらにいつもの神社に行っておみくじを引いた。「置渡す露にさがりをあらそひて さくかまがきの朝がほの花」という歌が書いてあった。「小凶」とある。この神社に「吉」の神占があるのかと怪しむも、怒らず騒がず、「奢らずに慎み深く生きなさい」というメッセージとして拝読し、備え付けの紐に結んで境内を後にした。

外出の前に、窓を開けたら風が冷たい。部屋が必ずしも暖かいわけではないが、外気との温度差は優に10℃はあるはずだから、窓枠にもガラス面にも結露がびっしりの状態。大晦日の昨日はたぶんもっと寒かった。寒風の中を一路卸売市場へと向かった。午前10時過ぎには小雪が舞い始めた。実は、十二月中旬に塾生の一人から、大晦日の日に正月用の食材を買い出しに行かないかとの誘いがあった。拒否する理由がないので快諾した。てっきり車に乗せてもらえると思っていたら、「自転車で行きましょう」と言う。

彼の自宅から拙宅までは自転車で半時間弱だから、何ということはない。けれども、風の強い日の自転車はきつい。大晦日の前日の天気予報を見たら、「午前中の最高気温4℃、雨から雪に変わりそう」とあった。「明日は自転車日和ではなさそうだが」と伝えたが、悪天候でも決行の決意は変わらなかった。と言うわけで、ある程度寒さに耐えられる格好でサドルにまたがった。拙宅は彼の自宅と目的地のほぼ中間なので、ぼくの往復走行距離10kmに対して彼はその倍近くを走ったことになる。

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さて、平均体温が1℃下がると免疫力が30数パーセントダウンするなどと、体温と免疫力の関係が昨今注目される。体温を上げたり保ったりするには大晦日や元旦は自宅で温まっておくのがいいのだろう。理屈ではそのほうが免疫力もつくはず。体温を下げないことは防寒対策、ひいては風邪引き対策にもなるに違いない。ぼくらのように、わざわざ寒い外気の中へ飛び出して風をまともに受けてペダルを漕ぐことなどないのである。

しかし、暖かい部屋で過ごすことと体温を上げることは同じではないだろう。寒いからといって暖房のきいた室内に閉じこもっていたら、逆に免疫システムが甘やかされるのではないか。これは、暑いからといって冷房をガンガンきかすのと同じだ。ぼくの場合、まったく逆の、寒気を迎え撃つ方法を選択することが多い。寒ければ、寒いほうへと舵を取るのである。だから昨日もそうしたし、今朝も億劫にならずに2時間以上外気に触れた。暖房していない部屋に戻ってきても、数時間は身体が温かいのである。

寒さを防ぐか寒さに馴れるか。これはもちろん窮屈な二者択一ではない。いや、いずれか一方だけに偏るのは免疫によくないだろう。あるときは防寒、別のときは耐寒という対処法を上手に選択すればいいのである。と、ここまで書いてきて、これは頭脳の使い方のアナロジーになっていることに気づく。適度な負荷がかかるからこそ、知的満足感も膨らむというわけだ。

古い本と古い教え

休日に近場へ外出するときは、徒歩か自転車かのどちらかである。帰路に荷物になりそうな買物が確定していれば自転車、行き帰りとも本一冊程度の手ぶらなら徒歩。なるべく休日には歩くようにしている。どこに行くにも便利な所に住んでいるのがありがたい。

一昨日の日曜日は、まだ薄ら寒い風を受け、それでも春の気配を少し嗅ぎながら自転車を北へ走らせた。大阪天満宮まで10分少々。最終日となる古本市が目当てだ。ぼくは読書のために本を買わない。本を買うのは一種直感的行為であり、買ってからどの本のどのページをどのように読むかが決まってくる。ページをぺらぺらとめくったり拾い読みをするだけで放っておく本もある。それでも何ヵ月か何年か経ってから、「縁あって」目を通すことになることがある。そのとき、購入時の直感もまんざらではなかったと思う。

幸か不幸か、ぼくは周囲の人たちに読書家と思われている。実はそうではない。正しくは、「買書家」である。本は借りない。まず買う。いきなり買うのはリスクが大きいゆえ、高額な書籍にはまず手を出さない。文庫または新書がほとんどである。何よりも省スペースだし、どこにでも持っていけるから便利でもある。

買った本をどう読むかというと、速読、精読、併読、拾い読み(これは狙い読みに近い)、引き読み(辞書を読むように)、批判読み、書き込み読み(欄外にコメントを書く)などいろいろ。誰もが体験するように、本の内容はさほど記憶に残らない。傍線を引いても付箋紙を貼っても大差はない。だが、これ! と思う箇所は抜き書きしておく。抜き書きしておいて、後日読み返したり人に話したりする。面倒だが、ぼくの経験ではこれが読書をムダにしない唯一の方法である。

古本市で買ったのは福田繁雄のデザインの本、安野光雅の対談集、玉村豊男のパリ雑記の3冊。しめて1900円。天満宮滞在時間は半時間ほど。そう、書店であれ古本屋であれ、ぼくは半時間もいたら飽きてしまう。熱心な「探書家」でもないのだ。「今日は5冊、4000円以内」などと決めて直感で30分以内で買う。

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境内を出て喫茶店に入る。朝昼兼用の予定だったので朝を食べていない。午前1055分。「モーニング7:0011:00」とある。「モーニング、まだいけますか?」 滑り込みセーフ。コーヒー、トースト、ゆで卵。ゆで卵が切れてしまっていたので、生卵からつくってくれる。何だか申し訳ない。トーストを食べているうちに、ほどよい半熟が出来上がった。

目の前のカレンダーに今月のことばとあり、見ると「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」。日めくりには必ず入っている禅語録の一つである。「毎日が平安で無事でありますように」との願いが込められているが、真意は一期一会に近いとどこかで学んだ。平々凡々な日がいい――そんなヤワな教えではなくて、「何があろうと、今日の一日は二度とないと心得て、懸命に生きなさい。その積み重ねこそが毎日の好日につながる」という意味である。先送り厳禁、今日できることを今日成し遂げよ、思い立ったら即時実行などに通じる。

先週本ブログで『スピードと仕事上手の関係』について書いた。そこでのメッセージにさらに自信を加えてくれる禅語録との再会である。こういうつながりをぼくは運がいいと思うようにしている。古い本を探した後に立ち寄った喫茶店で古い教えに出会う。これも「古い」が重なって縁起がいいと考えておく。こうして気分を調子に乗せておけばストレスがたまらないし、いい一日を送ることができるのである。 

イタリア紀行31 「肩肘張らない世界遺産」

フェッラーラⅡ

「次回のイタリア紀行はどこですか?」 一ヵ月ほど前、この紀行が一週間とんでしまった時にある人に尋ねられた。「フェッラーラのつもりだけど……」と答えた。なぜ「だけど……」かと言うと、フェッラーラのネガフィルムがデジタル変換できておらず、間に合うかどうかわからなかったからだ。案の定、一週間空いてしまった。おまけに、取り上げたのはフェッラーラではなく、ピサのほうであった。

尋ねた彼はフェッラーラの場所をよく知らなかったが、「あ、『フェッラーラ物語』という映画がありましたよね」と、さもぼくがその映画を知っているかのようにことばをつないだ。イタリア紀行などというものを書いているものの、さほどのイタリア情報通ではない。まず映画そのものをあまり見ない。イタリア映画もよく見逃している。1987年の映画で彼自身がストーリーをほとんど覚えていない。調べてみた。『フェラーラ物語 / 金縁の眼鏡』というタイトルである。あらすじだけからの想像だが、この映画を観てからフェッラーラを訪ねていたら、だいぶ印象が変わっていたに違いない。観ていなくてよかったし、今から観たいという気分にもならない。いつも思うことだが、旅の予備知識はあるほうがいいのかなくてもいいのか、あるほうがいいのなら多いほうがいいのか少なくてもいいのか……実に悩ましい。

悩ましいと言えば、海外地名の表記だ。“Ferrara”を「フェラーラ」と表記するか、本ブログのように「フェラーラ」とするかの選択に悩む。上記の映画の邦題もウィキペディアでも「フェラーラ」だが、手元のガイドブックをはじめ専門書や紀行文では「フェッラーラ」が多いのでそれに従った。イタリア語では同じアルファベットが二つ連続するときは、直前の音に「小さなツ」をくっつけて拗音化すると現実の発音に近くなる。“Ferrara”“rr” なので、直前の “Fe” を「フェ」と発音する。“Cavallo” (馬)は「カヴァロ」、“Spaghetti” は「スパゲティ」になる。

この日は月曜日だった。カテドラーレや広場はまずまずの賑わいを見せていた。ここは自転車の街と聞いていたし、駅前でも溢れんばかりの台数を目撃していた通り、歩行と走行が入り混じる。しかし、中心からほんの少し離れてちょっと横道に入ると一気に閑静な趣に変わる。時折り颯爽と通り過ぎていく自転車。身のこなしがかっこよく見えるのは、舞台装置のせいか。

これまでの紀行で繰り返し「中世の面影」や「時代の香り」や「文化の名残り」をはじめ、これらに類する表現を多用してきた。そういうことばをこのフェッラーラに流用できないこともない。しかし、「ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯」が世界遺産登録されているフェッラーラに「古色蒼然」は感じられない。ここは古代色や中世色の濃厚な他のイタリア都市とは違って、近世的に洗練されている印象を受ける。そして、それが現代にも連なっていて、肩肘を張らない日常生活光景と上手に共生しているように思われる。いい街――それは“decente”という形容詞が近かった。「ほどよく抑制のきいた」というニュアンスである。 《フェッラーラ完》

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実に落ち着いた街路の遠近感ある構図が気に入った。
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通りごとに道の色合いが微妙に変わる。
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鉄道駅までの帰路で現れた豪邸。かつての貴族の館か。
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しゃれたバール、さりげなくしつらえられた路肩。
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エステンセ城から南へほんの100メートル歩くと、トレント・トリエステ広場に出る。
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市庁舎、大聖堂、ドゥオーモ美術館が建ち並ぶ。
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なんともゆったりした広場の石畳を人が歩き自転車が自由に走る。
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大聖堂のファサードはロマネスクとゴシック様式が混在するデザイン。教会の軒下を利用して商店が並んでいる。