実録「生肉を喰らう」

実録なので、デフォルメしない。淡々と事実と意見を書くことに徹する。

焼肉店ではユッケや牛刺しを出さなくなった。先週の土曜日、6人で焼き肉を食べに行った折、注文係のK氏はレバ刺しと生のセンマイを頼んだ。焼肉店では内臓の刺身なら出すくせに、赤身の刺身を出さない。発端となった例の「食中毒事件」の経緯など諸般の事情を理解しつつも、解せない話である。

焼肉用のロースやカルビを買ってきて、自宅で細かく切ってユッケのように仕立てて食べるのは自由だろう。これを禁止する条例はなく、自己責任のもとで食べればよい。「これはいい肉である」と判断したら、ぼくは焼かずに適量を生で食べる。何事も起こったことはない。

よく行く焼肉店も、例の事件前までは、焼肉用の心臓ハツを注文すると、必ず「生でもいけますよ」と付け加えていたものだ。ましてや熟成赤身肉の上とくれば、ほとんど生で食べるのが暗黙の了解のようになっていた。その日も、半分程度生で食べるつもりで、熟成赤身を注文した。

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焼肉はワイワイガヤガヤと賑やかにというイメージだが、ぼくの持論は違う。じっくりと肉質を見ながら絶妙に焼き、そして静かに食べるべきものだと思っている。しかし、その日は、少々お酒も飲み話も弾んでいた。箸でつまむ熟成赤身肉をろくに見もせずに、一切れをワサビで、もう一切れを塩で食べたりしつつ、「おや、いつもと少し違う食感……」と思っていた。そして、三切れ目をつまんだ瞬間、それが注文した熟成赤身肉でないことに気づいたのである。

よく見れば、それはツラミだった。繊維が少なくて赤身に少しよく似た、上ツラミだった。結論から言うと、店が熟成赤身を上ツラミと間違えたのである。聞き間違いするには発音が違い過ぎる。何のことはない、別の客の注文と混線したという次第だ。それはともかく、初めて上ツラミを生食し、気づいた時には二切れはすでに胃袋に収まっていた。

上ツラミの味は格別であった。そして、腹痛も中毒も起こらなかった。

焼肉店でユッケを禁じるのは理不尽であり滑稽な話である。しかし、文句を言ったり逆らったりする暇があったら、スジや脂身の少ない良質の肉を買ってきて、自宅で調理して食べればいいだけの話だ。同じ値段で店で食べる量の3倍はいける。

paris ハラミのユッケ web.jpg昨年1123日、パリ滞在中のアパートでの食事。右下に見えるのがバスティーユの朝市で買ったハラミ。ユッケよりも大きくぶつ切りにして200グラムほどたいらげた。ハラミの生肉は日本ではまず賞味できない。

牛肉の口当たりと値打ち

どうでもいいことを真剣に考察してみたいと思う。そして、この考察は、ぼくの数ヵ月間のブログ記事史上もっとも賛否が際立つ争点になるだろう(ちょっと大げさか)。このテーマを取り上げたきっかけは次の二点。

昨今、テレビのグルメ番組では上等の焼肉やステーキへの最大級の賛辞が「おいしい、やわらかい、とろけそう」であり、耳にタコができるほど繰り返される。「おいしい」は人それぞれなので何とも言えないが、はたして「やわらかい」と「とろけそう」は褒め言葉なのだろうか。これが一つ目の動機。

もう一つは、今年の2月から3月にかけてパリとローマでアパート暮らしをし、市場で安い肉を買って自炊の日々を送ったこと。人生で初めて半月にわたって毎日欠かさず牛肉、豚肉、羊肉を食べた。塩・胡椒・ハーブで肉を味付けし野菜を添えてオーブンで焼くという、ワンパターンなレシピだ。どの肉も多くの日本人が好むような「やわらかさ」に乏しく、ぼくの了解を得ずに肉が舌の上で勝手にいきなり溶け出すこともなかった。

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よくテレビで紹介される100グラム5万円か10万円の幻の大田原牛。噛まなくてもいいほどやわらかくて、口の中に放り込んだ瞬間サシの部分から溶けていくらしい。栃木にはよく行くし知人も多いが、未だご馳走してくれた人はいないので、ぼくにはそのやわらかさと口どけ感は知る由もない。しかし、グルメタレントは異口同音に「おいひぃ~、や~はか~い、とほけそ~」と変体ハ行活用してコメントする。たぶんお説の通りなんだろう。

 一枚200グラムのステーキに10万円~20万円の値打ちがある? 一切れ20グラム1万円の肉が秒単位で溶けるのですぞ! 「どのくらいやわらかい肉?」と聞かれたら、「やわらかさ毎秒二千円、とろけ度毎秒4グラム」とでも答えるか。そこにはゆったりとした深い滋味などない。なにしろすぐに溶けてしまうのだから、「秒味(びょうみ)」なる新語がぴったりだ。

 ねたみや負け惜しみではない。なぜなら、そこまで値は張らないけれど、きれいなサシの入ったロースやバラの焼肉はほどほどに食べるし、たしかに他の部位の肉にくらべてやわらかいと思う。サシの入った肉の刺身が醤油とワサビといっしょに舌の上で溶けるからといって、「けしからん」と腹を立てるわけでもない。ぼくの論点はただ一つだ。口当たりがやわらかくてとろける肉がなぜここまで絶賛を浴びるのか―それが不思議でならない。

 農耕民族だからアゴの筋肉も噛む力も弱いからなのか・・・・・・。肉を塊(ブロック)で調理せず、薄く切ってすき焼きにしたり、こま切れにして野菜炒めにしたりしてきたから、やわらかい肉を食べ慣れているのか・・・・・・。あるいは、「肉と言えば赤身」の時代がずっと続き、それが当たり前だったが、近年になって「禁断のサシ」の味を覚えてこっちのほうがうまいぞという固定観念が刷り込まれてしまったのか・・・・・・。よくわからない。

 パリとローマで毎日いろんな市場や肉屋に足を運び、半月間肉三昧をしてよくわかったことがある。おいしい肉の価値が日本と決定的に違うのだ。日本で高級な肉が手頃な値段であり、日本で安い肉が想像以上に高価なのである。日本で好まれるサーロインのようなサシ入りステーキなら一枚200グラムで150円~200円だろう。それに比べて赤身は上等である(これは肉にかぎらない。パリの市場ではマグロも高い赤身から売れ、安いトロが残っている。日本人居住者や留学生にとってはありがたい話である)。なお、高いとか安いとか言っているが、フランスやイタリアでは肉類は無茶苦茶安い。ユーロ高に苦しんだ今年の3月であっても驚くほど安かった。

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 歯ごたえをアゴで感じ、噛めば噛むほど広がる肉独特の風味を久々に楽しんだ。来る日も来る日も。風土になじめば肉食が続いてもまったく問題はない。野菜少々であっても決して偏食とは思わない。野菜さえ食べていれば「ヘルシー」なんていうのは欺瞞とさえ思えてくる。牛肉だけではない。豚肉も羊肉も日本で食べるよりもワイルドな匂いと味がする。サシの入ったロースを日本独特の「精緻なる工芸品」と称するならば、あちらの国の肉はちと粗削りだが「野趣あふれる天然もの」だ。

 美味への飽くなき追求心には文句はない。牛肉に対する日本人独特のこだわりが世界でも稀な肉食文化を形づくっているのも悪くはないだろう。だが、「やわらかい」と「とろけそう」という賛辞によって「やわらかくてとろけそうな肉」を最高品質に祭り上げるのは発想の貧困である。もっとも、口内滞在時間数秒の肉に対するコメントはむずかしいだろうと同情はする。

 粒の大きい胡椒と相性がよく、独特の臭みがほんのりあって、噛んでいるうちにアゴがだるくなり、そろそろ飲み込もうとするその前にもう一度喉元で重厚な肉汁を確かめる。アゴも歯もいらない肉との差異も噛みしめる。肉を頬張ったパリとローマの日々、ぼくはテーブルに向かう狩猟民になっていたのかもしれない。以来、ぼくの中では「うまい肉」の価値は確実に変わっている。