凹凸感、またはアナログな手触り

Fortunaの鍵 blog.jpgここ最近宿泊した国内のホテルでは、ドアの鍵はすべて「カードキー」だった。薄っぺらな磁気タイプのポイントカードのようなものが多い。連泊するときも外出するときも、いちいち預けない。「どうぞお持ちくださって結構です」とフロントの方もおっしゃる。

 カードは何の変哲もないが、ホテルによってドアの開け方が微妙に違う。差し込んですぐに抜けば小さなランプが緑に変わるのもあれば、少し厚みのあるものはIC改札のようにワンタッチする。タイミングがずれるとランプは赤くなり、ドアは開かない。
 
もちろん、鍵穴にキーを差し込む「従来型」でも、右に回すか左に回すか戸惑うことがある。ヨーロッパのホテルなどでは、差し込みの加減がむずかしく、しかも二回転させないといけない鍵もある。フロントでは旅人に鍵を渡すだけで、説明などしてくれない。連泊して三日目くらいにやっと慣れるというケースも稀ではない。
 

 20043月、ローマからフィレンツェに移動する際にペルージャで途中下車して一泊した。建物はたしか1516世紀のもので、増築を重ねてきたため迷路のような構造になっていた。ホテルは Fortuna(フォルトゥーナ)、写真は部屋の鍵である。凹凸があってずっしりと重く、出掛けるたびにフロントに預けた。
 
ホテルの頭文字“F”をモチーフにして、幸運の女神があしらわれている。ラテン語フォルトゥーナに相当するのがギリシアの女神テュケである。何という凝りようだろう。しかし、凝るだけの価値はある。薄っぺらなカードキーを通して刻まれる宿の思い出はやっぱり薄っぺらなのに対し、手のひらに凹凸が伝わるこの鍵で開け閉めしたドア、そして部屋のレイアウト、窓外に広がる田園風景は十年近く経った今もなお鮮明なのである。
 
古風と言われかねないが、アナログ感覚への未練は捨て切れない。記憶は脳だけでなく手のひらにも刻まれる。手で直接触れるものは、万年筆であれ文具であれ、重みがあるのがいい。刻々と時は過ぎていくが、のっぺらぼうに過ぎさせてしまうのか、その時その場かぎりの手応えを感じるのか……この差は決して小さくはないと思っている。