年賀状と喪中はがき

2013年賀状.jpgこれは2012年の年賀状である。謹賀新年という文字以外にこれといった季節感は漂っていない。干支の話題もイラストもない。ぼくたちの仕事に関わる考え方の話が中心であって、何かのヒントにしていただければ幸いという思いで書いている。

企画の仕事の敵は外部環境にはいない。闘う相手はつねに内なる敵である。どんな敵か。発想的には固定観念であり常識への安住であり、言語的には陳腐な常套句である……こんなことに思いを巡らしながら、毎年、いくつかのキーワードを拾い上げる。そして、自省の意味も込めて、ありきたりなテーゼに対してささやかなアンチテーゼを投げ掛ける。弱者のつぶやきに過ぎないが、かなり真剣で本気だ。もう二十年近くこのスタイルを続けてきた。2013年度の年賀状は、何度も推敲を繰り返して、先ほど校了した。

さて、年賀状に取り掛かるこの時期、喪中のはがきも手元に届く。齢を重ねるにつれ、年々数も増えていく。今年もすでに十数枚にはなっているだろう。どなたが亡くなったのか明記していないのもあれば、義兄だったり叔母だったりもする。どこまでの親族に対して喪中や忌中とするのかよく知らないし、マナー本を開いてみようとも思わない。ただ、ここ数年、いただくのは喪中はがきばかりで、年賀状を久しくもらっていない人もいる。
親族が多くて高齢化してくると、年賀状と喪中はがきを隔年投函するようなことも稀ではなくなる。人が亡くなっておめでたいはずはない。知らぬ人であってもお悔み申し上げる。だが、縁あって一度だけ会い、お互いに義理堅く年賀状をやりとりしてきたが、その人自身もよく知らない関係なのに「義母が亡くなった」というはがきをいただいても、正直言ってピンとこないのである。
喪中はがきの差出人にもぼくは年賀状を出す。謹賀新年で表される良き年を迎えていただきたいからである。ついでに拙文にも目を通していただくかチラっと見ていただくかして、「相変わらず青二才だなあ」と思ってもらえればよい。かねてから喪中はがきの慣習に首を傾げる立場だが、人それぞれの考え方に寛容でありたいと思う。だが、自分が喪に服すことと年賀状を出すことが相反するはずもない。マナーの専門家が何と言おうと、前年にどんな不幸があろうと、お互いに新年を祝い多幸を祈ればいいのではないか。

二項対立と二律背反

一見酷似しているが、類義語関係にない二つの術語がある。誰かが混同して使っているのに気づいても、話を追っているときは少々の表現の粗っぽさには目をつぶってやり過ごすので、その場で指摘することはない。つい最近では、〈二項対立〉と〈二律背反〉を混同する場面があった。この二つの用語は似ているようだが、はっきりと違う。

二律背反とは、テーゼとアンチテーゼが拮抗している状態と覚えておくのがいい。たとえばディベートの論題を考えるときに、論題を肯定する者と否定する者の立場に有利不利があってはならない。現実的にはどちらかが議論しやすいのだろうが、ほぼ同等になるように論題を決め記述するという意図がある。「ABである」に納得でき、「ABでない」にもうなずけるとき、両命題が同等の妥当性で主張されうると考える。

これに対して、二項対立は、本来いろんな要素を含んでいるはずの一つの大きな概念を、たった二つの下位概念に分けてしまうことである。人間には様々な多項目分類がありうるにもかかわらず、たとえば「男と女」や「大人と子ども」のように極端な二項に分ける(老若男女とした瞬間、もはや二項ではなくなる)。方角は東西南北と四項だが、世界は「西洋と東洋」あるいは「北半球と南半球」と二項でとらえられることが多い。「先進国と発展途上国」でも二項が対立している。


なお、二項対立と二律背反には共通点が一つある。それは、多様性に満ちているはずの主張や議論や世界や対象を、強引に二極に単純化して考えることだ。明快になる一方で、二つの概念がせりあがって鋭く反発し合い、穏やかならぬ構図になってしまう。とはいえ、二項対立の二つの概念は対立・矛盾関係にあるものの、もともと一つの対象を無理やり二つに分けたのであるから、支え合う関係にもなっている。「職場と家庭」や「売り手と買い手」には、二項対立と相互補完の両方が見えている。

金川欣二著『脳がほぐれる言語学』では、「ステーキと胡椒」も二項対立扱いされている。「おいしい焼肉」の極端な二項化と言えるが、少しコジツケっぽい。傑作だったのは、「美川とコロッケ」。両者が属する上位概念も対立もうかがえないが、相互に補完し合っているのは確かである(美川憲一が一方的に得をしているという説もあるが……)。

二項対立は、ある視点からのものの見方であり定義なのである(だから、人それぞれの二項があってよい)。また、いずれか一方でなければ必ず他方になるような概念化が条件である。たとえば、「日本と外国」において、「日本で生まれていない」が必然的に「外国で生まれている」になるように。ところで、知人からのメルマガに「情緒と論理」という話があった。日本人は情緒的でロジックに弱いという主張である。日本人は同時に情緒的にも論理的にもなりえるから、両概念は二項対立していない。同様に、「感性と知性」や「言語とイメージ」なども、つねに併存または一体統合しているので、二項対立と呼ぶのはふさわしくない。

以上の説明で、二項対立と二律背反を混同することはなくなるだろう。但し、これで一安心はできない。難儀なことに、二項対立は「対義語」と区別がつきにくいのである。この話はまた別の機会に拾うことにする。

ユニークさの源泉

タイトルを『ユニークさの源泉』と書いてから、はっと気がついた。『日本人――ユニークさの源泉』という書名を思い出したのである(著者グレゴリー・クラーク)。1970年代、比較文化に興味があったのでその種の本をよく読んでいた。他に『人は城、人は石垣――日本人資質の再評価』(フランク・ギブニー著)なども読んだ。当時、アメリカ人による日本文化論がよく書かれ日本でよく読まれた。昨今も日本人論ブームらしいが、いつの時代も日本人は日本や日本人についてどう見られているかに異様な関心を抱いているような気がする。

『日本人――ユニークさの源泉』という書名も著者名も思い出したが、あいにくどんな内容だったかまったく記憶にない。今からユニークさについて書こうと思うのだが、タイトルが必ずしもユニークでないのは愉快でない。かと言って、『ユニークさの理由』や『ユニークさの背景』に変えても、どこかにこれらのフレーズを含んだ書名があるに違いない。ならば、タイトルはこのままにしておこう。但し、これから書くユニークさの源泉は日本人論とは無関係である。

「差別化か、さもなくば死か」(ジャック・トラウト)はのっぴきならない決意表明である。マーケティング戦略史に残るこの一言は極端に過ぎるかもしれない。だが、自他に差がなく、ひいては自分が他者から識別されないのはやっぱりつまらない。ぼくは教育と実際のサービスの両面で企画を実践してきたが、ありきたりであることや二番煎じであることがブーイングの対象になるのを承知している。いや、批判されることなどどうでもいい。それよりも、自分が他者とは異なる固有の存在でなければおもしろくないではないか。ユニークさは生きがいの大きな要因だと思う。


普通でないことや常識的でないことをユニークさと呼んでいるのではない。ユニークさとは他と何らかの差異があることだ。ちなみに、ぼくたちは「とてもユニーク」などと言って平気だが、英語表現に“very unique”はなく、また比較級も最上級にも変化しない。「A君はB君よりもユニーク」などと言わないし、「この商品は当該ジャンルでもっともユニーク」とも言わないのである。このことは、単に「ユニーク」という一語だけで、形容する対象が固有であることを示している。

たとえちっぽけでも固有になりうる。「鶏口となるも牛後となるなかれ」という有名な諺がある。大きな組織のその他大勢の一人になるくらいなら、小さな組織のリーダーのほうがいいという意味だが、ユニークさと重ね合わせてみると何となく似ている。ユニークさはゴールの大小、組織の大小、テーマの大小とは無関係に発揮できる。そのためには、誰もができそうなことや自分でなくてもいいことに長時間手を染めないことである。

なぜ人はつまらない平凡な存在になったり陳腐な発想をしたりするようになるのか。一言で言えば、現環境における安住である。そして、その裏返しとしての、新環境への適応拒絶。もう少し平易に言えば、流れに掉差す無難主義あるいは等閑なおざりな正解探しの姿勢がユニークさを阻んでいる。ユニークさの源泉とは、この世に生を受けておいて固有でない生き方をしてたまるかという「向こう意気」だろう。そして、時にそのエネルギーは、アマノジャク、アンチテーゼ、エスプリなどに変形する。

出る杭とアンチテーゼ

ごくわずかな人たちを除いて、ぼくの回りで「過激発言する人」がめっきり減ってきた。ちょっと過激で「ピー」の音を被せなければならないときは、シモネタ系に限られる。テーマが時事であれ教育であれビジネスであれ、あるいは人物や思想の話に及んでも、なかなかハッとする見方に出くわさない。さらに、意見や価値観の衝突を未然に避けるので、争点の起こりようもなく議論にすらならない。要するに、対話をしていてもあまりおもしろくないのである。

まあ、五十の大台に乗ったのなら意見が少々控え目に傾くのもやむをえないだろう。だが、その意見がこれまた無批判に同調されるとなると、まったくアンチテーゼが出てこない環境に置かれることになる。歳を取れば過激度は自然に薄まるもの。しかし、それでもなお、周囲がそこそこに安全圏に留まろうという気配を感じたら、年配者だからこそ、意に反しながらも〈デビルズ・アドボケート(devil’s advocate)〉として登場せねばならないのだ。敢えて苦言や反対意見を唱える「悪魔の提唱者」、くだけて言えば、アマノジャクの役割のことである。

二十代、三十代でありながら「よい子」に収束しようとする心意がぼくにはわからない。わからないけれども、その世代にしてアンチテーゼの一つも唱えないようなら、四十代、五十代になったら絶望的なほど無思考人間に成り果てるだろう。若い頃に下手に成熟するのではなく、しっかりと若さゆえの役割を演じておかねば、反骨エネルギーはこれっぽちも残らない。そんなもの残らなくていいではないかと反論されるかもしれないが、反骨エネルギーこそが新しい発想やアイデアの源泉なのだ。老齢を避けることはできないが、「老脳」はテーゼに対するアンチテーゼ精神によって遅らせることができる。


古典に属する考え方で申し訳ないが、テーゼとアンチテーゼの関係は弁証法的展開には欠かせない。正統と異端もしのぎを削る。与野党の関係もしかり。すんなりと何かが決まり大勢が一つの色だけで染まるのが組織の老化現象の原因なのである。ディベートにしても肯定側(テーゼ)と否定側(アンチテーゼ)との間の意見交流だ。そのディベートという一種のゲームにおいてさえ、アンチテーゼがきわめて脆弱で腰抜け。ゆえにサスペンスも感動もない。若い人ほど情報に依存するあまり、ありきたりの検証に終始する。

血気盛んとまではいかないが、ぼくのような万年青二才からすれば、ぼくよりも二十も三十も年下の人たちがとてもお利口さんぶっているように見える。人間関係上の衝突を未然に避ける術を身につけている。だから、打たれないと判断すれば杭を出すが、危ないと見るや杭は決して出さない。しかし、こんな小器用な調整作業を繰り返しているうちに、しっかりと出る杭になるチャンスを逃してしまう。「出る杭」とはアンチテーゼ能力である。その能力を凌ぐと自負するテーゼ人間が杭を打ってくれる。大いに打たれて鍛えてもらえばいいのだ。

ところで、何がテーゼで何がアンチテーゼかは一筋縄では語れない。ひとまずぼくは先行発言や先行価値をテーゼと位置づけ、それらに「ちょっと待った」というのをアンチテーゼと呼んでいる。したがって、アンチテーゼのほうがいつも過激というわけでもない。テーゼが過激かつ異端的で、それに穏健なアンチテーゼが絡んでもいいわけだ。とは言え、アンチテーゼはアマノジャクでなければ迫力に欠ける。そう、アンチテーゼの原点にある意気込みは、「丸く収まってたまるか」であり「他人と同じ発想をしてたまるか」でなければならない。