“アイディケーション”という方法

一週間ほど前のブログで対話について少し嘆いてみた。セピア色した弁論スピーチやアジテーションはあるが、対話がない。お気軽なチャットはあるが、対話がない。一方的な報告・連絡は絶えないが、意見を交わす対話がない。会議での議論? ファシリテーターの努力も空しく、だんまりを決めこむ出席者。あるいは、喋れば喋るで喧嘩腰になり、一触即発の人格攻撃の応酬のみ華々しくて、そこに冷静で穏やかでウィットのきいた対話はない。対談集を読んでも、波長合わせの同調中心で、挑発的な知的論争を楽しめる書物にめったに出くわさない。

対話がないと嘆きはするが、日々の隅々の時間を対話三昧で埋め尽くしたいと願っているのではない。少しは対話のシーンがないものだろうかとねだっている次第である。「こんな理不尽なことがあって、とてもけしからん」とか「誰々がこんな話をしたので、おかしいと思った」とか。この類を意見と呼ぶわけにはいかない。事実や経験を左から右へと流して文句を言っているにすぎないのだ。だから、こんな連中の話を聞くたびに、ぼくはちょっぴり意地悪くこうたずねる、「で、あなたの考えは?」と。

ほとんど返答がなく無言である。考えに近い意見を聞けたとしても、「で、なぜそう思うのか?」とさらに理由を問うと、たいていは沈黙するかお茶を濁すようなつぶやきで終わってしまう。良識ある人々はコミュニケーションの重要性をつねに説くが、いったい彼らの言うコミュニケーションとは何だろうか。空理空言をいくら大量に交わしても何事も共有などできない。ラテン語の起源をひも解けば、コミュニケーションには「交通可能性」という意味があり、ひいては意味の共有を目指すもの。”communication“の”com”はラテン語では「公共の」「共通の」「一緒の」などを示す接頭辞。共同体コミュニティ会社・仲間カンパニーなどの英単語も”com-“で始まり、そうしたニュアンスを内包している。


お互いが触発されアイデアを交わす対話を〈アイディケーション(idecation)〉と名付けてみた。アイデアを創成するという意味の〈アイディエーション(ideation)〉と〈コミュニケーション(communication)〉の合成語である。「アイディケーションしようか」と持ち掛ければ、それは単なるお喋りではなく、また儀礼的な辻褄合わせの会話でもなく、事実も意見も論拠も示し、しかもとっておきのアイデアで互いの発想をも誘発していく対話を試みようということになる。

先週久しぶりにプラトンの『プロタゴラス』を再読した。一方的な弁論を巧みにおこなうプロタゴラスに対して、お互いの言い分や問いを短く区切って対話をしようではないかと異議を申し立てたのがソクラテスだ。二千数百年前の古代ギリシアで弁論術の指導を生業としていたプロタゴラスは、将来国家の要人となるべく勉学に励む若者たちにとってはカリスマ的ソフィストであった。同書の前段を読むと、彼がいかにマイペースの弁論術を心得ていたかが手に取るように伝わってくる。

しかし、その彼にあっても、ソクラテスに執拗に一問一答的に質問をたたみかけられるとたじろいでいくのである。そう、誰も口を挟まず、また誰も「ちょっと待った、聞きたいことがある」と問わない状況にあれば、いくらでも弁論に磨きをかけることはできる。一人のカリスマが大衆や取り巻きのファンを酔いしれさせて説得するくらい朝飯前なのである。だが、他者からの問いや意見が加わる対話という方法に置き換わった瞬間、論説の基軸が揺さぶられる。弁論術で飯を食う人間には死活問題になるが、ぼくたちにとってはそれが「気付かざるを考える格好の機会」になってくれるだろう。狭い料簡で反論に腐っている場合ではない。

スイッチが入ったような書き方になってしまった。アイディケーションのような方法は古臭くて面倒なのだろうか。もっと軽やかな、ささやくようなツイッターのほうが時代にマッチしているのだろうか。

巨人の肩に乗っているか?

「巨人の肩」の話、知っている人なら読売ジャイアンツの豪腕投手の肩でないことはお分かりだろう。これは万有引力でおなじみのアイザック・ニュートンの言だ。ニュートンは言った。

「もし私がより遠くを眺めることができたとしたら、それは巨人の肩に乗ったからである」

巨人の肩とは、人類が引き継いできた知の集積の比喩である。

人はこの世界に手ぶらで生まれてくるが、まったくのゼロ状態ではない。すでに遺伝子の中に数百万年前の人類とは異なる、「進化した可能性」を秘めている。他の動物と大きく隔たる潜在能力を発揮できるかどうかは別問題としても、何がしかの踏み台を保有していることは間違いない。やがて、学習と経験を通じて知識を蓄え世界を少しずつ広げていく。具体的に言えば、学校にはカリキュラムという踏み台があり、図書館や書店には書物という踏み台がある。こうした踏み台は時代を追うごとに性能がよくなり高くなっていく。

この踏み台が巨人の肩なのである。ぼくたちは地面に立って世の中を見渡す必要はなく、先人たちの知をうまく活用して一気に高いところから展望する機会に恵まれている。江戸時代の寺小屋で学ぶ子どもたちも誰かの肩に乗っただろうが、肩の高さがだいぶ違う。いつの時代も、後世は前時代までの叡智を活用できる。しかも、巨人はどんどん大きくなり数も増えていくから、理屈の上では人類はより遠くより広く世界を眺望できるようになっていくはずだ。


だが、話はそう簡単ではない。たとえば物理学の世界。なるほど相対性原理は人類史上最大級の巨人だから、その肩に乗れるアインシュタイン以後の物理学者の望遠力は、アインシュタイン以前の先輩を圧倒しているだろう。けれども、これら先輩たちは別の巨人の肩に乗っていたわけで、自分たちよりも後にさらに大きな巨人が現れることを想像することはできなかった。つまり、残念がりようがなかった。素人考えでは、アインシュタイン以前と以後で学徒の研究労力は天と地ほどの差があるように思える。

言語学ではソシュール、哲学ではデカルトなどのように、歴史の節目となる巨人があらゆる分野で出現した。発明なら、火薬、羅針盤、活版印刷、蒸気機関、自動車、コンピュータ……。そのたびにより大きな巨人の肩へと乗り移ってきたわけだが、そのように乗り移って際立った望遠力と視界を手に入れたのは、一握りの人々に過ぎないのではないだろうか。たとえば、書物を読まず文書も残さず、ただひたすら論争だけに明け暮れたソクラテスの肩をぼくたちはうまく乗りこなせていると言い切れるか。

いや、逆に、巨人の肩に乗ることによって知の重要な何かを落としてしまっているフシがある。人類全体に関してはニュートンの言う通りかもしれないが、個としての人間の能力はここ一万年、確実に高まったと言いうるかと問えば、ぼくは少し怪しい気がしている。すぐれた巨人の肩に乗れる後世の人々がつねに優勢であることを示す証拠は乏しい。ソクラテスばかりで恐縮だが、文字を通さずに誰が何を語ったかを逐一記憶して議論するなど、想像を絶する知力ではなかったか。

巨人がいても、肩に上らねばしかたがない。仮に肩に乗っても見渡さなければ意味がない。巨人の肩はいくらでもあるし、いつでも乗せてくれるのだが、乗ろうとしない時代のようである。現在、月平均読書量が一冊以下の人々が過半数を占めるらしい。本一冊読むのに重い腰を上げねばならないのだ。巨人の肩に乗って遠くを見晴らす以前に、現代人はまず肩に乗ることから始めなければならないようである。 

米国というジレンマ

たしかソクラテスだったと思う。誰かに「結婚すべきか、独身であり続けるべきか?」と問われて、「いずれを選んでも、後悔する人生になるだろう」と答えたという話。三段論法の一つ、「ジレンマ」である。「もし結婚すれば後悔するだろう。また結婚しないで独身を貫いても後悔するだろう。人生は結婚するかしないかのどちらかである。ゆえに、「どちらを選んでも後悔する人生になる」という推論だ。

これは演繹的なアームチェア論理の結論である。可能性としては後悔しない結婚生活もバラ色の独身生活もありうるし、現にそうして生きている人々が大勢いるだろう。言うまでもなく、机上のジレンマが必ずしもそのまま実社会のジレンマになるわけではない。


歴史的事実として、あるいは現実として、米国が政治的、社会的、経済的、国際的にジレンマを抱えてきたかどうかは諸説分かれる。ぼく自身、米国のジレンマ性について政治的、社会的、経済的、国際的に考えることはあるが、めったに誰かと意見交換をしようとは思わない。ぼくにとって語るに値する米国のジレンマは、ぼくの青春時代から今に至る心象風景に浮かび上がるそれである。

「米国に期待したら裏切られる。また失望しても裏切られる。米国への心理は期待するか失望するかの極端な二択である。ゆえに、米国はぼくを裏切り続けている」――これが、ソクラテス的演繹による、ぼくにとっての米国というジレンマである。

小学校でのローマ字学習を英語学習と錯覚していた。日本語をローマ字(アルファベット)で書いたら、そのまま「外人」に通じると思っていた。ここでいう外人とはアメリカ人である。中学に入って、ローマ字と英語が違うことを知って愕然とした。何のためにローマ字を学んだのか。二歳上の姉は中学一年のときに鼻高々でぼくに英語を見せびらかした。どうせ“Are you a boy?” 程度のことだったのだろう。中学の遠足では、奈良公園に観光に来ていた外人に近づき、サインをねだる同級生がいた。外人は「アメリカ人」であって、英語は「英国人」の言語ではなく「米国人」の言語であった。

日本が米国の州になればいいとジョークを装いながら、実は本心でそう思っていた連中がいた。帰国子女のネイティブばりの英語に度肝を抜かれ、国際派商社マンでなく土着商人のオヤジを恨んでいた友人もいた。そうそう「ああ、いっそのことアメリカ人に生まれたかった」という嘆きも聞いたことがある。ぼくが二十歳前後の頃、急激なアメリカ化が進み、生活も街も文化もアメリカ色で彩られていた。米国至上主義で幸せかに見えた時代だった。


米国への期待と失望がいずれも裏切られるからといって、それは米国自体のジレンマではない。タイトルの「米国というジレンマ」は正しく表すと、「米国にまつわる、日本人のジレンマ」である。米国に夢や希望を一極集中させすぎたのである。ぼくのように英語とアメリカンカルチャーに精通しようと励んだ者ほど反動も大きい。自分勝手に期待して自分勝手に裏切られたのである。かつて米国に恋焦がれたぼくだが、未だにアメリカ大陸の土を踏んでいない。

米国に対してはやや失望気味のほうがジレンマに悩まなくてすむことをぼくは学習した。世界には多様な価値観が存在するのだ。大企業が苦戦するように大国も苦悩に喘ぐのである。警察官だって犯罪に手を染めるのである。正義も誤るのである。当たり前だ。

米国との関係性におけるジレンマにうろたえるよりも、そろそろ国家も個人も自分自身が直面している日本社会のジレンマを何とかすべきだろう。「欲望を強くすればやがて身を滅ぼす。また節度を守れば土足で踏みにじられる。欲望に走っても節度を守っても危うい生き方になってしまう」。さあ、どうする?