十店十色のメッセージ

2008年 140
2009年 226
2010年 203
2011年 120
2012年   51
2013年   33
20131227日現在)

本ブログ“Okano Note”の過去の更新回数である。ちなみに初年度の2008年は実質7か月だからかなり頑張っていたのがわかる。年々逓減、半減して今日に至る。最近は更新頻度が低く、一か月近く開くこともあった。知の劣化なのか、発想の貧困なのか、多忙だからなのか……。自己分析すれば、いずれでもない。マメさと凝り性が人並みに落ち着いたということだろう。
当然ながら、ブログを更新したり管理したりするダッシュボード上のお知らせをしっかり読んでいない。一昨日、「現システムのサポートがまもなく終了します」と未来形で出ていて、ちょっと慌てた。そして、今日、「▲重要:ご利用の製品のサポートは終了しています」と完了形になっていて、焦った。サポートが終了したからといって、すぐに使えなくなるわけではないらしいが、過去のブログを保護するには、早晩、別のシステムに移行しなければならない。見積もりをしてもらったら10万円くらいかかるとのことである。

それはさておき、このお知らせはとてもわかりやすかった。ぼくの注意を喚起して対策を取るべく行動へと駆り立てた。メッセージは、注意、情報、案内、訴求、説明、説得、言い訳などのために書かれ掲げられる。ねらいはいろいろあるが、他者と関わる必要性から生まれる。二十代後半から三十代前半に広告関係の仕事に身を置いたので、メッセージの表現には目配りする習性がある。おびただしい広告コピー、看板、注意書きが毎日目に飛び込んでくる。上記のお知らせのように簡潔でピンポイント効果の高いものもあれば、さっぱり訳のわからないもの、戸惑ってしまうもの、単にウケだけをねらっているものなど様々だ。店や当局が伝えるメッセージはまさに十店十色の様相を呈している。
トイレに入ると「人がいなくても、水が流れることがあります」というシールが貼ってある。男性トイレで小用を足すとき、便器の前に立つとセンサーが人を感知し、小用を終えてその場を離れた直後に水が流れる。このことを男性諸君が承知しているという暗黙の前提に立って掲げられたメッセージだ。だが、「人がいなくても水が流れること」をなぜ人に知らせているのか、とても奇妙である。
横浜の中華街では「不法な客引き・ビラ配り。栗の押し売りにはご注意ください」が目を引く。なにしろ「栗」に特化した呼びかけだ。押し売りされた後で気づく場所にあるので、後の祭り。同じく横浜で「大麻入りビール」と大きく看板を掲げた店を見かけた。かなりヤバイ。ヤバイと言えば、別の所に「さわるな! さわるとヤバイです」というのがあった。ヤバイに反応する者も少なくないので、さわってみたいという好奇心を刺激する。
 
古着屋の看板.jpgこの写真は大阪の天神橋商店街の古着屋の看板である。「古着屋はギャグまで古い!」に続けて「3枚でレジがアホになる!」と大きな見出し。今となっては懐かしいナベアツ(現桂三度)の「いち~、に~、さ~ん」のもじりである。ウケねらい、店主が楽しんでいる。大阪以外の方々は「さすが大阪」と感心するが、この手口は日常茶飯事で見慣れているから、さほど驚きはしない。

過剰なる礼讃

さして強い関心もなく、また親しんでもいない事柄だからといって、頭ごなしに否定するほど料簡は狭くないつもりだ。だいいちそんなことをしていたら、きわめて小さな世界でごくわずかな関心事をこね回して生きていくことになってしまう。そんな生き方は本望ではないから、異種共存をぼくは大いに歓迎する。そして、多様性に寛容であるからこそ、自分の存在も関心事も、ひいては意見も主張も世間に晒すことができると考えている。

「ブログを時々読ませてもらっています。ツイッターのほうはやらないのですか?」と聞かれたこと数回。「ツイッターには関心ないのですか?」とも言われた。ツイッターに関しては本も読み、年初に塾生のTさんのオフィスに行って詳しく教わり、その後に食事をしながらIT系のコミュニケーションメディアについても意見を交わした。「ツイッター、いいのではないか」と思ったし、そして今も、「ツイッター、はまっている人がいてもいいのではないか」と考えはほとんど変わっていない。ただ、ぼくはツイッターに手を染めてはいない。どうでもいいなどとは思っていないが、ツイッターをしていない。する予定もないし、しそうな予感も起こらない。

物分かりのいい傍観者のつもりなのに、ツイッターをしていないだけでツイッター否定論者のように扱われるのは心外である。ぼくは自動車を所有せずゴルフもしないが、自動車とゴルフの否定論者ではない。車についてゴルフについて熱弁する知人の話に「静かに、かつ爽やかに」耳を傾ける度量はある。関心もなく親しくもない人間と話をするし食事もする。ごくふつうにだ。しかし、恋い焦がれることはない。強く求めもしないし強く排除もしない。いや、それどころか、存在をちゃんと認めている。共存するのにたいせつなのは、情熱ではなく寛容だと思うのである。


IT関連の知り合いから定期的にメルマガが配信されてくる。一人はかつて親しかったが、ここ数年会っていない。もう一人は一、二度会った程度で、「名刺交換した方に送らせてもらっている」という動機からの配信だ。前者がツイッター礼讃者であり、後者がipad礼讃者である。後者のメルマガはほとんど見ないが、前者には時々目を通す。彼は「ツイッターがすごいのは、世界中の人と出会うきっかけを提供していることだ」と主張する。さらに、「もっとすごいことは、繋がりを維持し続けることができることにある」と強調する。まことに申し訳ないが、本人が「すごい」と力を込めて形容するほど、ぼくにはすごさが伝わってこない。

世界の人々との繋がりを特徴としたのはツイッターが最初ではない。かつては飛行機がそうだったし、電話・テレックスがそうだった。旅をして現地の人々と交流するのも繋がりだろう。実は、繋がりはずいぶん使い古されたことばなのである。しかし、よく喧伝されるわりには、世界の人々は現実的には繋がってなどいない。ツイッターによって具体的にどう繋がっているのか、そして、繋がりとはいったいどういうことなのかが実感としてわからない。彼の言い分はぼくには仮想にしか見えないのである。

最後に「特に書く内容を熟慮もせず、時間的コストもかけず、多くの人と繋がりを維持することができる」と締めくくっている。彼は真性のツイッター礼讃者のようだ。熟慮もせずに書くメッセージをやりとりして、いったいどの程度に世界の人々は繋がることができるのか。ツイッター上だけでなく、安直なつぶやきで日々繋がろうとしている人たちはいくらでもいる。そして彼らは対人関係上もネット上もただつぶやくのみ。その場かぎりの、思いつきのつぶやきごときで世界の人々が繋がるなどということはにわかに信じがたい。

手紙を否定しないように、ぼくはツイッターも否定しない。しかし、構造のうわべだけを過度に礼讃するツイッター信奉者に首を傾げている。

人それぞれのテーマ

休みの朝だが、少し調べたいことがあって本を読み、ついでに関連項目をネットで拾っていた。電源オフの直前、知り合いのブログをいくつか覗いた。更新頻度はいろいろあるが、みんな頑張って書いている。ぼくはと言えば、ブログを始めてから今年の6月で丸2年になる。ほとんどの読者はぼくを知っている人たちだと思われる。そんな読者のうち、数人の知人もしくは塾生は驚きを示す。驚きは、「感心する」と「呆れる」の二つの意味を含む。

感心してくれる人は褒めてくれている。表現はいろいろだが、おおむね「よくもまあ難しいテーマについて週に45日も書けるものですね」に集約される。呆れる人は必ずしも貶しているわけではないのだが、なぜもっと小さな記事にしたり写真を入れたりしてフレンドリーにしないのかという意味を込めて、「よくもまあ難しいテーマについて週に4日も5日も書けるものですね」と評するのである。そう、いずれの人たちもコメントの内容は変わらない。

ぼくの筆頭読者はぼく自身なのである。まず自分のアタマを整理するために文章化している。文章化の第一義は、あくまでも考えを明快にして筋道を通すためであり、それをメッセージにして第三者に伝えるのはその次の段階だ。「よくもまあ難しいテーマ」と言われるが、難易の感じ方は人それぞれである。また、ぼく自身小さなノートにメモしている事柄を発展させた話が中心なので、自分ではまったく難解なテーマだとは思っていないし、よそ行きにアレンジしているわけでもない。


問い返したい、「よくもまあ、自分のことや身の回りのことなど、どこにでもありそうな話を毎日毎日書けるものですね」と。昨日は誰々と飲食し、会社では何々をして、自宅で子どもや犬と遊んで、風呂に入って寝た、明日から旅行だ、楽しいな……このような体験と感想の羅列だけなら、ぼくなどもう何も書けなくなってしまう。ほとんど毎日がきわめて日常的なの連続で、非日常的な晴れハレなどめったにないから、たちまちネタ切れを起こしてしまうに違いない。

辛辣なアイロニーのつもりはない。若い頃何度も日記に挑戦したが、日々の出来事や思いを徒然なるままには書けなかったのだ。明治の文豪たちの筆致、たとえば「檜屋にて山本と飯を食らふ。日高くして酒を一合ばかりあおる。ほろ酔い気分のまま、外気に触れるや否や小便を催すなり」のような文章が、精細に丹念に筆書きされたのを羨ましく眺めたものである。平凡な日常を観察する習性を持ち合わせてはいるが、そこまで接写的に感想を連ねるのは苦手だった。やむなく、気づいたり考えたり想像したりすることを書くようになったのである。

作家の阿刀田高も講演で同じようなことをユーモラスに語っていた。正確には再生できないが、「自分はミステリーなどの創作ばかりを手掛けている。創作は大変だろうと同情されるが、そんなことはない。自分からすれば私小説なるものを書く人間のほうがずっと大変だと思う」という話があった。まったく同感なのである。「私」の視点から日々のおこないや小さな事件や思いつきを真面目に書き綴ることはぼくにはできない。

自分のこと、身の回りのことを諄々と書く私小説家には、マンネリズムにびくともしない逞しさを感じてしまう。「朝六時半に起きた。寒い朝だ。トイレに立って小便をする。洗面で髭を剃り顔を洗い髪をセットして着替え、妻とトーストを食べた。昨日はイチゴジャム、今朝は黒ゴマペーストであった」。仮に一度こう書いたら、別のページで二度と同じことを書けない。また、この程度のことを文飾豊かに言い換えようとも思わない。ゆえに、ぼくは体験や知識から触発された考えや意見を主として書く。それならいくらでも書けるからだ。決して偉ぶっているのでもなければ、私の日々を徒然記す作者を馬鹿にしているわけでもない。「テーマは人それぞれだ」と思いなしている次第である。

ネタはランチタイムから

その昔、朝日新聞の天声人語で「困ったときは動物園ネタ」というのが紹介されていた。上野動物園に電話をかけるなり出掛けて行くなりして話を聞くのだそうだ。なるほど、動物ネタは好感材料である。ブログもそうだが、毎日何かについて書くというのは大変だ。ぼくなど毎日登板しないから、さほどでもない。また、書くのが億劫ではないので、ネタさえあれば短時間で綴ってしまう。

「ブログのネタに困ったらランチに行け」というのが今日の話のネタではない。ブログがそこまで負担ならさっさとやめてしまえばいい。ここで言うネタとは、仕事のネタ、特にぼくの場合は企画のネタや講演のネタや談笑のネタのことである。いや、ネタそのものでなくとも、ネタの触媒であってもいい。ほぼ毎日一回体験するランチタイムを、ただ腹一杯にするだけの時間にしてはもったいない。箸を動かしながらも店舗観察、人間観察、慣習観察をするのは楽しい。ランチタイムはネタの宝庫なのである。

鰻をネタに何度かブログを書いた知人がいる。この人、これからも書きそうな気がする。彼には大いに共感する。どういうわけか、鰻屋では初めての体験や傑作な光景に出くわす確率が高い。今から14年前のノートにも鰻屋の話を書いているので紹介しよう。


昼食に鰻を食べた。昼はなるべく野菜を多めに取るようにしているが、いきおい中華丼(中華飯)や五目焼きそばということになってしまう。それでは飽きる。たまには鰻丼も悪くない。と言うわけで、ピークを過ぎた時間帯に一人で鰻丼を食べに行った。食べ始めてしばらくすると、年恰好70歳くらいの男性がお勘定に立った。お勘定を終えて、調理場のほうに向かって店の大将に話しかける。

「○○に勤めていた何々です。大将、覚えておられますか? この界隈に30年ぶりに来ました。懐かしいですわ」

しばし会話が続く。最初一瞬首をかしげた大将、話をしているうちに思い出した様子である。それだけ久しぶりとなると、最後にそのお客さんが来たのは推定40歳頃になる。よくぞ大将が思い出したと感心するが、顔を思い出したのではなくて「〇〇」という社名から記憶がよみがえったのかもしれない。

老人が店を後にして、残った客はぼく一人。しばらくして店員の二人の姐さんの会話が始まる。姐さんたちも還暦前後である。

姐さんA 「三十年前なあ。十年一昔言うから、”三昔”やね」
姐さんB 「ほんまほんま。そんな昔、まだ生まれてへんわ」
姐さんA 「そらそうやわ。わたしがちょうど生まれたかどうかいうくらいやもん」

ここでご両人、自分らの会話に大爆笑。大阪では、吉本新喜劇にわざわざ行かずに、鰻屋でミニ漫才が楽しめる。


さっき中華のランチから帰ってきた。スタッフと二人で食事をした。仕事の話に夢中で、周囲の”ネタ”探しはできなかった。ネタを見つけたいなら、ランチは一人で行くにかぎる。ランチタイムは「探知タイム」である。 

ノルマという強迫観念と習慣形成

親愛なる読者の皆さん、どうか透明な心でお読みいただきたい。ぼくにはまったく悪意などないし、誰か特定の方々に向けて嫌味を言うのではない。ブログでは当たり前のことだが、もし気に入らないくだりに差しかかったら即刻退出していただいて結構である。今日のテーマは、ブログに関する「観念と習慣」の話。

気が向いたら毎日、そうでないと一ヵ月も二ヵ月も空くブログ。こんな気まぐれと付き合う気はしない。規則正しい頻度なら週刊でもいいが、月刊は間が長すぎる。「待ちに待った」というほど読者は期待していないだろう。

この〈Okano Note/オカノノート〉は、自分なりにはリズムはあるものの、不定期更新である。しかし、月平均20日くらい更新しているので週に5日の頻度で記事を書き公開し、一ヵ月のうち60から80パーセント「埋めている」ことになる。書くテーマがあっても書く時間がないときがあるし、時間がたっぷりあってもテーマがさっぱり浮かんでこないこともある。もちろん、テーマ・時間ともに豊富であっても「その気」にならないこともある。ぼくに関して言えば、テーマも時間もないのに自分だけが「その気」になって書くことはない。


「毎日ブログを書く」にもいろいろある。数日間更新しなかったが、後日まとめて記事を書いて抜けた日々を埋めていくやり方―この場合、更新されたその日の分はしっかり読んでもらえるかもしれないが、その二日、三日前のはざっとしか目を通してもらえない可能性が高い。毎日日付が入っているという意味では「日々更新」というノルマは達成されてはいるが、意地と強迫観念が見え隠れする。

毎日一つの記事を更新する――これが純正の「日々更新」なのだろう。強迫観念だけではやり遂げられるものではない。もはや朝の歯磨きに近いほど習慣が完璧に形成されていないとできない。ある意味で、歯磨き以上の習慣力が必要だ。なぜなら歯磨きは3分間で済むし、毎日異なったテーマを求めてこない。ブログのエネルギーは歯磨きの比ではない。

数日間空いたのを後日穴埋めすることもなく、毎日更新する――それは感嘆に値する習慣形成である(たとえば、テレビでお馴染みの脳科学者・茂木健一郎のブログ「クオリア日記」がそれだ)。


昨年6月からブログを始めたが、ノルマを公表しなくてよかったとつくづく思う。ぼくは三日坊主の性分ではないが、毎日と決めるとアマノジャク的に嫌になってしまう。「気の向いたときに書いてみよう」という軽い動機くらいのとき、ぼくは結構マメにこなす。さほど暇人でもなく出張が多い身で、週45回更新していたら一応合格ではないかと思っている。

ここで話を終えてしまうと、「なんだ、やっぱり毎日更新しているオレに対する嫌味じゃないか!?」と思われてしまう。そうではない。ブログは一種の観念であり習慣であり、場合によっては意地であり修行である。そんなブログを毎日更新している方々に敬意を表しておきたい。マラソンにたとえると、ぼくの前を走るペースメーカーのようだ。背中を見ていると何とかついていけそうな気がする。しかも、強迫観念の風はぼくには当たらないのが何よりである。 

年賀状という「年一ブログ」

年賀状準備の時期になった。当たり前のことだが、年賀状というものは、投函する前にまず書かねばならない。書くにせよラベルを貼るにせよ印字するにせよ、宛名・住所は面倒である。しかし、もっと面倒なのは裏面の原稿である。

ぼくが作成する年賀状は、社名で差し出す一種類のみである。公私の隔てはなく、仕事と無縁な知人や親類にもこの年賀状を出す。創業当初の数年間は現在とは異なるスタイルだったが、1994年から15年間現在の「型」を継続している。

ぼくの年賀状を受け取ったことのない人はさっぱり想像がつかないだろうが、裏面には謹賀新年から始まり文字がびっしり印刷されている。だいたい二千字前後である。正月早々これを読まされるのは大変だと思う。したがって、ごく一部の熱狂的なマニアを除けば、たぶん読んではいない。後日、年賀状の話題が出たときに読んでいないとばつが悪いので、一月中にぼくと会う可能性のある知人は、キーワードくらいは覚えておくのだろう。


ハガキサイズにぎっしり二千字。もはや「小さな」という形容では物足りないフォントサイズになっている。「濃縮紙面」とでも呼ぶべき様相を呈している。だから、友人の一人などは、このハガキをコンビニへ持って行きA4判に拡大して読むそうである。ありがたい話だ。なお、原本はA4判なので濃縮したものを還元していることになる。

市販の定番年賀状を買えば宛名と住所だけで済ませられる。実際、そうして送られてくる年賀状が2、3割はある。誤解しないでほしい。そのようなまったく工夫のない年賀状をこきおろしているわけではない。むしろ、差出人にのしかかる負担と抑圧の少ない年賀状が羨ましいのである。いや、ぼくにとって、ほとんどすべての年賀状がぼくのものよりも文章量が少ないという点で羨むべき存在なのだ。

干支をテーマにしておけばさぞかし楽に違いない。なにしろ干支は毎年勝手にやってきてくれる。いきおい文字や図案に凝ったり写真を散りばめたりする方面にエネルギーを注げる。ところが、ぼくの場合、毎年11月中旬頃から数週間ずっとテーマを考える。テーマが決まると、二千字で文章を綴るのは一気だ。たぶん半日もかからない。但し、印刷・宛名とその後の作業がせわしくなるので、デザイン要素は最小限にとどめる。こうして文字だらけの年賀状が刷り上がる。


スタイルの踏襲は意地の成せる業か。15年という歳月にわたる継続は、簡単にスタイルの変更を許してくれない。「毎年楽しみにしています」というコメントをくれる十数人を裏切ってはいけないという、一種の情が働くのか。スタッフも全員、ぼくの手になる年賀状を社用で利用する。醸し出すべき個性と社風の両立も難しいが、テーマ探しとスタイルの継承が精神的負担になり抑圧になる。

今年は負担と抑圧が例年より大きい。なぜだろうとよく考えたら、わかった。年賀状はぼくにとって、年に一回したためるハガキ判のブログだったのだ。それが、今年6月から本ブログを始めたために、意義が薄まったような気がしてならないのである。振り返れば、ブログ習慣というのは、二日に一回のペースで年賀状を書いているようなもの。あらためて一年ぶりの更新に戸惑っている。

負担、抑圧、苦痛に耐えて何とか平成21年度の年賀状の構想が仕上がった。今日一気に書き上げる。ちなみに、平成20年の今年に差し出した年賀状を紹介しておく。

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