イタリア紀行27 「歴史が描き出す風景」

ベルガモⅡ

この街を訪れた前年に、ベルガモが生んだガエターノ・ドニゼッティ (1797-1848)の歌劇 “L’Elisir d’amore” (愛の妙薬)を偶然にもCDで聴いた。また同時期にNHKラジオイタリア語講座でも歌詞を読んでいた。少しは親近感があったわけである。CDではアディーナという娘に心を寄せるネモリーノを偉大なテノール歌手ホセ・カレーラスが演じている。このオペラの舞台はバスク地方の村で、北イタリアの都市とは関係がない。さきほど久々に聴いてみた。ベルガモにも合っているような気がしたが、もちろん勝手な連想である。 

風景というのは地形がつくり出す。しかし、自然に任せた地形だけなら、ぼくたちが目にする風景はさほど変化に富むことはないだろう。塔に登れば地上とは異なるパノラマが広がる。見えざる地形を塔が人為的に演出してくれるのだ。同じように、城塞や城壁跡の遊歩道は歴史が置き忘れていった風景を描き出す。ベルガモがヴェネツィア共和国に支配されていなかったら、城塞は生まれなかったかもしれない。すると、ベルガモの小高いチッタ・アルタの街もきっと別の姿に見えたに違いない。

「ベルガモは偏屈な街である。よそものにひどくよそよそしい。あんまりよそよそしいのでかえって面白い。住むとなると大変だろうが、よそよそしさを味わいに訪れてみるのも見聞を広めるのにいいと思う」(田中千世子『イタリア・都市の歩き方』)。こんなベルガモ人像があるらしい。これはイタリア人全般、とりわけ店舗の女性スタッフには当てはまる気がする。イタリア人には陽気で愛想がいいというイメージがつきまとうが、意外に人見知りをするというのがぼくの印象だ。

しかし、塔に登るまでに会話を交わしたベルガモ人は、フレンドリーで饒舌なまでに親切だった。レストランで給仕をしてくれた女性と、塔の下で切符を売っていたおじいさんだ。さらに塔から下りてきて、コッレオーニ礼拝堂を地上から眺めて以降も何人かのベルガモの人たちと接点があったが、誰一人としてよそよそしくなかった。むしろ街全体が気位の高いよそよそしさを感じさせるのかもしれない。

小高い丘に繰り広げる颯爽とした風景を歴史が刻んだように、ベルガモの凛とした空気も都市国家興亡の歴史の残り香に違いない。 《ベルガモ完》

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博物館で買った4枚綴りの絵はがき。中央のドニゼッティとゆかりの人物が一枚に一人配されている。
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地上から見上げると別の圧倒感で迫るコッレオーニ礼拝堂。白とピンクの大理石をふんだんに使ったファサードが見事。
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建物の玄関や柱の台などに見られる獅子の像。獅子はヴェネツィア共和国の象徴。ベルガモが1428年以来ヴェネツィアに支配されていた証である。
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しばし歩を止めて歴史が描く風景のノスタルジーに浸ってみる。
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地形に沿って蛇が這うようにくねる城壁の曲線。眼下にはベルガモのもう一つの顔、チッタ・バッサの街並みが見える。