旅先のリスクマネジメント(4) 買物とレシート

ショッピングにもトラブルはつきものである。トラブルに遭遇して損がなくケリがつけばいいが、自分に責任がないのに必要以上に金銭の持ち出しがあってはたまらない。

パリのカフェ.jpgエスプレッソを飲みにイタリアのバールに行くとする。カウンターで飲めば一杯120円が、室内やテラスのテーブルに座るとおよそ3倍になる。それを了承しているなら、店に入って黙ってテーブルに就けばいい。カメリエーレ(ウェイター)がやって来て注文を取ってテーブルに運んでくれる。出る時に皿の上に10円か20円ほど小銭を置いて出ればよし。チップは別に置かなくてもいい。
もしカウンターで立ち飲みするなら、店に入ってすぐにレジでコーヒーの代金を先払いしてレシートを受け取る。そのレシートをカウンターでバリスタに手渡せばコーヒーを作ってくれる。コーヒーを差し出すと同時に、バリスタはレシートを指にはさんで少し破って客に戻す。「取引終了」の印である。
 
 ジェラート店でも同じ。シングルかダブルディップかを決めて先にレジで代金を支払い、レシートを持って好みのジェラートを注文する。この順番を間違い、しかも万が一その店がたちの悪い店だとするとどうなるか。注文通りにコーンにジェラートを盛ったうえに、注文してしないトッピングや飾りつけまでされて商品を手渡される。それをレジで見せて後付けで支払えば、何倍もの料金をぼったくられる。豪華なジェラートを先に手にしてしまったら後の祭り。クレームをつけると、下手をすれば恐いお兄さんが出てくるかもしれない。

スーパーマーケットではレシートが命綱になることがある。くれぐれも軽率に捨ててはいけない。
 

南イタリアのレッチェという街でスーパーマーケットで買物をした。普段は商品の価格を見て暗算しながら概算を頭に入れてレジに並ぶが、その日はそれを怠ってしまった。この店のレジの女性はどの係も無愛想そうで商品の扱いも粗雑だった。画面表示に40ユーロくらいの金額が出たが、ちょっと高いなあと思ったものの軽はずみにお金を渡し、商品とレジ袋と釣銭とレシートを受け取った。数メートル離れたテーブルで商品を袋に詰めながら、レシートの金額の間違いに気づいた。

引き返して、次の客の精算中に割って入り計算間違いだと告げた。おばさんは頑として受け付けない。袋に入れた商品を見せレシートと一品ずつ照合し始めたら、「あなたはこの場をいったん離れた、商品をどこかに隠したんだろう」などと言うのである。おいおい、たまったもんじゃない。少々騒々しいやりとりにエスカレートしたのを見て男性スタッフがやってきた。事情を説明し、袋の商品とレシートを示し、ついでに服のポケットの中をチェックさせ、やっと一件落着した。語学が身を救った例である。

 ローマはテルミニ駅構内のスーパーマーケットで万引きと間違えられる危機一髪の事態に遭遇したことがある。高額商品を精算せずに持ち出すとセンサーが鳴るタイプの出入り口ではない。代わりにプロレスラーのような黒人ガードマンが立っている。その入口から店に入り買物をした。レジはその入口から一番遠い奥にある。そこで精算してレシートを受け取ってそのままレジ裏の出口から出る構造になっている。しかし、そこから出ると、駅の外の道路を迂回して元の位置に戻らねばならないので、店内を逆流してさっき入った入口から出ようとした。
 
普通に出られると思ったのが甘かった。案の定、ガードマンに止められ商品をチェックされ、レシートを見せろと言われた。さらに甘かったのはレジで精算を済ませた後に、少額の買物だったのでレシートをテーブルに置いてきたのだった。で、そう説明したら、ガードマンは「じゃあ、そこへ戻ろう」と言って、ほとんど連行状態でぼくを従わせた。「お前を担当したレジ係は誰だ?」と尋ねる。担当したレジの女性の顔は覚えていたが、その女性はそこにいない。どうやら交代したようだった。それで、そう言ったら、「じゃあ、置き捨てたレシートを探せ。オレはレジ係を探してくる」と厳しい口調。えらい災難である。レシートも見当たらず、レジ係もこんな客を覚えていないと証言したら万事休すだ。
 
ぼくはどう凌いだか。ガードマンが目を離した隙にレジ裏の出口から勢いよく外へ飛び出し、まっしぐらに逃走したのである。ガードマンが追いかけてきたのかどうかは知らない。しかし、無事にトラブルから逃れた。その後小一時間ほどは心臓がパクパクしていたのを覚えている。語学ではなく、逃げ足が身を救った例である。

お勘定の話

二十代半ばになって自分のお金で飲食して会計し始めた頃、たとえば寿司屋で「おあいそ」などと告げるのが心地よかった記憶がある。このことばには、どう好意的に解釈しても、ちょっと威張った客目線が見え隠れする。

三十過ぎになって「お勘定してください」と言うようになった。こっちのほうがいいと思ったからである。しばらくして、「おあいそ」は店側が発することばであることを知った。「せっかくのお食事のところ、勘定の話で愛想づかしなことですが……」が転じて「おあいそ」になったらしい。「ご馳走さま、お勘定してください」と客が言い、「おあいそですね。ありがとうございます」と店が返す、調子のよいやりとりが定番なのだ。

ところで、お勘定にはぼくたちの想定する以上に間違いが起こる。たとえば、注文していない料理が運ばれてきて、「それ、頼んでいないけど……」「あ、すみません。あちらのテーブルでした」というやりとりの後は要注意だ。会計時には明細をレシートでチェックしておくのがよい。すでに注文が記入されていて、アルバイトの店員が訂正忘れしていることがありうる。これまで何度もそんな経験をした。


 イタリアやフランスに旅するようになってから、わが国との会計の違いがいろいろあることに気づいた。イタリア語では“il conto”(イル・コント)、フランス語では“l’addition”(ラディショォン)と告げるが、席に着いたまま勘定を済ませるのがふつうである。現金であれクレジットカードであれ、テーブル上で支払う。ぼったくられそうになったことはあるが、勘定間違いされたことはない。そもそもレジを見掛けない。なお、バールやカフェにはレジがあるが、ほとんど先払いである。
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【写真はトリップアドバイザー提供】


ひときわユニークな会計をしていたのが、パリの有名レストラン『シャルティエ』だ。数字を書き込んだ紙はレシートではない。エンボスの入った紙製のテーブルクロスである。ウェイターやウェイトレスは注文を受けるのも料理を運ぶのも同一人物で、いくつかのテーブルを担当している。そして、料理を一品ずつ運んでくるたびに、テーブルクロスの端に直接ボールペンで品名と金額を書くのである。まだ出されていない料理と金額は記入されないから、間違いようがない。料理のすぐそばに見えているので、客もいつでもチェックできる。何よりも客が数字をごまかすことも不可能である。

日本ではかなりの高級店でも、客が帰り支度をして勘定書きを手にしてレジへ向かい、そこで機械的な処理を受けて支払う仕組みになっている。食べたり飲んだりする場をレストランと言うが、これは本来「休息の場」という意味だ。客どうしの会話もさることながら、料理人や店員とのやりとりももてなしの一つである。お勘定にも人間味があってもいいと思う。