イタリア紀行46 「パンテオンとナヴォーナ広場」

ローマⅣ

高密度で味わいのある空間。広場と教会が目白押しで、ぶらりと歩くだけでも楽しみの多い地区だ。パンテオンにやって来たのは6年ぶり。世界最大級のこの建築は、約1900年前に14代ローマ皇帝ハドリアヌスによって建造された。初代が焼失したので、現存するパンテオンは二代目になる。セメントと火山灰を成分とするコンクリートでできていて、ドームに代表される高度な建築技術は圧巻だ。

ギリシア語起源のパンテオン(Pantheon)は、“pan+theos”に由来する。「すべての神々」という意味で、パンテオンは「万神殿」と訳される。後世にはキリスト教だけを崇めるようになるが、当時は「神様のデパート」だった。ちなみにインフルエンザがらみで最近よく耳にする「パンデミック(pandemic)」もギリシア起源で、こちらは“pan+demos”。「すべての人々」というのがおもしろい。病は人々の間で蔓延するからか。

手元の資料によれば、パンテオン上部に設けられているクーポラ(円堂)の直径は43.2メートル。そして、おそらく計算の上なのだろうが、床からドームの尖端までの高さが同じく43.2メートルなのである。その尖端には「オクルス」という採光のための天窓があって、パンテオン内部の装飾をいかにも「神々しく」演出している。

パンテオンから西へおよそ300メートル歩けばナヴォーナ広場に出る。古代ローマ時代の競技場跡だけに、特有の細長い形状の空間になっている。晴れた日には、オープンカフェに座って集まってくる人たちや噴水をぼんやりと眺めるのがいい。雨の日には人は少なくなるが、濡れた建造物の壁と広い空間が何とも落ち着いた空気を醸し出してくれる。

広場には三つの噴水がバランスよく配置されている。北に『ネプチューンの噴水(Fontana del Nettuno)』、中央にオベリスクとともに『四大河の噴水(Fontana del Fiumi)』、そして南に『ムーア人の噴水(Fontana del Moro)』。いずれも噴水と呼ぶだけですまないほどの芸術性の高い彫刻で彩られている。肉体をくねらせた力強さと構図は、いくら眺めていても飽きることはない。

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パンテオン前のロトンダ広場。
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パンテノン正面の柱廊。
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巨大な列柱。
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強くもなく弱くもなく、絶妙な採光を可能にしている天窓の明りを見上げる。「オクルス」という名のこの天窓は「目」を意味する。
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パンテオン内部。ルネサンス期の人気画家ラファエロの墓がある。
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雨上がりのナヴォーナ広場。ムーア人の噴水。
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ネプチューンの噴水。
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オベリスクを中央に見る広場。
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昼下がりのカフェ。
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よく晴れた日のナヴォーナ広場の朝。この日は空が澄みわたり絶好の観光日和となった。いずれ紹介するアッピア旧街道に出掛けたのはこの日だった。

イタリア紀行45 「そぞろ歩き時々観光」

ローマⅢ

この紀行シリーズで紹介しているローマの写真に不満足なわけではない。だが正直なところ、これらの写真よりも一番最初にローマを訪れたときの写真のほうがバリエーションに富んでいる。それもそのはず、それから後に何度かローマに戻ってくるなどとは思いもしなかったから、できるかぎり方々へ足を運んで見るものすべてをカメラに収めたのだ。当時の写真を繰ると、彫刻家ベルニーニの手になる噴水の作品やトレヴィの泉、スペイン階段などがアングルと構図を変えて何枚も何枚も出てくる。「おのぼりさん的観光」をしていたのは間違いない。

トレヴィの泉もスペイン階段もコロッセオももう十分、それよりもまだ足を踏み入れたことのない裏町や路地に行けばいい。こんなふうに思って街歩きに出る。しかし、観光名所の近くに差し掛かりながら、脇目も振らずに一つ隣りの脇道にそれていくのはあまりにもひねくれている。過去に何度も見たからと言っても、あれから四年も過ぎている。足の向くまま気の向くままがそぞろ歩き(パッセジャータの原点なのだから、ついでに立ち寄ればいいと思い直したりした。

ローマにある7つの丘のうち一番高いクイリナーレの丘に初めて上る。道なりになだらかに坂を上がっていくので、高い所に来たという実感が湧かない。ここからトレヴィの泉は目と鼻の先なので、寄ってみる。トレヴィ(Trevi)は「三つの通り」という意味で、三つの通りが集まった角地に泉がつくられている。雑誌の写真などでは、巨大な彫刻と噴水を囲むように大勢の人だかりを見せるが、実際は「あっと驚く狭さ」である。何度行っても、どの通りから入っても、予想外の狭くて高密度の空間だ。

めったに土産物の依頼を受けないが、知人に皮の手袋を頼まれた。ご指名の店は、スペイン階段の前にあり、イタリア人店員が全員日本語を話すという、露骨なまでに日本人観光客をターゲットにしている。ふつうはこの種の店で絶対に買物しない。でも、店指定の頼まれ物だから仕方がない。割り切ってスペイン階段方面へ歩を進めた。

カンポ・ディ・フィオーリへも初めて行ってみた。この広場は名前の由来通り、もともとは花の市場だったらしいが、今では大半が八百屋、一部ハム・ソーセージ・チーズの店や乾物屋。花屋さんは少ない。素直に感想を述べれば、ローマの名門市場というには「がっかり」である。

ただ、ここにある19世紀に建てられた像には注目だ。コペルニクスやガリレオと同様に「地球自転説」を唱えた哲学者ジョルダーノ・ブルーノ(1548―1600)の像。元司祭だったが、天文学にも精通していて地球外生命の存在も主張していた。処刑を前にして、「真に恐れているのは、私ではなく、私を死刑にしようとしているあなたがたの方だ」と語ったという。司祭だった彼はカトリック教会を破門され異端審問を逃れるためフランスやドイツを転々とした後に、幽閉されて16002月にこの広場で火あぶりにされた。

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人だかりのトレヴィの泉。
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実際に見るとこのスケール感はない。
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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。
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記念堂の階段から見下ろしたヴェネツィア広場のスケッチ。
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雨上がりのスペイン階段。
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        カンポ・ディ・フィオーリの市場。
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パリのバスティーユのマルシェをイメージしていたので、少々期待外れだった。
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ジョルダーノ・ブルーノの像。火刑後280年の歳月を経て建てられた。