大半の問題は良識で解決する

ぼくの習慣に倣って二年ほど前から気づくこと、見聞きしたことをノートに記録し始めたKさん。二冊目に突入した二、三ヵ月前、「気持が切れないようにするために、何か書いてほしい」と言ってきた(一冊目のときもそうだった)。そして、表紙を開けて最初のページを指差し、「ここにお願いします」。頼まれて揮毫などする立場でもないが、ありがたいことに彼はぼくを師と慕ってくれているようである。最近造語したばかりの四字熟語があったのでためらわずに油性ボールペンで書き、これまた求められるまま日付を入れて署名した。

「善識賢慮」というのがそれである。「良識」と書くつもりだったが、「良」という文字よりも「善」のほうがバランスが良さそうなので咄嗟に変えた。バランス以外に他意はない。格別なニュアンスの違いがあるのかもしれないが、善識と書いたものの意図は良識のつもり。これは、フランス語の「ボンサンス(bon sens)」の訳語であり、英語の「コモンセンス(common sense)」から訳された常識とは違う。意味に重なりはあるものの、良識は主として判断力にかかわる理性的な感覚である。先天的な普通の感覚ではない。これに対して、常識は健全な人なら誰もが持っている知識とされる。常識は、時と場合によっては、好ましくない強迫観念や固定観念の意味を込めて使われることがある。

ちなみに賢慮はアリストテレスのフロネーシスから「すぐれた思考」。四字熟語を書いた時点では、以上のような理解であった。その後何度か、人前で話す機会があり、良識と問題解決の関係についてぼくの考えていることを伝えたりした。「生活や仕事で知恵を発揮するのに天才である必要はない」という話である。アイデアの大部分が良識の範囲から生まれてくるものだ。そう、良識である。これは良識であって、常識ではない。常識はアイデアの邪魔をすることがある。ゆえに、「常識に振り回されるな、たいせつなのは良識だ」というひろさちやの主張に通じる(氏の『日本人の良識』は立ち読みしかしていない、悪しからず)。


良識を発揮すれば、日常生活上や仕事上のほとんどの問題は解決できる。簡単にというわけではないが、現象としての問題に気づき、その原因に見当がつくのであれば、極上のひらめきや理性でなくても、まずまず明晰な判断力を用いれば何とかなる。但し、最上のソリューションを期待してはいけない。昨日が50点なら、ひとまず60点を目指すようなベター発想がいい。その時々の小まめな判断と解答を迅速にこなしていけば、アイデアがひらめくものだ。

こうして今日得たアイデアはベストな普遍法則などではないから、明日は役立たないかもしれない。しかし、別の課題に対してはそのつど日々更新していけばいい。小さな課題を小さく解いているうちに臨機応変のアイデアが増えてくるし、ひらめきの回路も鍛えられてくる。生活や仕事、ひいては人間関係や社会とのつながりをつねに動態的にとらえることができるようにもなる。天才を要する至高命題さえ棚上げすれば、良識は「よりよい価値創造」に働いてくれるのだ。少なくとも、ともすれば陥りがちな知的怠惰を未然に防ぎ、状況に応じた「機転のきく知恵」を授けてくれるだろう。

Kさんに四字熟語を贈ってから、おそらく三度目になると思うが、中村雄二郎の『共通感覚論』を読んでみた。良識についてこの本ほどよく考察された書物を他に知らない。ぼくの良識観がこの本の影響を強く受けていることが手に取るようにわかる。何ページにもわたって引用して紹介したいが、今日のところは、ことば足らずを承知で都合よくまとめておく。

「良識という感覚は、ぼくたちと人との関係をつかさどる。細部のすべてがわからないまま全体を把握せねばならないときに、困難を打開してくれるのが良識。良識は葛藤する事実と理性の間で選択を促す。たえず更新される真理をめざす知的活動の源であり、生の意味を問いつつ思考と行動とを結びつける(公正の精神にもとづく)社会的判断力である」。 

「なぜおまえはこんなに苦心するのか」

表題は手記に書かれたレオナルド・ダ・ヴィンチのことばである。正確に記すと、「可哀想に、レオナルドよ、なぜおまえはこんなに苦心するのか」だ。前後の文脈からは意図がよくつかめない。ここから先はぼくの類推である。

ダ・ヴィンチが生を受け天才ぶりをいかんなく発揮したのは15世紀半ばから終わりにかけての時代。コロンブスのアメリカ大陸発見(1492年)は、13世紀から続いてきた東方レヴァント貿易の集大成であった。ダ・ヴィンチが一世を風靡した時代、画家や彫刻家のほとんどは十代の頃に工房に属していた。親方の指導のもと教会や有力パトロン(たとえばメディチ家やスフォルツァ家)からの依頼に応じて作品を制作していた。

当時はみんな職人で、まだアーティストという概念などなかった。ダ・ヴィンチは生涯十数作の絵画しか残していない。この数字は、天才にしては寡作と言わざるをえない。ボッティチェリ(7歳年長)やミケランジェロ(23歳年下)は仕事が早かったらしいが、ダ・ヴィンチは絵画以外のマルチタレントのせいか、あるいは生来の凝り性のせいか、筆が遅かった。筆が遅いため納期を守れなくなる。実際、納期をめぐって訴訟も起こされた記録が残っている。世界一の名画『モナ・リザ』も、元を辿れば納品されずに手元に残ってフランスに携えていった作品だ。だから、経緯はいろいろあるが、パリのルーヴル博物館が所蔵しているのである。


手記の冒頭をぼくなりに要約してみる。

私より先に生まれた人たちは、有益で重要な主題を占有してしまった。私に残された題材は限られている。市場に着いたのが遅かったため、値打ちのない残り物を買い取るしかない。まるで貧乏くじを引いた客みたいだ。だが、私は敢えてそうした品々を引き取ることにする。その品々(テーマ)を大都会ではなく、貧しい村々に持って行って相応の報酬をもらって生活するとしよう。

天才はルネサンスの時代に遅くやってきた自分を嘆いているようだ。明らかにねている。しかし、これでくすぶったのではなく、前人未到の「ニッチのテーマ」――解剖学、絵画技法、機械設計、軍事や建築技術など――を切り開いていく。天才をもってしても「苦心」の連続だったに違いない。それにしても、自身の苦心を可哀想にと嘆くのはどうしてなのか。おそらくこれはダ・ヴィンチの生活者としての、報われない悶々たる感情であり、同時に「まともに苦心すらしない愚劣な人たち」への皮肉を込めたものなのだろう。

孤独な姿が浮かんでくる。だが、他方、ダ・ヴィンチは「孤独であることは救われることである」とも語る。ひねくれて吐露したように響く「なぜこんなに苦心するのか」ということばも、「執拗な努力よ。宿命の努力よ」という手記の別の箇所を見ると、多分に肯定的な思いのようにも受け取れる。


ダ・ヴィンチほどの天才ですら、好き勝手に絵を描いたのではなかった。注文を受けて困難な条件をクリアせねばならなかったのである。

誰からも指示されずに、自由に好きなことをしたいというのは自己実現の頂点欲求だろう。しかし、もしかすると、こんな考え方は甘いのではないか。いくつもの条件が付いた高度な課題を突きつけられ、何かにつけてクレームをつけられたり値切られたり……案外、そんな仕事だからこそ工夫をするようになり技術も磨かれるのではないか。どことなく、フィレンツェの工房がハイテクに強い下町中小企業とダブって見えてきた。近世以降、画家たちのステータスが職人から芸術家へと進化したのは、間違いなくダ・ヴィンチの功績である。最大の賛辞を送ろう。但し、天才の納期遅延癖を見習ってはいけない。現代ビジネスでは命取りになる。

来週の月曜日、京都の私塾で以上のような話を切り口に、今という時代のビジネスとアートの価値統合のあり方を語る。塾生がどう反応しどんなインスピレーションを得てくれるのか。ダ・ヴィンチ魂を伝道するぼくの力量が問われる。