その人はどんな人?

なぞなぞ風に考えていただこう。

「その人はゆっくり喋る。時には寡黙を決め込む。決して慌てず、急がない。そう、マイペースを保つ。仕事を欲張って抱え込まない。仕事が増えてくると断ることさえある。場合によっては、自分の仕事を同僚や部下に回してあげる。休暇をきっちりと取る。趣味の時間をたっぷり取る。さらに、ここまで挙げたことと打って変わるようだが、その人はお任せ的な生き方・働き方が好きで、自ら意思決定をすることはめったにない」

さあ、どんな人なんだろうか? 十数年前にぼくは複数の人々をよく観察し、その人たちに共通する特性を以上のように絞り込んだのである。一体どんな人なのか? 答えは「ストレスの溜まらない人」である。えっ? と思った方がいるかもしれない。ストレスを溜め込まない人には、明朗でアバウトで嫌なことをすぐに忘れて……などのイメージがつきまとうようだが、それは誤った通念である。にわかに信じがたいなら、試みに上記の段落の個々の文章を打ち消し文にするか、表現を対義語に変換すればいい。「その人は早口で喋る。いつも慌てていて、急いでいる……」というように。そこに描き出される人物が「ストレスを溜めてしまうタイプ」であることが明らかになるだろう。


「彼は強烈なリーダーシップを発揮する。仕事も趣味も愛し、いつも元気に高笑いしている。わがままで好き放題に生きているわりには、人から信頼されていて、いつも取り巻きに愛されている」。一見すると豪傑タイプに見えるこの彼が、実は神経質でストレスに苦しんでいたりする。逆に、気が小さくてナイーブ、人の顔色ばかり見ておどおどしているようなタイプが、ストレスにはまったく動じていなかったりする。人とストレスの関係は不可思議である。

ストレスの心理や科学についてはまったく不案内である。ぼくのストレス観は、英和辞典の意味に忠実で、「圧力、抑圧、緊張」。仕事や人間などの対象から解放されているとき、人は圧力、抑圧、緊張を軽減することができる。但し、対象の中には内なる完璧主義や理念のようなものがあって、これらがストレス要因になったりすることもある。脱ストレス的生き方をしようとすれば、対象へのこだわりを少なくし、対象を軽く流すことが不可欠になる。これが冒頭で描写した生き方に通じてくるのだ。

対人関係におけるストレス。人間が二人以上集まり、そこに一人とは異なる関係が生まれる時、何らかのストレスが生まれる。ストレス量が10で、二人が5ずつ分け合えばまずまずだろう。実際は、ストレスの溜まり具合は偏る。だから自分が楽なときは相手がしんどいのだろうとおもんぱかってみる。だいたいにおいて、ストレスを溜めない人間がいれば、その周りの人間にストレスが溜まっているものである。最悪は、本来のストレス量が両者に分散されず、それどころか、それぞれが倍のストレスを受け取ってしまうケース。こうなると関係修復はむずかしい。