問うことの意味

概念の大小関係上、「歩いている」は「動いている」の集合に含まれる。だから、誰かが歩いているという事実は、必然的に動いていることを意味する。逆に、「動いているから歩いている」は確定しない。歩いているかもしれないが、走っているかもしれないし跳びはねているかもしれないからである。したがって、「動いている」という描写に対しては、ふつうぼくたちは「もう少し詳しく言うと?」や「具体的には?」と聞きたくなる。大から小へと概念レベルを下ろしてほしいと言っているのだ。「さあ、移動しよう」に対して、徒歩か電車かバスか車かと移動手段を聞くのは当たり前なのである。

別の例を挙げよう。「品川に出張した、有馬温泉で一泊した、桜島を見学した」がそれぞれ事実ならば、それぞれに対応して東京、兵庫、鹿児島に滞在したのは確かだ。だから「品川で仕事? ほう、つまり東京出張ですな」などという、言わずもがなの推論にほとんど出番はない。ところが、「兵庫に遊びに行っていました」に対して、「あ、そう」では愛想もリアクションも無さすぎて会話の体をなさない。よほど無関心でないかぎり、「どのあたり?」か「海? それとも山?」などと尋ねるものだろう(それが嫌な者は人間関係には向かない)。

自前で推論できるなら、何もかも問うことはない。「詰問」などの強く問いただすという意味もあるが、今はそんな話をしているのではない。会話をしていて、知らないことや推論できないことに出くわせば、もっと知ろうとして聞き、確かめたくて問うものである。「その人は携帯を耳に当てていた」と誰かがポツリと言って黙ったとする。あなたは「何かを話したり聞いたりしていた」と勝手に推論するかもしれない。そう推論して、そこで話を終わらせるのか。それでは真相はわからない。その人が話をしていたか、相手の声に耳を傾けていたか、留守録を聞いていたか、あるいは電話をする振りをしていたか、単なる癖であるかは、確かめないかぎりわからないのである。


繰り返すが、知らないから――あるいは、もっと知りたくて――聞くのであり、確かめたいから問うのであり、さらには、興味があり好奇心がくすぐられるからもう一歩踏み込んで尋ねているのである。このうち、「知らないから聞く」を恥ずかしいものだと見なす文化がわが国にはあったし、今もある。「問うは一度の恥、問わぬは末代の恥」が典型である(この諺は「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」としてよく知られている)。知らないことをそのままにしておくのはよろしくない、だから恥を忍んで尋ねなさいと教えている。問い聞くことの重要性を教え諭すのはいいことである。

だが、ぼくは待ったをかける。これでは、問うも問わぬも、聞くも聞かぬも恥の扱いを受けているではないか。たとえ一度や一時であっても質問行為に恥の烙印を押すことが解せないのである。立派な大人がフランスの首都を知らないことは恥なのか。いや、それは無知なのである。そして、無知であることは必ずしも恥ずかしいことではない。いい歳になるまでパリだと知らなかったことは無知である。だが、「すみません、フランスの首都はどこですか?」と聞くのは恥でも何でもないし、この問いを境目にして無知とさよならできる。

さまざまなジャンルやレベルでぼくたちは、一方で博学、他方無知であったりする。世界一物知りでも、知らないことは知っていることよりも圧倒的に多いのである。知らないことや忘れてしまったことを、知っている人や覚えている人に聞くことの、いったいどこが恥なのか。問い聞く者は、恥どころか、幸福を味わうのであり、他方、尋ねられる者も光栄に浴するのである。あの諺で「恥」と言ってしまっては、見栄っぱりはたとえ一度でも一時でも恥をかきたくないだろうから、結局末代まで知ったかぶりし続ける。恥すらかかない。ただ無知な人生を送るだけである。ゆえに、諺は「問う(聞く)は知への一歩、問わぬ(聞かぬ)は無知の一生」と改めるべきだと思うが、どうだろう。

知らないことばかり

二十代、三十代の頃、現在の年齢を遠望しては「そのくらいの歳になったら分別も備わっていろいろと見えているだろう、知識もだいぶ深く広く修めているだろう」などと楽観していた。楽観は甘かったと痛感し始めたのが五十も半ばになってからである。もっと大人になっていると当て込んでいたが、目算外れもはなはだしい。齢を重ねても、未熟な部分はしっかり残っている。青少年的未熟ならいいが、幼児的未熟に気づくと愕然とする。

もちろん、そこまで悲観しなくても、未熟性が克服できている一面もないことはない。ぼくの親戚筋からすれば、人前に出て講演をしたり会社を経営したりしているのは驚きらしいのだ。青少年時代に静かに考えたり読書をしたりする性向はあったものの、まさか議論好きへと大転向するなどとは夢にも思わなかったようである。

たしかに無知や不知が部分的に解消されて、知っていることも増えた。どんなに無為無策に生きたとしても、そこに何がしかの経験知が積まれるだろう。何の自慢にもならないが、アルファベット26文字は小学生で覚えたし、生活空間で用いるモノの名称は手の内に入っている。専門領域の話題なら、少々難度が高くても語り書くこともできる。しかし、知らないことばはいくらでも次から次へと現れてくるし、出張で訪れる街については圧倒的に知らないことばかりである。いや、わが街についてさえ未知はつねに既知を凌駕している。


七月の終わり、十数年ぶりに高知を訪れた。研修の仕事で23日。たまたま前回と同じホテルに宿泊したので、ホテルの玄関からフロント前のロビーの構造は覚えていたし、ホテル前の路面電車通りも記憶に十分に残っていた。前に足を運んだ喫茶店はエントランスを見ただけで思い出した。高知について圧倒的に知らないわりには、ごくわずかに知っている事柄が点を結んで大まかな図が浮かぶ。まるで無数の星の中から適当に都合のよい星をいくつか選んで星座を描くようなものである。

食に関しては、鯨もウツボも四万十の鰻も馬路村の柚子も知っている。しかし、実際に舌鼓を打った覚えのあるのはカツオのタタキと皿鉢料理と生ちり、それに野菜類だけである。生ちりとは、フグのてっさ風にヒラメの刺身を敷き詰め、その周囲にカツオの心臓や鮪のエラなどを茹でて冷やした珍味を数種類並べた料理で、ポン酢で食べる。前回ご馳走になり今回も久々に食したが、やっぱりなかなかの味わいであった。

この生ちり、地元の人がほとんど知らなかった。どうやらぼくの入った割烹の独自メニューだったようなので無理もない。しかし、彼らの大半は、ぼくがホテルの朝食で口にした「柚子とひめいちの辛子煮」も「ひっつき」も知らなかった。おそらく大阪人にとってのたこ焼きほど地元では浸透していないのだろう。ぼくにとっては、ひめいちという小魚も浦戸湾のエガニも初耳で初体験。四万十川源流の焼酎ダバダ火振も初めて飲んだ。関心の強い食ですら知らぬことずくめである。

知らないものを食べるたびに、ぼくは無知を自覚する。よく知っていると自惚れている他のこともこんなふうなのだと思い知る。無知や知の偏在を一気に解消することなどできない。しかし、世の中知らないことばかりとわきまえているからこそ、小さな一つのことを知る愉しみもまた格別なのである。

本を読む、本を読まない

関連する話を2月のブログで書いているので、よろしければ一読いただきたい。

人はどこまで行っても無知の壁を容易に破ることはできない。所詮お釈迦さまの掌の孫悟空のようである。だから、とりあえず知っていることを自分の「知」とするほかない。あるいは、ソクラテスのように無知であることの自覚を新たにするべきだろう(断っておくが、ソクラテスの知と比肩しようという気はさらさらない)。

知識全般に言えることだが、とりわけ読書では「パーセンテージ」の考え方はよくない。たとえば「百冊買って、まだ十冊しか読んでいない」という10%の知を嘆くこと。読むべき図書百冊のうち目を通したのが十冊なら、それは残りの90冊が未読状態というだけのことだ。なのに、ぼくたちは森羅万象を“∞”にして分母とし、知を量ろうとしてしまう。いくら無知の壁が高くても、こんな控えめな気持では日々の満足が得られないだろう。

百冊のうち十冊が知で、残りが無知。いや、無知ではなく未知。十冊の知もたかが知れているかもしれないが、とりあえず読んだことに満足しておく。未読の90冊は自分の知に対立などしていないし、無縁の領域でひたすら読者を待ち構えてくれているだけの話である。分母のことは考えず、分子だけを見つめておけばよろしい。そうでないと、読書は苦しい。実際、ぼくの机の横には二百冊ほどの未読の書物が積まれており、しかも読みたい本を次から次へと買っている状態だから、既読書も逓増する一方で未読蔵書も膨れていく。だが、そんなことお構いなし。読みたい本を買うし、すぐに読んだり読まなかったりする。そして、読んだ本は、身のつき方の深浅を別にすれば、知になっているものだ。


話は変わるが、塾生がかれこれ一週間、本のこと、読書のことをブログに書き綴っている。そして、ついに『よいこの君主論』に手を染めてしまったようである。しかも、「とてもよい入門書になった」と彼はとても素直に書いているのだ。彼がそんなふうに啓発されることもあるんだな、とぼくは思ったのである。いや、それはそれでいい。でも、ほんとに入門書になるのかな、と首をひねっている。

結果論になるが、『君主論』に関するかぎり、まずニコロ・マキアヴェッリ自身の『君主論』を読むべきだろう。さらに関心があれば、塩野七生のマキアヴェッリ関連の本や佐々木毅の解説に目を通して時代考証してみるのもいいかもしれない。もちろん現代政治や世相のコンテクストに置き換えて解釈するのもよい。だが、いきなり現代っ子の53組版君主論を読むと、もはや原典は読めないのではないか。誤解を与えるような書き方になったが、「本を読む順序は運命的」と言いたかったまでだ。

何を隠そう、ぼく自身が『よいこの君主論』を読んでしまったのだ。しかも、原典の他に数冊読んだ後に。君主論をわかりやすく説明するヒントになればと衝動買いして通読したが、何の突っ張りにもならなかった。つまり、ぼくの読書順ではほとんど無意味だった本が、塾生のようにその本から入れば「よき入門書」の予感を抱かせることもあるのだ。あるテーマについて、どの本を入口にするかは運命的でさえある。彼が近いうちにマキアヴェッリの原典に辿り着けることを祈るばかりである。ちなみに、君主論のわかりやすい入り口は『マキアヴェッリ語録』(塩野七生)である。ほとんど注釈がなく歯切れがいい。

堂々巡りする因果関係

たしか、翻訳ものだったと思うが、残念ながら出典がわからない。抜き書きしたのは覚えている。七年前のノートをたまたま繰っていたら、その一節が現れた。「無知という未耕の地には、偏見という雑草がはびこる」ということばである。「未耕」という表現に違和感があるが、「未耕の地」を「未耕地」とすればまあいいだろう。「未耕」は“uncultivated”の訳語ではないかと類推する。したがって、「無知という教養のないところに偏見が生まれる」と読み取ることができる。

土地のあるところに雑草が生えるのだから、因果関係的には〈土地(因)→雑草(果)〉、つまり〈無知→偏見〉という流れだ。ところが、「偏見が無知を生む」のような言い回しがないこともない。いったいどっちが妥当な因果関係なのだろうか。いや、問うまでもなく、明らかだ。偏見の強い知識人がいるのだから、偏見が無知につながるとはかぎらない。ここは、無知が偏見の温床になるという、〈無知→偏見〉説にしたい。いや、もう一丁捻って、「無知は偏見など生まない。無知は無知以外の何物をも生まない」と言っておくべきか。


因と果はいつも〈因→果〉の順になるわけではない。ふつうは一方通行なのだが、表現一つ、見方一つ変えると〈果→因〉と可逆することがある。「金がないから貧乏である」のか、「貧乏であるから金がない」のか、いずれがもっともらしい因果関係なのか――こう聞かれると、真剣に悩んでしまいそうだが、この二文はどちらも因果関係とは無縁である。「金がない状態」を「貧乏」と呼び、「貧乏」を「金がない」と説明しているにすぎない。「金がない、ゆえに貧乏である」ではなくて、「金がない、すなわち貧乏である」に近いのだ。

原因と結果が往ったり来たりして循環するのは日常茶飯事である。「儲からないから、仕事に精が出ない」のか、「仕事に精を出さないから、儲からない」のか……「客が来ないから、店を閉める」のか、「店が閉まっているから、客が来ない」のか……たしかに因と果が可逆的関係にある。しかし、たとえ堂々巡りしていようとも、解決の視点に立てば、因果の真相は定まってくる。「仕事に精を出す→儲かる」、「店を開ける→客が来る」というように、自力可能なほうを因にするしか対策はない。


「君が強引な営業をするから、客が逃げたんだぞ!」
「すみません。でも、客が逃げようとしたから、強引になったまでです」
「屁理屈を言うなよ。強引だから逃げた? 逃げようとしたから強引になった? 順番なんてどうでもいい。君が強引になり、客が逃げたことだけは事実なんだ」
「因果関係も見てくださいよ」
「そんなことは、いつまで議論しても、所詮ウサギとカメの関係だ」
「課長、お言葉ですが、それも言うならニワトリとタマゴの関係じゃないですか」
「…………」

堂々巡りはアタマの悪さによって生じるものである。この種の因果にかかわる会話や議論には必ず滑稽さがともなう。