ちょうど一年前

ちょうど昨日の今頃、ちょうど一週間前、去年の今頃……というふうに人は振り返る。明日へも思いを馳せるのだが、明日はなかなか見えてこない。確実なのは過ぎし日々だ。それゆえ、記憶に残っている過去は回顧しやすい。但し、記憶にない過去は過去ではない。過去とは記憶の中に存在するものだからである。日記や写真は手元にある現在にほかならない。

テレビ番組のように「三十年前の今日」というタイムスリップはあまりないが、最近の区切りのよい一ヵ月前や一年前ならよく振り返る。今年に入ってから現在五冊目のノートを使っている。ノートの真ん中を過ぎればそのノート内に一ヵ月前の記載が見つかる。しかし、新しいノートを使い始めて一ヵ月未満の間は、一ヵ月前に遡るために直前のノートを見なければならない。というわけで、ぼくはたいてい直前ノートと現在進行形ノートの二冊を鞄に入れている。

ノートにメモした内容のおよそ8割は未公開である。つまり、残りの2割をネタにして研修テキストを編集したり本ブログで記事を書いたりしている。ちょうど一年前のノートには「星座占い」と「決めランチ」について走り書きをしていて、いずれもブログで取り上げた。星座占いの奇異については数日前にもノートに書いた。師走になると占い批評の気分が高まってくるのだろうか。


ちょうどではないが、昨年の127日に年賀状のことを書いている。苦労話に近いが、今年も11月初旬からあれこれと考えてきた。昨年よりも遅めの14日に書き終えた。苦労と言っても、書くのに困るわけではない。書き始めたら、推敲も含めて2時間で終わる。えっ、2時間も!? と思われるかもしれないが、なにしろ原稿用紙にして5枚半だからやむをえない。それよりも何よりも、今年はどんなテーマにするか、どんな項目を取り上げるかに思案し苦心するのである。

ご縁ある方々はその年賀状を楽しみにしていただくとして、ここでは昨年書いて今年の正月にお届けした謹賀新年2010.pdfをご覧いただこう。この年賀状の劈頭でぼくは「何か変だ」と書いた。たしかに未だに何か変な気分が続いている。リーマンショックから醒めたようで、まだ変を引きずっている。猛暑も変だったが、政権交代しても相変わらず変なのである。何もかも変なのは、変な日本にいるせいだろうか。皮肉も揶揄も空しい。

ぼくたちにできること。それは変を察知することだろう。そして、自分の力量と相談しながら活動範囲内で精一杯異変に対処することに違いない。一年はあっという間に過ぎる。一ヵ月や一日はなおさらである。喉元過ぎるとすぐに何でも忘れてしまう、世界でも稀な国民性。時折り、過去を顧みて、あれはどうなったのか、あれから現在まで何がどう変わったのかを自問自答してみるべきだと思う。未来を洞察するために。