創意工夫の教え方

またやってしまったか、教諭さん。「はしゃぎすぎる先生」が定期的に新聞紙上で話題にのぼる。実際、今回の一件に関しては毎日新聞が「先生、やりすぎです」の見出しを付けた。

調べたらいろいろあるのだろうが、おかしくて情けない教師のやりすぎが二つ、ぼくの記憶に残っている。一つは、記入例にまつわるもの。市役所に行くと、書類の名前欄に「大阪太郎」などと書いてあるあれだ。氏名の記入例に「大庭嘉門」と書いた教師がいた。「おおばかもん」と読む。さぞかしお茶目な人なのだろうが、もちろん不適切だと注意を受けた。わざわざそんなふうにふざける必要があったのか。

もう一例は、「妻を殺す完全犯罪の方法を考えよ」の類の出題をした先生。生徒に考えさせて、いい方法があったら実践しようと思ったのか。そうではなく、多分に遊び心であったのだろう。しかし、「殺人問題」は教育の現場では常識的には具合が悪い。生徒にとっても荷が重い難問だったはず。相当なミステリーファンでもないかぎり即答は容易でないだろう。しかも、この先生、「二つ考えよ」と出題したそうである。

そして、冒頭の一件だ。小学5年生の道徳の授業で、新聞から文字を切り抜いて、なんと「身代金を要求する脅迫文」を作らせたのだ。よくもこんなテーマを考えるものだと感心するやら呆れるやら。「グループ作業によって友達と協力するのを教えるのが目的だった」と弁明したらしい。この教諭、ごていねいにも黒板に自らの実名入りのお手本を書いた。「〔教諭の〕身柄を確保した。返して欲しければ、ちびっこ広場に8000円持ってこい。一秒でも遅れると命はない」というような文面だった。道徳の時間に脅迫文である、そしてちびっこ広場に8000円……。やれやれ。


「学校教育に教師の創意工夫を」と、親も生徒もみんな望んでいるに違いない。まじめに授業をして欲しい。けれども、型通りな出来合いのレッスンだけでは退屈するから、一手間をかけてわくわくして考える実習もして欲しい。こんな要望に応えたのかどうか知らないが、創意工夫を履き違えてはいけない。上記の三つのいただけない「事件」はいずれも義務教育の現場で発生したものである。リベラルなぼくなど大目に見てやりたいとも思うが、題材のセンスが悪すぎる。いずれも一人よがりで空回りしている。

そんなふうにお茶目に遊び心を発揮してふざけたいのなら、義務教育の舞台から去るべきだろう。いや、子どもに向けた教育にあっては、遊びと学びを融合させるのはまずくはないが、ここぞというときにはしっかりと一線を引かねばならない。自由奔放な題材を使って綱渡りさながら大胆に極論するこのぼくでさえ、行政での研修にあたっては一線をわきまえる。愉快でなければならない、しかし度を越してふざけてはならないのである。

「おおばかもん」も「完全犯罪の方法」も「脅迫状」もぼくの私塾の演習ではオーケーである。この類に文句を言う人がぼくの私塾に入塾することはありえない。あからさまな差別用語はどんな世界にあってもご法度だが、度を越した言葉狩りをシニカルに笑いとばすことは私塾では許される。語り手も聞き手も柔軟なのである。校長先生から大目玉を食らった教諭たちは、大いに反省して学校教育に従事し続けるか、あるいは、ぼくのように私塾を立ち上げて「発想の自由」を謳歌すればよろしい。但し、後者に自由はあるが、下手をすると厳重注意で終わらない事態が発生する。すなわち、売れなくなれば食えなくなるのである。

古(いにしえ)のことばの指針

半月前の金沢、私塾開講の日の朝にぶらりと武家屋敷界隈まで歩いた。二年ぶりである。足軽の旧屋敷を利用した足軽資料館に入ってみた。マンション住まいのぼくから見れば、下級武士の家とは思えぬ、ちょうどいい感じの広さ、間取りである。一室に展示してある『武道初心集』に目が止まる。これは享保年間(17161736年)に編まれた武士のための心得を記したものだ。次のように書いてあった。

乱世の武士の無筆文盲なるには一通りの申しわけもこれあり候。治世の武士の無筆文盲の申しわけは立ちかね申す義に候。

文中に「文盲」の一語がある。差別語だと騒ぐ、口うるさい向きがいるかもしれないが、昔の話だ、意に介さないでおく。さて、その無筆文盲はふつう「無学文盲」とされ、今風に言い換えれば「リテラシーのないこと」を意味する。つまり、読み書きのできない無学のことだ。「戦や騒乱続きの秩序なき時代なら、武士が無学であっても一応の言い訳が成り立つだろうが、何事もなく穏やかな時代であれば、武士の無学には弁解は許されるものではない」ほどの意味である。

現在の金融不安やデフレ経済の生活に及ぼす影響は軽視できないが、雑兵として出陣せねばならなかった時世は現況の比ではなかっただろう。したがって、今も一種の乱世だからリテラシー不足もやむなしとは言い訳できぬ。いや、当時とは違い、有事・平時を問わず、ぼくたちには時間があるのだ。常日頃よく筆を用い文を読むことを怠っていい理由はない。


金沢の一週間後に、毎日新聞に緒方洪庵の『扶氏医戒之略』からの一文が紹介されていた。私塾の構想のためにずいぶん前に洪庵の適塾の研究をしていたことがあって、記憶が甦ってきた。扶氏とはフーフェランド(17641836)というドイツ人の医学者で、洪庵は彼の『医学必携』オランダ語版を抄訳したのである。

医の世に生活するは人の為のみ、己が為にあらずといふことを其業の本旨とす。安逸を思わず、名利を顧みず、唯己を捨てて人を救わんことを希ふべし。人の生命を保全し、人の疾病を復治し、人の患苦を寛解するの外他事あるものにあらず。

医術の心得ではあるが、当世の医者のみならず、政治家、経営者、教育関係者など要職にあるプロフェッショナルは肝に銘じておくべきだろう。すべての職業に当てはまるよう超訳ししてみよう。

仕事人の本分は自分のためではなく人のためであり、気楽になろうとか名誉や利を求めようなどと考えず、ひたすら無私の精神で人の役に立とうと願いなさい。人の立場を守り、困っていることに手を差し伸べ問題を解決するべく一途に努めなさい。

江戸時代の読み書きの教えも仁愛の精神も色褪せず、ぶれもしていない。現代口語でよく似たことを諭すお偉方は五万といるが、当の本人たちがリテラシー向上に励み、仁愛を実践しているようには見えてこない。心構えであれ良識であれ、今という時代はだいぶ常軌を逸してしまったかのようである。

学びの場、ジャパニーズスタイル

大阪市内にあって、自宅もオフィスも歴史にゆかりのある一角にある。もちろん立ち並ぶ建物はことごとく近代化しているのだが、大川には八軒家浜の船着場の跡があり、少し西へ行くと旧熊野街道が南北に通っている。大阪の由来となった「大坂」――文字通り、大きな坂――はオフィスのすぐそばだし、5分も歩けば大阪城の大手門にも到る。テナントとして入っているこのビルは、その昔両替商だったらしい。

ここから南の方へ少し下ると、坂のある路地が細く入り組んだ古い街並みが残っている。広い敷地の旧宅をそのまま生かしたギャラリーや蕎麦屋もある。長屋続きの町家も随所に点在していて昔を偲ばせる。仕事に役立つかどうかわからないが、そんな町家を一軒借りて、一見遠回りな講話をしたり対話をしたりする私塾を主宰してみたいとずっと考えてきた。これまた近くに残っている緒方洪庵の適塾が特徴とした輪講なども人間力鍛錬にはいいだろうなどと構想を練ってきた。しかし、なかなかいい物件が見つからず今に至っている。今年の私塾大阪講座は老舗のホテルでの開催になった。

ぼくの私塾を〈岡野塾〉と命名したのは京都の知人である。自分の姓を表看板にするほど実力も知名度もないが、言われるままにそうさせてもらった。以来数年が経ち、当初ほど違和感を抱いてはいない。かつての談論風発塾同様に、ぼくの私塾のイメージは「和風」を基底にしている。「まさか、冗談でしょ? 講座のテーマはほとんど洋風じゃないですか?」とチクリと言われそうだが、精神は根っから和風なのである。ついでなら、場も空気も和風にしたいと本気で考えている。


飲食しながら即興で知技と遊芸を競い合う、不定期の集まり〈知遊亭〉を近々開く運びになった。「ちゆてい」と読む。ぼくが席主となるが、入門に小難しい規定はない。「知遊亭○○」と号なり芸名を名乗り、毎回自前の飲食代だけ払ってもらえればよろしい。趣意書も出来上がっているが、定例開催の場所が決まらない。和の条件を満たす場探しにしばらく時間がかかるかもしれない。決まれば、本ブログ上で趣意書を公開して門下生を募りたい。なお、お題は当日来なければわからない。ぼくを感心させぼくから笑いを取るたびにポイントを加算して、知遊ランキングを上げていく。

ところで、研修や講演を和室でおこなった経験がないわけではない。傑作だったのは、洋風研修の最たるディベートを旅館の大広間で実施したことだ。主催者がディベートに不案内のまましつらえた結果だが、お座敷では京ことばや琴の音は似合っても、白熱の激論というわけにはいかなかった。なにしろ、座布団に座って向き合い、「エビデンスをお持ちですか?」などと問うのだから、力が入らない。旅館側のお節介な配慮によって、卓袱台には湯飲みと茶菓子まで置いてあった。講演するぼく自身も寄席の講談師のようであった。

研修所では小さな和室での少人数研修というケースも何度かあった。ご存知の通り、旅館のような和室には押入れがあり、その押入れの襖の柄が入室する扉の襖の模様と同じであったりする。研修担当者がそろりと襖を開け、会釈して入室し参観する。しばらくして、座ったまま静かに後ずさりし立ち上がって、音を立てぬよう襖を開ける。ところが、開けた襖の向こうには重ねられた布団! そう、出入の引き戸と押入れを間違えてしまうのだ。静寂が破れて大笑い。ジャパニーズスタイルの学びの場には、ハプニング性の滑稽と可笑しさが潜んでいる。それがまたたまらない。 

常識を懐疑する話

出張先で私塾の10月講座の資料を作っている。ほとんど持論を展開するメモだ。しかし、『思考の手法』というテーマだけに、いろんな見方を提示したいので、これまでに読んで抜き書きした諸説も参考にしている。ここ二、三日はだいぶ没頭していて、「考えるということ」について考えを巡らしているところである。

息抜きに塾生のブログを覗いてみたら、「常識を疑う」という記事が更新されていた。二十ほど年齢差があるのだが、たいへんよく勉強している彼からヒントをもらうことも稀ではない。ぼくの講座や読書会を通じてテーマの指向性の波長が合うことも多い。ぼくは褒めるし批評もする。彼はディベートも経験しているから、批判や検証に耐えるだけの度量も備えている。ぼくの今日の話は批判でも検証でもなく、新たな問題提起である。近々に会って大いに論じ合ってみたい。

さて、その記事だ。ぼくが講座のために考えている一章「主観と客観」に関係しているので興味津々に文章を追った。関心がおありならぜひ原文を読んでいただきたい。本文中に次のようなピーター・ドラッカーの引用がある。

「世の中の常識はえてして間違っている。それを知るためには、常識の根拠を探り、それが本当に信頼に足る妥当なものか見極めることだ。そのためにはタマネギの皮をむくようにして、おおもとの根拠にたどり着く必要がある。


タマネギの比喩がおもしろい。タマネギそのものが「常識」で、皮が「常識が定着してきた過程」で、最後の最後に残るものが「常識の発生源となる根拠」なのだろう――そんなふうに愉快がった。しかし、意地悪なぼくは想像をたくましくする。ちょっと待てよ、タマネギには薄茶色の表皮があるけれど、それを剥いたあとには食用部分の「本皮」が何枚か重なっている。剥いていけば何も残らなくなってしまうではないか。そんな剥き方でタマネギを調理することがないので確証はないが、表皮を取って半分に切ってパンパンパンと包丁を入れてシチューや鍋に放り込んでいるかぎり、そこに「芯らしき根拠」は見当たらない。

それはともかく、ドラッカー先生が「世の中の常識はえてして間違っている」と言い切るからには、そう判断するドラッカー流の「ものの見方」があるはずだ。そのものの見方も別のタマネギの「芯らしきもの」ではないのかとぼくは考えた。人は常識を疑ったり怪しんだりする時点で、ある主観的な価値基準を起動させるはずである。その主観の中には常識を疑い怪しむエネルギーの源、あるいはテコとなる「確信」があるに違いない。その確信がなければ、タマネギを剥いて辿り着く「芯らしき根拠の危うさ」との刷り合わせができないのだ。

アマノジャクという、へそ曲がりなイチャモンにしても主観の一変形だろう。その主観と常識という客観が対立する。あることに「?」を感じる時、別の「!」が必ず存在する。素朴な「わからない」というクエスチョンマークであっても、「自分の中のわかる構造」とぶつかって生まれている。その別の「!」も主観的常識なのかもしれない。つまり、ぼくたちが常識を懐疑する時、その懐疑のテコに自分の常識を用いているのである。常識・非常識、主観・客観――思考の手法にとっては恰好の素材である。もう少し掘り下げてみる気になっている。

ところで、およそ一年半前、ぼくは『マーケティングセンスを磨こう』という講演で、マービン・バウワーによる、世界一短いマーケティングの定義を紹介した。たった一言。「客観性(objectivity)」がそれだ。Tさんもその講演を聴いてくれていたと記憶しているが、ぼくは鬼の首を捕ったかのように解説した。今は違う。今は「マーケティングの客観性」に懐疑し始めている(但し、一世を風靡したポストモダン的な主観主義ではない)。その懐疑のテコになっているのはたぶんカントの『純粋理性批判』だと思う。そのカントも疑い、その疑いの信念も疑いみたいなことを延々とやっていると、愚かな懐疑主義に陥るかノイローゼになりそうなので、今月最後のブログはここでピリオド。

「です・ます」のギマン

再来週から京都で4年目を迎える私塾の第1講と第2講の講義テキストを併行して仕上げている。実は、まだだいぶ先の5月のほうが進んでいて、間近の『テーマと解決法の見つけ方』のほうに少しアタマを悩ませている。とか何とか言いながらも、テキストは明日仕上げるつもり。

話し慣れたテーマなのだが、いつも同じパターンではおもしろくない。そこで、仕事やビジネスの問題・課題と、プラトンから始まる哲学命題のいくつかを重ね合わせて新しいソリューション発見の切り口を提供しようと考えた。しかし、実際に考え編集していくと、きわめて無茶な試みであることがわかってきた。とても難解になってしまうのである。自分で悦に入っても、塾生にはチンプンカンプンの可能性がある。さりとて、もはや「やっぱりや~めた」というわけにもいかず、思案した挙句にテキストを「です・ます」で書くことにした。

順調にテキストの半ばまでそのように書いてきた。そして、出来上がったところまで再読したところ、「です・ますの欺瞞性」に気づいてしまった。「問題が山積する時代。完璧なる正解でなくても、問題の原因に少しでも斬り込める解法を携えることができれば、時間と苦労は半減する。」とふだん記述するぼくが、「問題が山積する時代です。完璧な正解が出なくても、問題の原因に少しでも斬り込める解法を携えることができれば、時間と苦労は半減します。」と書いているだけの、情けない一工夫だったのである。

これで硬派な文章がやわらいだ気になるのは、どう考えても錯覚である。その錯覚を利用する書き手の思いは欺瞞に満ちている。やっぱり「です・ますは、や~めた」とさっき決意し、午後から書き直すことにした。


「哲学入門」や「よくわかる哲学」などと題された本を読んでみて、何だかよくわかるような気がするのは、ひとえに「です・ます」の巧妙な罠のせいである。形而上学的な概念を表現するときは、概念そのものの専門性を控えるべきであって、文末で難度ショックをやわらげるなどというのは姑息な手法なのだ。

「君は何歳?」を「ぼく、おいくちゅですか?」と言い換えられる日本人の、言語表現における相手に応じた変わり身は大したものだと思う。だからと言って、「年齢を問う」という、実は高度な(?)抽象概念が変化しているわけではない。あるいは、厳密に言えば、表現がやさしくなっているわけでもない。年齢や性差に応じた表現バリエーションが豊富であるがゆえに、やむなく使い分けているにすぎない。

とにもかくにも、好んでぼくの話を聞きに来る人が、「です・ますオブラート効果」でわかりやすいと感嘆するとも思えない。いや、何人かいるかもしれないが、そんな類の梯子を使って彼らのところに降りて行くのなら、別の階段を用意してこちらの方に上がって来るように仕掛けるべきだろう。どんな階段? それは編集構成のわかりやすさである。

師走の候、古典に入(い)る

幸か不幸か、師走になると出張がめっきり減る。地元での講演や研修も12月は少ない。と言うわけで、オフィスにいる時間が長くなる。「幸か不幸か」と書いたものの、決して「幸」とは言いがたい状況かもしれない。唯一の慰めは、多忙期に備えて知のインプットができるという点だろうか。

「知のインプット」などと洒落こんだ言い方をしてみたが、何のことはない、日頃腰をすえて読めない本や資料に目を通すだけの話である。今年は古典を読み直している。源氏物語ブームであるが、古典イコール文学ではない。一昔前の思想ものや歴史・文化だって古典になりうる。わざわざ本を買いにはいかない。かつて一度読んだものをなぞったり、買ったけれども未だ読破できていない書物に挑んだりしているところだ。

加速する情報化時代、昭和までの著作は古典という範疇に入れてもいいかもしれない。では、なぜ古典なのか? 実は、11月に高松で数年ぶりに再会したY氏の古典への回帰の話に大いに刺激を受けた。退職されて数年、六十歳も半ばを過ぎた今、ビジネスや時事関連の本をすべて処分し、書斎をそっくり読みたい書物に置き換えたとおっしゃる。食事をしながら、シェークスピアや小林秀雄を高い精度で熱弁される。大いに感心し、啓発された。

仕事柄、時々の話題や最新の動向にはある程度目配りせねばならない。でなければ、時代に取り残される。しかし、新作ものばかりでは焦点が定まらない。新刊を休みなく追い求めるのは、煽られて次から次へと新しいサプリメントを求める心理に似ている。これに対して、一時代を画した古典は大きくぶれない。価値の評価は上下したとしても、生き残っている古典は継承されてきたのであり、継承されたということはいつの時代も選ばれるに値したのである。サプリメントとは違って、こちらは身体によいおふくろの手料理みたいなものだ。


1219日は今年最後の私塾の日である。以上のような環境にいるぼくなので、私塾スペシャルの今回、心底古典講座にしたかった。それは、しかし、5月の約束を破ることになる。すでに「マーケティング」でテーマは決まっているのだ。

「失われた十年」からの数年間でマーケティング理論は激変した。激変のみならず、諸説入り混じり、何をお手本にすればいいのかわからない状況だ。こうなった最大の要因はインターネットである。「売買」という概念は牛を呼び売りした三千年前から変わったわけではないが、メディアの多様化とともに売買関係や売買心理は新しい領域にぼくたちを誘った。

すでに決まっているテーマとぼくの関心事が相容れないわけではない。一計を案じるまでもなく、マーケティングと古典を単純につなげばいいのである。題して“Marketing Insight Classic”。敢えて日本語のタイトルにしない。理由は、“Classic”には古典という意味以外に、「最高、一流、重要、模範、決定版」などのニュアンスがあるからだ。

サブタイトルはわざと長ったらしく「マーケティングの分野に足跡を残した古典的思想に知と理を再発見して今に甦らせる」とした。何と切れ味のない文章なんだ! と自己批評はしたが、ぼくが今まで「幅広く勉強してネタを仕込み、じっくりコトコト煮込み濃縮してきたエキス」だし、そんな名前のスープもあるくらいだから、これでいこうと決断した次第。