ありふれた街角風景

関空から直行便でウィーン国際空港に着き、列車で市内に入った。夜は更け始めていた。ホテルでチェックインを済ませるとすぐに街なかに飛び出した。季節は3月だというのに、冬を引きずっているような底冷えに身が縮む。レストランを品定めしながら歩いてみたが、長旅の疲れのせいか食欲を刺激するメニューに出合わない。ホテルに引き返し、持参したカップヌードルに湯を注いだ。11年前のことである。 

翌日も身体の芯まで沁みるほどの寒さだった。幸い、陽が出ていた。わずか3日間の滞在だから、予定していた名所巡りをしておこうと朝早く出掛けることにした。次の日には季節外れの大雪に見舞われ機動力が大幅にダウンしたので、結果的にはこれが正解だった。さて、23日の滞在旅程の中日なかび、ウィーンのどこをチェックするか……。
 
まずはオペラ座界隈を散策してみよう。シェーンブルン宮殿は必須だ。新旧あるドナウ河にドナウ運河も見逃せない。ほかにも片手では足りないほどの候補がある。その一つがデザインが個性的なフンデルト・ヴァッサーハウス。欲張れば長いリストが出来上がる。ずいぶん思案して、これを捨て切れず、市内循環のトロリーバスに飛び乗った。フンデルト・ヴァッサーハウスは1972年に建設された公共住宅で、斬新なデザインで世界から注目された建築群である。
 

ガイドブックと地図を片手に名所を巡る。何度も足を運べない外国の街を訪ねると、張り切って強行日程を組むのは当然の流れ。まるで仕事のようなノルマ設定になりかねない。その結果、写真アルバムは名所の画像で溢れ、どこにでもありそうな無名の街角や通りの写真が抜け落ちる。カメラの被写体にもならなかった街角は、やがて記憶からもすっかり抜け落ちる。 
ローマに行ってコロッセオを見ず、バルセロナに滞在しながらサグラダファミリアを見ずに帰ってくるのはかなり勇気がいる。画像や動画で見るのと、この目で実物を見るのとでは天と地ほど印象が違ってくる。それでもなお、敢えて名所の一部を足早に駆け巡るか、いっそのこと思い切って捨ててしまうべきなのだ。なぜなら、歴史地区の名所なら、写真集やテレビの企画番組などで何度も振り返ることができるからである。
 
ウィーンの街角.jpg観光客からすれば取るに足らない、名を知られることもない風景に視線を投げる。写真に収めても、そこに固有名詞を思い起こすヒントはなく、おおよそのロケーションをうろ覚えしている程度。フンデルト・ヴァッサーハウスは以来何度も画像と動画で見た。他方、そこからさほど遠くないトロリーバス通りのありふれた街角は、番組取材で被写体になることはまずないだろう。しかし、観光とは「景をる」ことではないのか。別に名所に限った行動ではない。しばし観光客の目線を生活者の目線に変えてみると、ありふれた光景が得がたい旅の思い出を刻んでくれる。ブランド以外のどんな風景を見るかというのも旅の醍醐味だ。

諸説紛紛ある時

旅や出張で見知らぬ土地にいて不案内なことがあれば、たいていの人は誰かに尋ねる。誰かは観光案内所のスタッフであったりタクシーの運転手であったり住民らしき通行人であったりする。当地で評判の食事処を聞き出し、半日で回れる観光スポットを尋ね、所要時間や乗り継ぎ情報を知ろうとする。尋ねる相手がその道の権威とはかぎらないが、少なくとも自分よりもわかっているはずと見なしている。

知識不足を補おうとすれば、ガイドブックやネットでもいいが、もっとも手っ取り早いのは人というメディアだ。旅や出張はつねに「アウェイ」なのだから、「ホーム」の人たちに問い合わせるのは理に適っている。ぼくはそうしている。実は、一昨日の夜に山口に入り昨日研修をして帰ってきた。日本全国たいていの所を巡ってきたが、不思議なことに研修で山口から声が掛かったのは今回が初めてだった。

新山口という新幹線駅での下車も初めてである。到着したのが遅かった。食事処にホテル内の中華料理店を選んだ。観光する時間は到底ないから、名所旧跡について聞くことはない。ぼくの最大関心事は、宿泊ホテルから会場のセミナーパークまでタクシーでどれくらいの時間がかかるかである。だから、ホテルのフロント係の女性に尋ねた。「そうですね、早ければ30分。渋滞で混んだりしますと、40分かかるかもしれません」と彼女は言った。手慣れた応答に、ぼくはひとまず彼女を信用した。


しかし、「何か変」を直感したので、翌朝、念のために会場でぼくを待ち受けてくれる担当の方に電話をした。ホテルではこう言っているが、ほんとうにそんなにかかるのかと聞けば、「20分あれば十分です」とおっしゃる。おまけに「20分にタクシーに乗ってください」という助言までいただく。やっぱり40分もかかるはずがない。なぜなら、午後4時に終了して午後441分の新幹線には間に合うと聞いていたからだ。そこで、早めにタクシー乗り場に行き、タバコを吸っていた運転手に聞けば「10分ちょっとだ」と言う。乗り込んだタクシーの運転手は「15分」と言った。

あいにく同じ見解がないから多数決というわけにはいかない。しかし、この場合、諸説紛紛に戸惑うことはない。研修担当の方の意見に従っておけばいいのである。もちろん、遅れては話にならないから、フロント係の40分に従って早く着いておくのも悪くはない(実際の所要時間は行きが15分、帰りが20分弱だった)。ところで、食事処のお薦めが諸説に分かれたらどうするか。これはさらに簡単で、好きなものを食べればいいのである。

一年ちょっと前に会読会で取り上げた『足の裏に影はあるか? ないか?』の中のものさしの話を思い出した。二本の30センチのものさしの目盛りが微妙にずれているのである。どっちが正しいのか。たくさん集めて多数決を取るか、製造元の鋳型を調べるか、さらにもっと権威筋のパリ近郊に格納されているメートル原器を調べるか……。諸説から真らしきもの、より信頼できるものを引っ張り出すのは労力を要する。諸説に悩んだら――実は、悩むこと自体、すでに理詰めの選択ができない状況であるから――気分か気合で決めるしかない。ぼくはそうしている。できれば一番余裕のありそうな説に与しておくのがいい。