古い本と古い教え

休日に近場へ外出するときは、徒歩か自転車かのどちらかである。帰路に荷物になりそうな買物が確定していれば自転車、行き帰りとも本一冊程度の手ぶらなら徒歩。なるべく休日には歩くようにしている。どこに行くにも便利な所に住んでいるのがありがたい。

一昨日の日曜日は、まだ薄ら寒い風を受け、それでも春の気配を少し嗅ぎながら自転車を北へ走らせた。大阪天満宮まで10分少々。最終日となる古本市が目当てだ。ぼくは読書のために本を買わない。本を買うのは一種直感的行為であり、買ってからどの本のどのページをどのように読むかが決まってくる。ページをぺらぺらとめくったり拾い読みをするだけで放っておく本もある。それでも何ヵ月か何年か経ってから、「縁あって」目を通すことになることがある。そのとき、購入時の直感もまんざらではなかったと思う。

幸か不幸か、ぼくは周囲の人たちに読書家と思われている。実はそうではない。正しくは、「買書家」である。本は借りない。まず買う。いきなり買うのはリスクが大きいゆえ、高額な書籍にはまず手を出さない。文庫または新書がほとんどである。何よりも省スペースだし、どこにでも持っていけるから便利でもある。

買った本をどう読むかというと、速読、精読、併読、拾い読み(これは狙い読みに近い)、引き読み(辞書を読むように)、批判読み、書き込み読み(欄外にコメントを書く)などいろいろ。誰もが体験するように、本の内容はさほど記憶に残らない。傍線を引いても付箋紙を貼っても大差はない。だが、これ! と思う箇所は抜き書きしておく。抜き書きしておいて、後日読み返したり人に話したりする。面倒だが、ぼくの経験ではこれが読書をムダにしない唯一の方法である。

古本市で買ったのは福田繁雄のデザインの本、安野光雅の対談集、玉村豊男のパリ雑記の3冊。しめて1900円。天満宮滞在時間は半時間ほど。そう、書店であれ古本屋であれ、ぼくは半時間もいたら飽きてしまう。熱心な「探書家」でもないのだ。「今日は5冊、4000円以内」などと決めて直感で30分以内で買う。


境内を出て喫茶店に入る。朝昼兼用の予定だったので朝を食べていない。午前1055分。「モーニング7:0011:00」とある。「モーニング、まだいけますか?」 滑り込みセーフ。コーヒー、トースト、ゆで卵。ゆで卵が切れてしまっていたので、生卵からつくってくれる。何だか申し訳ない。トーストを食べているうちに、ほどよい半熟が出来上がった。

目の前のカレンダーに今月のことばとあり、見ると「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」。日めくりには必ず入っている禅語録の一つである。「毎日が平安で無事でありますように」との願いが込められているが、真意は一期一会に近いとどこかで学んだ。平々凡々な日がいい――そんなヤワな教えではなくて、「何があろうと、今日の一日は二度とないと心得て、懸命に生きなさい。その積み重ねこそが毎日の好日につながる」という意味である。先送り厳禁、今日できることを今日成し遂げよ、思い立ったら即時実行などに通じる。

先週本ブログで『スピードと仕事上手の関係』について書いた。そこでのメッセージにさらに自信を加えてくれる禅語録との再会である。こういうつながりをぼくは運がいいと思うようにしている。古い本を探した後に立ち寄った喫茶店で古い教えに出会う。これも「古い」が重なって縁起がいいと考えておく。こうして気分を調子に乗せておけばストレスがたまらないし、いい一日を送ることができるのである。