運勢占いのメッセージ

自分の星座が何であるかぐらいは知っている。水瓶座である。家族の星座もかろうじて言えるが、何月何日生まれが何座になるかはわからないし、星座の順番を正しく言うことはできない。ぼくはこの歳になって恥ずかしいことなのかもしれないが、干支にもあまり関心がない。正しい順番に十二支を言えるとは思うが、そらんじようとしたことは一度もない。もちろん、自分の干支は知っている。

ニュースを目当てに朝にテレビをつけることが多いが、支度と朝食をしながら聞き流す程度である。どこのチャンネルでも星座占いの時間帯があって、あなたの今日の運勢を「予知」している。最高の日であるか最悪の日であるかをきっぱりと告げているのには感心する。一昨日の朝、いつもとは違ってちょっとしっかり聞き、実際に画面上の文章も読んでみたのである。いやはや、とてもおもしろいことに気づいてしまった(熱心な星座ファンには当たり前のことなのだろうが……)。

○○○座の今日の運勢が「今日も一日笑顔で人に接しましょう」という内容であるのに対し、□□□座が「パソコン操作のミスに注意しましょう」だったのである。十二の星座すべてを同一人物が占星しているに違いない。にもかかわらず、この二つのメッセージ間の異質性は高い。前者は老若男女どなたにも当てはまる。ところが、後者はパソコンを使う人に絞ったメッセージになっている。□□□座でありながらパソコンを常習的に使わない人たちは何を占ってもらったのだろうか。


昨日と今朝も見てみたら、チャンネルによって占星術のスタイルが違うことがわかった。恋をよく芽生えさせたり失恋させたり、会議をうまく運営させたり、意外なところからお金が入ってきたりと占ってみせる。出勤前の若い女性をターゲットにしている傾向が強いと見た。関心事は金運、恋愛運、仕事運に集中している。いや、よく考えたら、それ以外に占ってもらうことなどそんなにないような気もしてくる。

毎日十二の星座を占うということは週5日としても60種類のメッセージになる。一年にすれば膨大だ。たとえ週間占い専門でも年間で数百種類に及ぶ。繰り返しのパターンやひな型があるのかどうか知らないが、それにしてもその日やその週の運勢を一、二行でコピーライティングするのは生易しい仕事ではない。察するに余りある。

人類を4種類や12種類に分類すること自体に無理があるのは誰もが承知している。八卦のほうではそのことをわきまえて「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と謙遜するのだろうか。別に皮肉っているつもりはない。それどころか、多数のサンプルをいくつかに分類して傾向や特徴を示すのは、別に占いの世界だけにかぎらず、心理学でもマーケティングでもやっていることだ。ちなみに今日のぼくの運勢を数値化すると76点だった。一日を振り返ってみたら、ぴったり76点のような気がしないでもない。 

はつはるの雑感

一年前の元日の朝、冷感を求めて散歩に出た。徒歩圏内の大阪天満宮にも行ってみた。まるで福袋を求めて開店前のデパートに並ぶ客気分。参拝にも時間がかかったが境内から脱出するのにも苦労した。

今年はごく近くにある、中堅クラスだが、由緒ある神社に行ってみた。ちょうどいい具合の参拝客数。都心にもかかわらず喧騒とは無縁の正月気分。運勢や占いにあまり興味はないが、金百円也でおみくじを引く。三十六番。これは、ぼくと同年代とおぼしき男性が直前に引いたのと同じ番号であった。


初夢は超難解だった。画像がなく文字ばかり。大晦日に読んだ超難解な哲学書の影響なのだろう。「知っていることを歓迎し、知らないことを回避するのが人間」というお告げ(?)である。目が覚めてから少考。「わかっていることを学び、わかっていないことを学べないのが人間のさが。たとえば読書。ともすれば、自分の知識の範囲内に落ちてくれる内容を確認して満足している。異種の知を身につけるのは大変だ」という具合に展開してみた。


徒歩15分圏内の職住接近生活をしているので、オフィスまで年賀状を取りに行く。自分が差し出している年賀状の文字が二千字に近く、受取人に大きな負担をかける。逆の立場ならという意識を強くして、いただく年賀状は文章量の多寡にかかわらず一言一句しっかりと目を通すようにしている。

年賀状を二枚出してきた人がいる。宛名がラベルであれ印字であれ、何か一語でも一文でも直筆を加えれば誰に書いたのかはうっすらと記憶に残るものである。二枚差し出すというのはパソコンデータに重複記録されていて、そのことに気づいていないという証拠だ。そんな人が今年は二人いた。

数年前にも二枚の年賀状をくれた人がいた。その人には出していなかったので早速一文を書いて年賀状を送った。しばらくしてその人から三枚目の年賀状が届いた。「早々の賀状ありがとうございました」と書かれてあった。


景気に対して自力で抗することができない。そのことを嘆くのはやめて、しっかりと力を蓄える。一人で辛ければ仲間と精励する。今月から有志で会読会を開く。最近読んだ一冊の本を仲間相手に15分間解説する。テーマの要約でもいいし、さわりの拾い読みでもいい。口頭で書評し、そして他人の書評を聞く。すぐれた書評は読書に匹敵する。新しくて異種なる知の成果にひそかに期待している。