「誰にとって」という基本的な視点

私塾の最終講で「マーケティングの古典」を紹介し、現在にも生かせる普遍的な考え方や有効性を探ってみた。一時間ちょっとの講義のあと、三人の塾生に自社のマーケティング戦略について発表してもらった。一事例につき、発表15分、他塾生からの質疑応答10分、5班に分かれての事例討議が10分、各班からのコメント発表2分、ぼくの総括講評が5分という流れである。

事例の発表や意見交換を通じて、アタマではわかっていても、なかなか実践できない事柄がいかに多いかということに気づく。それは、ぼく自身にとっても歯がゆくも困難なハードルである。しかし、みっちり5時間半の中で、成功図式とまでは言えないまでも、成功するために踏まえるべきパターンらしきものがシンプルに浮かび上がってきた。


市場にはいろいろなニーズやウォンツが渦巻いている。なくては困るモノやサービスへのニーズから、なくてもまったく困らない贅沢なモノやサービスへの欲望に至るまで、消費のステージが何段階もある。そして、すべての段階において、消費行動の多様化と高度化は著しい。消費行動の多様化は「顧客の絞り込み」を求め、高度化は「イノベーション」を求める。したがって、企業のプロフェッショナルにとっては「誰のために、どのような新しいモノ・サービスを提供できるか」が命題になってくる。これが、よく知られた「ポジショニング発想」である。

もう一つ、基本の基本となるのが、「ユニーク・セリング・プロポジション(Unique Selling Proposition=USP)」。「固有の売りのうたい文句」というニュアンスになるだろうか。もう半世紀も前に生まれた、「この商品を買えば、こんな利点がある」というマーケティングのコンセプトだ。この考え方は後々に「自他の差別化戦略」につながってくる。

たとえば、二店の焼鳥屋がいずれも「ジューシーで歯ごたえのよい肉質」をアピールしたら、もちろんそのことは利点ではあるけれども、どちらの店を選ぶかという決定要因にはならない。雰囲気の良さを想像させる店名、店構え、旨さを際立たせるタレや塩、価格など、他店にない固有の利点を認知してもらわねばならない。「この店に入れば、ここが違う」という差異化のためには、どの顧客にとっての利点なのかというポジショニングも絡める必要がある。


カフェのRサイズ200円、Mサイズ250円、Lサイズ300円。サイズの呼び方や値段はそれぞれ。これは端的に三種類のニーズに対応している(つもり)。価格とサイズ案内のMサイズのところには「Rよりお得なサイズ」と書いてあり、サイズのところには「さらにたっぷりサイズ」とある。いずれの文言も「利点」を訴求している(つもり)。

だが、人間心理の研究不足である。コーヒーは嗜好品である。だから50円払ってRにして「お得なサイズ」という思いにはならない。「どうせなら多めに」という顧客もいるが、最初からRに決めている客には店側が訴えるMLの利点は伝わりにくい。嗜好品は、量が多ければ多いほどいいというものではないからだ。これは、昼にざる蕎麦を食べに行って、50円アップで大盛にするのとはちょっと違う。一般的に「増量または減額」が得の理論だが、商品によって変化する。エステやマッサージは「時間延長」が得、交通機関は「時間短縮」が得。とはいえ、顧客次第で絶対ではない。

私塾の塾生は、配付資料を2枚増量しても誰も感涙極まらない。枚数が少々減っても、あるページに目からウロコのすごいことが書いてあれば、そこに利点を見い出す。「本日は特別に講義2時間延長のおまけ!」と利点を売り込んでも、「定時に終わって、メシにでも行きましょう」という塾生が大半だろう。平凡な帰結になるが、時代の、特定の人間の、心理と具体的なニーズ・欲求に正確にマッチする利点探しを大いなる想像力で極めるしかない。「誰にとって」という視点から始めることは、証明済みの法則と考えてよさそうだ。