『考えるヒント』のこと

「考える」ことも「ヒント」を授けられるのも三度のメシよりも好きなわけではない。だが、これら二つがくっついて「考えるヒント」になると、俄然目の色が変わってくる。うまく言い表せないが、仕事柄、この言い回しと語感に色めき立つ。自覚などしないが、もしかすると知への憧れとコンプレックスが錯綜する結果なのかもしれない。

文芸評論家の小林秀雄に『考へるヒント』という著作がある。受験必読書だったはずで、60年代末から70年代初めにかけて読んだ記憶がある。最近では「へ」から「え」に変わって『考えるヒント』として文春文庫から出ている。数年前に久々に読んでみたが、かつてさっぱりわからなかったことが普通に読める。四十年間のうちに少しは年季が入ったのかもしれぬと勝手に思っている。
『考えるヒント』の「言葉」というエッセイの冒頭にこうある。
本居宣長に、「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」という言葉がある。(……)ここで姿というのは、言葉の姿の事で、言葉は真似し難いが、意味は真似し易いと言うのである。
唐突に読むとわかりにくいが、ことばとその意味を比較すれば、「ことばが第一、意味はその後」ということだ。「ことばはマネできても意味までマネできない」という常識的な見方に対して正反対のことを主張しているからユニークなのである。このエッセイを再読した頃はちょうどソシュールも勉強し直していたので、大いに共感した。本居宣長の言語と意味への洞察に関心したものの、1978年に小林秀雄が日本文学大賞を受賞した『本居宣長』を読まずに現在に至った。そこまでは手が回らなかった。

小林秀雄がある講演で自著に触れた。決して安くもない単行本、しかも通常の教養程度ではちょっと読んでもすぐさま理解できる内容でもない。もっと言えば、本居宣長に関心がなければ読むはずもない本である。ぼくの回りを見渡しても、本居宣長に通じている知性はほとんどいない。
この本が著者と出版社の予想をはるかに超えるほど売れた。何万部も売れたと出版社から知らされた小林本人が驚く。そんなに売れるのはおかしいじゃないかと言わんばかりである。行きつけの鰻屋に行ったら、女将が「買って読んでいますよ、先生」と聞かされてたまげたらしい。
数か月前、これを古本屋で見つけた。貼ってある小さなラベルに300円とある。買ってそのままにしていたのは、これを読む前にもう一度『考えるヒント』『考えるヒント2』『考えるヒント3』などに目を通しておこうと思ったからである。と言うわけで、遅ればせながら読んでみようと思っているが、他にも読みたい本が何冊もあるし併読型飽き性でもあるので、どうなることやら……。