ネタばらし

目新しいものやアイデアは、ある日突然、「無」のうちから出てきたりはしない。たいていは外部からの刺激や情報に突き動かされている。もし外部ではなくて、内なる触発であるとしても、脳がそれまでに絡め取ってきたことばや経験の知がきっかけになっている。

ぼくたちはいろんな知識を足し算し、場合によっては引き算もして、気づいたり発見したりする。その気づきや発見は独創的かもしれないが、決して無の状態から生まれたのではない。何事にも下地がある。「何でもよく知ってますねぇ」と褒められても、アタマの良さが褒められたわけではない。何でも知っているのは、どこかでひそかに仕入れているからにほかならない。とりわけ、ジョークの大半には出所がある。オリジナルのジョークもいろいろと作ったが、ジョークの構造や類型に関しては無意識のうちに先例を真似ているものだ。

プラトンとかものはし.jpgのサムネール画像
20096月にサンフランシスコからロサンジェルスへと旅した折りに、サンフランシスコで書店に入り一冊の本を手にした。表紙に“The New York Times Bestseller”というふれこみがある。ページ数200足らずの本なので帰りのフライトで読もうと思い買った。“Plato and a Platypus Walk into a Bar…”というタイトル。プラトンとカモノハシ、何という奇抜な組み合わせだろう。“Understanding Philosophy through Jokes”サブタイトル。
結論から言うと、難解な哲学術語も少なくなかったが一気に読んだ。そして後日、難解と愉快をモットーとする私塾で、同年と翌年にこれぞというジョークを次から次へと紹介して大受けしたのである。ジョークを披露するとき、ふつうは出典まで明かさない。このネタ本についても触れなかった。
旅行の翌年の秋頃だったと思うが、大阪本町の紀伊國屋書店で『プラトンとかものはし、バーに寄り道』という本を見つけた。言うまでもなく、「あれっ?」と気づく。そしてサブタイトルが「ジョークで理解する哲学」ではないか。そう、サンフランシスコで買った本の邦訳版だ。奥付を見て驚いた。200810月である。
さんざんネタを使った後に見つけてよかった。翻訳のほうを先に見つけていたら買わなかったかもしれないし、仮に買ったとしても、誰もが手にできる可能性があるから、これはネタ本にならなかったかもしれない。いずれにせよ、この二年間、ぼくが披露して笑ってもらったジョークの23割はこの本由来であることを告白しておく。なお、当然と言えば当然だが、原書が12ドルなのに対し翻訳本は1800円もする。