5月に数千冊の蔵書の半数を引き取ってもらい、残りは買い取ってもらった。約千冊の蔵書だけ手元に残して、その後引っ越した。引っ越してからの4ヵ月間は書店にも古本屋にも足を運ばなかった。あれだけ大量の本を始末した後に、本屋に行って新たに本を買う気にはなれなかったのである。
それどころか、ここしばらくは本を手に取ることも雑文を書くこともほとんどなかった。ことばに関する企画が生業で、本をよく読み文案を練り人前で話してきた半生だったが、今振り返ってみると何もかもが千篇一律に思えてきて新鮮味を覚えない自分に気づく。マンネリズムに気づきながらそこから抜け出せないのは薬物依存のメカニズムに似ている。
世に読むべき本などなく、読みたい本だけを読めばいい……それがわが読書遍歴だった。長編小説を読んだのは30代半ばまで。その後は多忙だったから読み終えるのに日をまたぐ本は除いた。一篇を5分か10分で読める本を選んだ。と言うわけで、随筆をよく読んだ。作家の想像世界に引き込まれるような小説はほとんど読まなくなった。
清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』、吉田兼好の『徒然草』は若い頃から繰り返し読んだ。わが国の三大随筆とされるが、正しくは「三大古典随筆」と称すべきである。なぜなら、近代にも現代にも名作文学に劣らない名随筆はいくらでもあるからだ。正確に数えたわけではないが、今のわが蔵書の3分の1を随筆集が占めていると思う。
先月末、ペン画用にセピア色のインクを買いに出掛けた。その店は書店内の一画を占める文具店だった。せっかくだから久しぶりに書棚を品定めしていたら、ちくま書房の精選日本随筆選集の『歓喜』に出合う。帯に「小説にも批評・評論にも戯曲にもない、随筆に特有の表現の妙味」と書いてある。錚々たる顔ぶれの書き手たち。読む気になった。
長い一篇で8ページ、短いものなら3ページ。平均すると5ページか。テーマもいろいろで飽きない。一段落が数行、前後の段落が論理的につながっているわけではなく、断片の話題がフリップのように並べられていくのが好み。開高健の「ちょっと一服」というタバコの随筆がよかった。ストーリーを感じさせない見聞録や所感が、今のぼくの随筆的暮らしに合う。
















