近場のぶらり街歩き

5月末に引越しを控えているが、今住むこの街に住んで20年になる。古代の難波宮なにわのみや、近世の大阪城と城下町、商売の栄えた船場せんば大大阪だいおおさか時代の名建築地区……など、長い歴史の背景がある市内の歴史地区。すべて自宅から徒歩圏内。昨日の日曜日、久しぶりに歩いてきた。

3月に入ったばかりなのに4月上旬の気候だと気象予報士が言うから、軽装で午前10時頃に家を出たら肌寒いではないか。陽当たりのいい道を選んで早足で歩く。とりあえず大阪城公園から梅林を目指す。ところが、NHK大阪放送局のアトリウムを横切ろうとしたら、人でいっぱい。朝の連続ドラマ『ばけばけ』のセットや小道具が展示されている。最終日だと知って、これも何かの縁とばかりに長い列に並んだ。人だかりの割にはほとんど待たなかった。

長屋のセットの時代考証がすぐれている。6人家族で建付けの悪い一間で暮らしていたことに啞然とする。滞在時間は15分ほどだったが、想定外の見学を楽しんだ。さあ先を急ごうと思った直後、NHKに隣接する大阪歴史博物館のポスターが目に入る。特集展示『郷土玩具が好き』がそれ。大阪市民シニアは無料ゆえ、躊躇する余地なし。入館する。

滑稽な細工がおもしろい。「おかいこ虎」という。その名の通りカイコの繭で作られた玩具だ。大正から昭和にかけての作品で、山梨県の養蚕地の郷土玩具。ちなみに、繭という字を凝視してあらためて漢字のパーツの組み合わせに感心した。

地元大阪の作品が最後の方で出てきた。玩具ではなく、引札ひきふだ。チラシである。石鹸と書いていなかったら「志やぼん」がシャポンだとわからなかったかもしれない。石鹸は江戸時代にわが国に伝来していたが、舶来品だけに高額。女性憧れの化粧品だった。1872年に国産品が作られた。浪花石鹸もその一つ。

特別企画展の『河内源氏と壷井八幡宮』にも興味津々だったが、ざっと見て博物館を出る。梅林への道すがら、団体の観光客が少ないことに気づく。旅はグループではなく、一人か二、三人がいい。気に入った所をマイペースで見るに限る。

梅の咲きようは満開に近かったように思う。昨年は来ていないが、一昨年までは少々下品なほど目立つ品種の名称札が幹に貼り付けられていた。今年は、目立たないように枝に小さな名札を吊るしてあった。表示が観賞を妨げないようにと工夫がされている。

キーマカレーとブラウンカレーの2種とナンのインド料理を食べて帰ってきた。およそ15,000歩。ちょうどいい街歩きと予想外に良かった立ち寄り。

本とのコミュニケーション


2月初めから4月末まで、蔵書の要・不要の長くて辛抱を要する選別作業が進行中。断捨離作業が滞るので、選別中は決して本を読まない。

「本とのコミュニケーション」と題して自分が何を書こうとしているかは承知しているが、書き始める前に遊び半分でAIに「本とのコミュニケーション」について尋ねてみたAIは次のように告げた。

単なる知識の吸収にとどまらず、著者や登場人物の感情を理解し、他者との新たな対話や共感を生み出す能動的な体験である。さらに、読書を通じて語彙力や洞察力を養うことで対人スキルが向上し、本を媒介にして読書会で共通の話題を楽しむ、現代のつながりのツールとして機能する。

「能動的な体験」はさすがだが、他はさほど目新しい話ではない。登場人物や読書会というのは一般論から外れている。AIコミュニケーションについてはほとんど語っていない。

何となく通じているように思い、何となく話のやりとりができているように錯覚しているから、安易に「飲みニケーション」などと言えてしまうのだろう。ちなみに、飲みニケーションという造語ができたのは半世紀も前である。コミュニケーションを人間関係の錆やきしみを改善する手段だと思ったら大間違いだ。

飲めば親交が深まることはあるかもしれない。しかし、それとコミュニケーションは別である。酔って話し合ったことは翌日には記憶から消え、酒はしこたま飲んだものの、つまみに何を食べたかはほとんど思い出せない。

コミュニケーションは会話や理解にとどまるものではない。読書において読者は著者に語りかけることはできない。著者の一方的なメッセージを読み取り読み解くのみ。読書とは、知識の吸収でも内容の理解でもなく、知識や内容の「意味」の共有なのである。本とのコミュニケーションとは、本が内包する様々な意味を読者が考えることにほかならない。

内容の難易はあるにしても、どんな本でも生半可な読み方では意味の領域まで達することはできない。生身の双方向の人間どうしなら知識やことばの意味を現在進行形で確認し合えるが、本の世界では著者はすでに書き終えている。その書かれたものの意味を汲み取るのは容易ではない。本とのコミュニケーション――すなわち読書――とは試練だと思う。

「本とのコミュニケーション」の到達点が硬派な結末になったが、読書人生を振り返れば、きつい読書ばかりで、愉しい読書は少なかったという印象である。

語句の断章(75)「見立て」

15年前のこと。当社のスタッフだったアメリカ人アルフレッド・ハフトの名をインターネットで見つけた。世界を視野に入れれば同姓同名の男性はいくらでもいるはず。しかし、さほど時間を要さずに、彼が大英博物館の日本担当学芸員であることを突き止めた。当社に勤務していたのは30年近く前だが、写真を見てすぐにわかったのである。

彼の著書に“Aesthetic Strategies of the Floating World”(「浮世の美的戦略」)という本がある。その副題がMitate, Yatsushi, and Fūryū in Early Modern Japanese Popular Culture”。研究テーマが「見立て、やつし、風流」だと知って彼らしいと思った。当社を離れてから、学者を目指して見立てを研究していたことに驚いた。

見立てとは判断や鑑定の意である。「そのネクタイ、センスがいいですね。ご自分で買われたのですか?」「いえいえ、妻の見立てですよ」というふうに使う。医者の見立てと言えば診断のことになる。

見立ては多義語で、「なぞらえる、仮定する、見なす」という意味もある。白洲しらすに岩を置いて島に見立てれば風流な趣の庭になる。一見無関係な2つの対象を並置すると、機知に富んだ新しい意味が生まれやすい。射撃訓練で実際の人を撃つわけにはいかない。そこで、立ち木を人に見立てるのである。

見立ての身近な例に盆景がある。凝り性の父は正月が近づいてくると盆の上に土、砂、石、苔、小さな盆栽を使って、風景や山水、庭園を写実的に縮小して創作していた。「Aを無関係なBになぞらえる」のは西洋のアナロジー(類比)に似ている。観察眼と遊び心に裏打ちされてこその見立てである。

映画で英語を勉強した頃

移転に向けてまだまだ断捨離が続く。パソコン時代のはるか前に手書きで綴った文章の量がおびただしい。ワープロ時代に入ってからもいろいろ書いたが、書いたことを忘れてしまっている。この先しばらく、そんな再発見の雑文に筆を入れて本ブログに転載しようと思う。


“Love Story”(邦題『ある愛のうた』)の中で使われた一つの単語を巡って19903月に書いた小文がある。

「ケア(care)」ということばはすっかり日本語として定着した。たとえば、「ケア・サービス」と言えば、英語を知らない人でも介護や家事サービスのことだとわかる。

日本語に外来語が増えつつあることには寛容だが、ある言語から別の言語に単語を移行する場合に、どうしても元のことばの厚みが削ぎ落とされてしまう。英語のcareには、①心配、気苦労、②世話、看護、保護、③注意、心遣い、④一時預かり、保管、⑤関心事、注意すべきこと、などの意味がある。

映画“Love Story”の中で使われた何気ない“I care.”という表現が印象に残っている。日本語の字幕は「愛してるわ」だった。「愛してる」は、日本人の愛情表現としては馴染みにくい。そもそも“love”が「愛している」で言い得ているとも思えない。さて、この映画では、ピアニストを目指すインテリな女性ジェニーと大富豪の御曹司オリバーが出会う。

貧しい移民の娘ジェニーは身分の違いを気にしてオリバーの誘いを警戒する。オリバーはジェニーに“You don’t care me!”(ぼくのこと、愛してないんだ!)と叫ぶ。世話、看護、保護というケア(care)が、この映画の一場面で使われると愛情表現寄りになる。英語圏の人たちは“I love you”を連発すると思いがちだが、“I care you”は親近感もあり頻度も高い。

日本語の「世話、看護、保護」という意味のケアと、愛していると翻訳される“love”の間に接点は見い出しにくい。前者は物質的現象と捉えられやすく、後者は多くの場合、男女間の恋愛感情と限定されがちだ。この映画の“care”には何かを大切に思う、押し付けがましくない優しさが感じられる。ケア・サービスという日本語もそんなニュアンスを漂わせるようになるはずである。

今と重なる15、6年前の事象

衆議院選挙の結果は世論調査やわが予測とほとんど同じであった。昨日の午後8時を過ぎると当選確実が続々打たれ、いくらかの誤差を見込んだとしても与党圧勝の結果が確定した。あらすじを知っているドラマを見ているようで、ワクワクしなかった。昼間の片付けで見つけた雑記帳や新聞の切り抜などを粗っぽくゴミ袋に入れて、早い時間に眠りについた。切り抜き1つとブログのコピー1枚だけ捨てずに取っておいた。

【事象①】
早く寝たので早く目覚め、昨夜捨てずに取っておいた新聞の切り抜きを眺めた。

それは20107月の参院選の比例代表の結果の切り抜きである。前年の衆院で勝利して政権交代した民主党だったが、翌年のこの参院選で大敗した。政権与党であることに変わりはなかったが、衆参で多数派が異なる「ねじれ国会」状態となった。

今回の選挙では、自民、維新、中道、国民民主、参政、みらい、共産、れいわ、ゆうこく連合、保守、社民の11党が競った。

2010年の参院はどうだったか。民主、自民、みんな、公明、共産、社民、たちあがれ、改革、国民新党、創新、女性、幸福が争った。今回よりも1党多い。国民新党は今の国民民主とは違う。創新は維新ではない。みんな、たちあがれ、改革、女性、幸福も今はもう存在しない。あ、そんな党があったなあという程度の反応しかない。

選挙があるたびに、与野党の党勢が変化し、そのつど二大政党への期待を膨らませるむきもあるが、この国の政治家は保守であれリベラルであれ発想は似たり寄ったり。大同小異の「小異」にこだわるから、常に多党化の現象が顕著になる。

【事象②】
もう1つ取っておいたのは、事象①の前年の20091月に書いたブログ『米国というジレンマ』のコピー。

米国に対してはやや失望気味のほうがジレンマに悩まずにすむことを学習した。世界には多様な価値観が存在する。大企業が苦戦するように大国も苦悩に喘ぐのである。警察官だって犯罪に手を染めるのである。正義も誤るのである。当たり前だ。

米国との関係性におけるジレンマにうろたえるよりも、そろそろ国家も個人も自分自身が直面している日本社会のジレンマを何とかすべきだろう。「欲望を強くすればやがて身を滅ぼす。また節度を守れば土足で踏みにじられる。欲望に走っても節度を守っても危うい生き方になってしまう」。さあ、どうする?

これから先の予言として読めなくもない。156年経って再びアメリカはジレンマに陥り、その様子を見て見ぬ振りをするような反応しかできない日本も相変わらずジレンマに苦しんでいる。さあ、どうなる? 無関心ではいられない。

取捨選択と向き合う

5月に今のオフィスを退去する。また、6月には自宅の引越しも控えている。年明けから毎日、仕事時間の約半分と自宅での約2時間を、モノ、書類、本の取捨選択に費やしている。所有物の要不要の判断だけなら楽勝だが、取り扱い注意の機密書類やデータが膨大で時間がかかる。手書きのものは、不要と判断した後もノスタルジーや執着が絡んできて逡巡する。

書類や企画書は当初シュレッダーだけで処分していたが、完了予定日から逆算すると間に合いそうにない。しかし、ある時点からスピードアップし始めた。機密情報は取引のある運送会社の書類溶解サービスを利用することにした。段ボール12,000円ほどするが、シュレッダーのような手間はない。年賀状や経理資料や企画書などを箱に詰めて引き渡せば済む。

問題は要不要判断中のノスタルジーとの闘いだ。残すか、捨てるかの岐路でそのつど手を止めていたが、ある日、残したいと強く思うものから潔く捨て始めることにした。高校時代から書き綴ってきた愛着のある日記や文章の類、写真アルバム、表彰状や通信簿の類、著書の下書き原稿、両親の形見などをすべて処分した。あれほど後生大事にしてきたものを捨てたのだから、他のものは推して知るべし。断捨離は加速した。

仕事関係や海外旅行の写真はiCloudに保存し、iPhoneiPadWindowsで同期・共有しバックアップ。紙の資料や講演・研修テキストはすべて廃棄した。未公開のアイデアノート数10冊はかさばるが保持する。書き写したりスキャンするほうが面倒だから。自宅には趣味の道具類がおびただしい。しかし、時間のできるこれからは出番が増えそうだから残す。

最後の最後まで悩み苦しみそうなのが、付き合いが一番長い本になるだろう。読んだ本は処分しやすいという考え方があるが、ぼくの場合は読んだ本の方が多く残り、未読の本ほど処分対象になりそうな気がする。数千冊の蔵書のうち、引っ越し先に移動するのは約500冊と決めている。これからの2ヵ月はかなり厳しい取捨選択に向き合うことになる。

処分対象になる本にもいいものがかなりあるし、他人には役に立つかもしれない。3月頃に友人知人に案内して希望者には無償で提供するつもりだ。

大がかりな断捨離を控えて、昨年暮れに「今後1年間は本と文房具は新たに買わない」と一大決心した。一方で処分しつつ、他方で買い足すのはナンセンスきわまりない。これからしばらくの間は、文具店を冷やかし本屋で立ち読みすることになりそうだ。

人生100年時代の幸せの前提


ここ数年、某企業から依頼されて「人生100年時代」のコラムを書いてきた。人生100年のどの断面を切って文を綴るか。指示はなく、主題はすべて任された。

森へ分け入れば樹齢100年などは珍しくない。人生100年時代もいよいよ現実味を帯びてきたと言われるが、親族や周辺を見渡しても90年代がやっとこさで、人生100年に現実味はなかった。しかし、3週間前に伯母(父の姉)が亡くなり、享年102と聞いて人生100年時代が一気に身近になった。

桜には散る理由がある。来年も咲くためだ。しかし、人が長生きして死することに、桜ほどの明快な理由が見当たらない。

高齢者が「私めは後期高齢者の仲間入りしました」とギャグっぽく言うことはあっても、自らを生真面目に「高齢者」と呼ぶことは稀だ。そう名乗る時は優遇されるか何か特典が受けられる時に限る。同じく、「シニア割引クーポンをお持ちですか?」と聞かれて頷くことはあっても、自らを「シニア」と言うこともない。

シニアとは年長者のことである。しかし、シニアハイスクールのシニアはジュニアに対しての表現。シニアにしても以前のシルバーにしても年上やお年寄りのことだ。人の呼び方には「長幼」が基軸になるのがこの国の習わし。

英語の授業で兄を“older brother”、弟を“younger brother”と教えられたが、欧米では年長や年少をあまり意識しない。つまり、誰かに兄弟を紹介する時は“He’s my brother”とだけ言う。日本人は老いも若きもが老若を意識する。

さて、人生100年時代の若くないコラムニストのぼくは、いろいろ考えた挙句、コラムでは高齢者を「シニア」と書いてきた。しかし、シニアを多用するのは芸がないので、シニア自らが生き方・暮らし方を語ることばをなるべく引用するようにした。そうすると「私は」とか「ぼくは」と語る主体性のあるシニアを描き出せたのである。

「生命のある間は幸福がある」(トルストイ)
「幸福な人間とは、自分の人生の終りを始めにつなぐことのできる人のことである」(ゲーテ)

トルストイのことばもゲーテのことばも死を暗示している。そう、人生100年時代と言いながら、死についてまったく言及しないほうがむしろ不自然なのだ。人生100年時代とは人の生の有限を物語る。そう感じながら、最後のコラムを書いたのを覚えている。

抜き書き録〈テーマ:色彩〉

📖 『クレー ART BOX ――線と色彩――(日本パウル・クレー協会 編)

「ぼくは手を休める。ぼくのなかで奥深く、優しくわきおこる思いがある。ぼくはそれを感じる。苦労もなく自信に満ちあふれた何かを。色彩がぼくをとらえたのだ。ぼくの方から追いかける必要もない。色彩がいつでもぼくをとらえるだろう。これが幸福と言うものだ。色彩とぼくはひとつになった。ぼくは絵描きなのだ。」

ある日のパウル・クレーの日記の一部である。クレーの名が付く展覧会には数回足を運び、美術評論家が評する線と色彩に見惚れたものだ。クレーは「色彩と線の魔術師」と称される。色彩を理論的に学ぶことは可能だが、センスの有無は決定的である。センスとは何かを語ることはできないが、「色彩と自分がひとつになる」という感覚なのだろう。

📖 『色彩――色材の文化史』(フランソワ・ドラマール/ベルナール・ギノー 著)

「古くから使われている色材は、しばしば時とともに名前を変えている。」

色彩の名はややこしい。色材由来のものもあれば風土文化にちなんで命名されることもある。色材を見たままに名付けた「アズルム」(青)という名が、近世以降は「ウルトラマリンブルー」とか「ラピスラズリ」と呼ばれるようになった。ウルトラマリンは和名で「群青ぐんじょう」、ラピスラズリの和名は「瑠璃るり」。両者はまったく同じではないし、それぞれの色も印刷やディスプレイによって微妙に異なって見える。「イエローオーカー」という色の和名は「黄土色」であるが、ことばでは表現しづらい色味の違いが感じられる。

📖 『色彩のアルケオロジー』(小町谷朝生 著)

「上代のことばからもっとも色彩の性質を表していることばを選べと言われたならば、私はためらいなく“にほひ”を採るだろう。にほひが、色彩作用の本質をもっともよく表していることばと考えるからである。」

著者は『万葉集』から大伴家持の次の一首を紹介する。

春のその くれなゐにほふ桃の花 下照したてる道にで立つをとめ

においと色が重なり、花が香って光景が絵のように見えてくる。赤ワインを香りと色で味わう様子を思い出す。赤ワインは熟成が進むにつれ、紫→オレンジ、ルビー→ガーネット→レンガ色に変化する。これら色彩とアロマは別物ではなく一体である。

料理の色彩と記憶

先日、複数の店とメニューをチェックしていた。いろんな会の幹事をしているが、別に直近に集まりがあるからというわけではない。西洋料理店の定番のコースメニューにも目を通したが、以前ほど魅力を感じなくなった。

結婚式以外で洋食コース料理を最後に食べたのはもう10年以上も前。どんなコースだったかはうろ覚えだが、ノートに書いていたので一部思い出した(ノートにはいろんなことを書くが、料理のことや名称は今も割とマメに記録する)。招待されたその日のコースは下記の内容だった。

アミューズ:アボカドとビーツのスープ仕立て、エビのトッピング
前菜:鯛の昆布じめカルパッチョ
スープ:シーフードのミネストローネ
パスタ:鶏肉のペンネ、チーズ風味
魚料理:スズキのポワレ
肉料理:牛肉ロースのステーキ
デザート/コーヒー

こうしてメニューを見てみると、基本はイタリアンの店だったようだ。イタリアンにフレンチが少々入っている感じ。

招待なのでお値段はわからない。申し訳ないが、料理の見た目も味もあまり記憶にない。だいたいこの種の宴席では会話が多いので料理への意識が薄くなる。ホテルレストランなのだが、ドレスコードも緩かったし、格式ばったところもなかった。

一番印象に残っているのが、最初に出てきたアミューズの「アボカドとビーツのスープ仕立て」だ。目立つ色や記憶に残りやすい色については様々な見解があるが、ぼくの場合、赤と赤茶色に注意を引かれる。

トマトの赤、トウガラシ、スイーツならイチゴやベリー。ボロネーゼのソース、焼肉とつけだれの赤茶色。食後にも記憶の余韻が残る色彩だ。あの日のビーツのスープがどんな味だったかあまり覚えていないが、血液のような色の印象だけは今も残っている。

語句の断章(74)手ぐすね引く

「手ぐすね引く」という慣用句はよく知られている。「十分な用意をして機会が来るのを待ち受ける」という意味も何となくわかるし、時々使うこともある。そのくせに、手ぐすねの「くすね」のことはよく知らない。

弓の使い手が手ぐすね引く様子など実際に見ることはめったにない。そこでAI“Google Gemini”に指示してモノクロのイラストを描いてもらうことにした。何度も指示を変えて出来上がったのが下図である。


弓と矢じりの少し下が交叉するところを左手で摑み、右手でおそらく「くすね」を弦に塗っているらしい。「らしい」とは変だが、そういうシーンを描いてほしいと指示したから、おそらくそうなのだろう。

くすねとは漢字で「薬煉」と書く。松脂まつやにを油で煮てった粘着剤だ。これを手に取って弓の弦に塗って弦を補強するのである。このことを「手ぐすね引く」と言い、十分な準備をして待つという意味になる。

AIのお陰で、時は戦国時代の差し迫る合戦を控えた場面、用意周到な態勢で敵を待ち構える鎧武者を浮かべることができる。「手ぐすね」というものがあるのではなかった。また、「手ぐすね引く」の引くは弓を引く動作のことではなかった。「手でくすねを塗る」ことだった。引くとは塗るの意なのである。

こういう背景を知ってしまうと、「手ぐすね引く」という慣用句を使おうとしても慎重にならざるをえない。実感がないし、別の代替表現でも何とかなるからだ。たとえば「包丁をよく研いで食材を待つ。これなら体験があって実感が湧く。実感とことばがつながっている。