コマーシャルの変化(へんげ)

制作意図は大まじめなのだろうが、ついつい笑ったり呆れたりするテレビコマーシャルがある。なかでも「変化物へんげもの」には失笑してしまう。いや、失笑が失礼なら、徒然なるままにアップするブログのネタを提供してくれる、と言い直そう。

変化物は、最初に人物が実体とは違う化身として登場し、30秒後に本性を現わすという構造をもつ。最近では武富士のコマーシャルで内田有紀が化身の役を演じている。内田は、誰がどう見たってフローリストである。そう、花屋さんなのである。男性客に対して笑顔で「いらっしゃいませ」と言ってるのだから、花を買いに来た人ではなく、花屋にいて花を売る人なのだ。とても他の職業に就いているという設定ではない。お客である男性は「彼女の部屋を花でいっぱいにしたい」とか何とか言って、花が所狭しと咲き誇る部屋をイメージする。

内田は「かしこまりました」と応じる(ほら、やっぱり花屋だ)。大まじめなコマーシャルなので、お笑い芸人のように「かしこ、かしこまりました、かしこ~」などとふざけない。だが、相手のニーズに「かしこまりました」とイエスの返事をしておきながら、内田が差し出すのはサッカーボールくらいの大きさに揃えた花。男性客が「部屋じゅういっぱい」と希望を伝え、なおかつ内田も「かしこまりました」と返事したにもかかわらず、いっぱいとは程遠い両手サイズの花を手向けたのだ。もちろん彼はそのギャップに「えっ?」と驚く。いや、彼だけでなく、視聴者も驚く。「これって、顧客不満足じゃないの!?」


ここで終われば「変化物コマーシャル」とは呼べないが、話は続く。彼の「えっ?」という反応にまったく動じる様子もなく、内田は続ける。「この花、確かな計画性という花言葉があります。ムリしすぎちゃダメですよ。自分に合った計画を立ててくださいね」てなことを平然と言ってのける。「確かな計画性」――いやはや、現実味を帯びた、夢のない花言葉ではある。それにしても、失礼なフローリストではないか。「ムリしすぎちゃダメ」は上からの目線。おまけに「自分に合った計画」は安月給のサラリーマンと決めかかっているようでもある。男性は、もしかすると、大富豪の息子かもしれないのに……。

しかし、そうではなさそうで、内田は眼力のある美人フローリストのようである。そして彼は「このほうが彼女も喜ぶかも……」と内田の提案を受け入れる(ものすごく素直な男性だ)。彼の彼女は「確かな計画性」という花言葉に小躍りするタイプなのだろう。まあ、それもあるかもしれない。

いよいよコマーシャルのクロージングだ。冒頭の「いらっしゃいませ」を発したときと同じ笑みをたたえて、内田は「ありがとうございました」と客を見送る。そして、最後の最後に(たぶん客が次の角を曲がって消えた頃に)、「 た、け、ふ、じ~」と口ずさむのだ。この瞬間、「花屋と違うんかい!」というツッコミが入ってしまいそう。そうなのだ、ここにきて内田の実体が、武富士の社員か身内か、あるいは何らかの利害関係者ステークホルダーだということが判明する。フローリストは化身だったのである。

「なぜおまえはこんなに苦心するのか」

表題は手記に書かれたレオナルド・ダ・ヴィンチのことばである。正確に記すと、「可哀想に、レオナルドよ、なぜおまえはこんなに苦心するのか」だ。前後の文脈からは意図がよくつかめない。ここから先はぼくの類推である。

ダ・ヴィンチが生を受け天才ぶりをいかんなく発揮したのは15世紀半ばから終わりにかけての時代。コロンブスのアメリカ大陸発見(1492年)は、13世紀から続いてきた東方レヴァント貿易の集大成であった。ダ・ヴィンチが一世を風靡した時代、画家や彫刻家のほとんどは十代の頃に工房に属していた。親方の指導のもと教会や有力パトロン(たとえばメディチ家やスフォルツァ家)からの依頼に応じて作品を制作していた。

当時はみんな職人で、まだアーティストという概念などなかった。ダ・ヴィンチは生涯十数作の絵画しか残していない。この数字は、天才にしては寡作と言わざるをえない。ボッティチェリ(7歳年長)やミケランジェロ(23歳年下)は仕事が早かったらしいが、ダ・ヴィンチは絵画以外のマルチタレントのせいか、あるいは生来の凝り性のせいか、筆が遅かった。筆が遅いため納期を守れなくなる。実際、納期をめぐって訴訟も起こされた記録が残っている。世界一の名画『モナ・リザ』も、元を辿れば納品されずに手元に残ってフランスに携えていった作品だ。だから、経緯はいろいろあるが、パリのルーヴル博物館が所蔵しているのである。


手記の冒頭をぼくなりに要約してみる。

私より先に生まれた人たちは、有益で重要な主題を占有してしまった。私に残された題材は限られている。市場に着いたのが遅かったため、値打ちのない残り物を買い取るしかない。まるで貧乏くじを引いた客みたいだ。だが、私は敢えてそうした品々を引き取ることにする。その品々(テーマ)を大都会ではなく、貧しい村々に持って行って相応の報酬をもらって生活するとしよう。

天才はルネサンスの時代に遅くやってきた自分を嘆いているようだ。明らかにねている。しかし、これでくすぶったのではなく、前人未到の「ニッチのテーマ」――解剖学、絵画技法、機械設計、軍事や建築技術など――を切り開いていく。天才をもってしても「苦心」の連続だったに違いない。それにしても、自身の苦心を可哀想にと嘆くのはどうしてなのか。おそらくこれはダ・ヴィンチの生活者としての、報われない悶々たる感情であり、同時に「まともに苦心すらしない愚劣な人たち」への皮肉を込めたものなのだろう。

孤独な姿が浮かんでくる。だが、他方、ダ・ヴィンチは「孤独であることは救われることである」とも語る。ひねくれて吐露したように響く「なぜこんなに苦心するのか」ということばも、「執拗な努力よ。宿命の努力よ」という手記の別の箇所を見ると、多分に肯定的な思いのようにも受け取れる。


ダ・ヴィンチほどの天才ですら、好き勝手に絵を描いたのではなかった。注文を受けて困難な条件をクリアせねばならなかったのである。

誰からも指示されずに、自由に好きなことをしたいというのは自己実現の頂点欲求だろう。しかし、もしかすると、こんな考え方は甘いのではないか。いくつもの条件が付いた高度な課題を突きつけられ、何かにつけてクレームをつけられたり値切られたり……案外、そんな仕事だからこそ工夫をするようになり技術も磨かれるのではないか。どことなく、フィレンツェの工房がハイテクに強い下町中小企業とダブって見えてきた。近世以降、画家たちのステータスが職人から芸術家へと進化したのは、間違いなくダ・ヴィンチの功績である。最大の賛辞を送ろう。但し、天才の納期遅延癖を見習ってはいけない。現代ビジネスでは命取りになる。

来週の月曜日、京都の私塾で以上のような話を切り口に、今という時代のビジネスとアートの価値統合のあり方を語る。塾生がどう反応しどんなインスピレーションを得てくれるのか。ダ・ヴィンチ魂を伝道するぼくの力量が問われる。

ウィルスより怖ろしい潔癖連鎖

イタリア紀行でレストランの話を時々取り上げている。厨房の裏の裏まで覗いたわけではないので衛生管理の詳細はわからない。ただ、日本で当たり前のおしぼりやお手ふきの類いは出てこない。そのままの手が嫌なら、従業員にトイレの場所を尋ねて手を洗うしかない。トイレの場所を聞かねばならないのは、男女の人形ひとがたを示すピクトグラムも場所を示す矢印も店内ではふつう表示されていないからだ。

テーブルチャージに相当するコペルト(coperto)として、バスケットに盛ったパンが出てくる。コペルトは200円か300円くらい。前菜かパスタなどの第一の皿が出てくるまで客はパンを手でつかみワインを飲む。ぼくがこれまで目撃したかぎり、イタリア人は手を洗ったりウェットティッシュを使わない。ぼくも、よほど気になる場合は手洗いに立つが、たいていは気にせずにそのままパンをつまむ。

そのコペルトのパン。四、五人用のテーブルならてんこ盛りなので、メインの第二の皿の頃には誰も手をつけなくなる。そう、数切れまたは数個残る。残ったパンをすべての店がそのまま捨てることはない。テーブルナプキンなんぞでパンの表面をさっとぬぐい別のパンといっしょに次のお客さん用に盛り付けなおす。つまり使い回し。「まさか! うそ!」と思われるかもしれないが、ぼくはそんな光景を何度も見ている(但し、誤解があってはいけないので、いさぎよく捨てる店もあるかもしれない、と申し添えておく)。


世界から見れば、わが国の人々は常日頃から異常なほど潔癖である。ぼくには納豆やバナナを求めた心理とマスクを求め装着する生理が同根に思えてしかたがない。しかも、その潔癖さは賞味期限の年月日やらウィルス除去率何パーセントやらうがい回数何回などの「権威筋の数値」に依存している。「これは大丈夫、これはたぶんダメ」という動物的自己防衛機能はまったく作動していないのだ。

添加物を徹底マークして避けていた男がいた。弁当が出てもチェックして怪しければ食べない。にもかわらず、そいつは決して健康ではなかった。すぐに風邪を引く。過度の潔癖症は周囲の人間を不機嫌にしてしまう。そいつとは相席したことはないが、働き始めた頃、ぼくはよく大阪の鶴橋の屋台でホルモンを食べたものだ。一串20円か30円。豚足などはオバチャンが手も洗わずに手際よく割いてくれた。小ぶりなゴキブリが走る。皿に盛ったキャベツはもちろん手洗いしていない素手で口に運んだ。


さて、新型インフルエンザの疫学調査。感染拡大を防ぐため、患者の行動を過去にさかのぼって追跡するという。感染者が乗車した地下鉄、飲食した場所、足跡などの一週間分が判明したとしても、居合わせた他人や彼らとの距離は追跡不可能である。農産品のトレーサビリティよりももっと難度の高い課題なのだ。府域・県域一斉休校にするくらいなら、何よりもまず満員電車の一斉ストップではないのか。

確かなことは、人間の行動とウィルスの感染はグローバル規模でもローカル単位でもシンクロしているということだ。人が飛行機に乗ればウィルスも乗る。地下鉄にも無賃乗車する。学校の授業にも出る。ウィルスの感染を抑えるには人間の行動を束縛し、人間そのものを完全隔離するしかない。到底それは無理な話である。授業が滞るくらい何でもない。時間の工夫をすればいずれ挽回できる。しかし、仕事を一斉にストップさせるわけにはゆかないではないか。厚生労働省では、感染拡大期を「地域でどんどん患者が増え、もはや疫学調査が有効でなくなる段階」としている。その事態は不可避だし、実際そうなってしまっている。不可避だからといって、経済活動をすべて停止して引きこもるわけにはいかない。情報に一喜一憂して浮き足立っているわけにはいかないのだ。


その昔、鼻づまりがひどかったので薬を使った。やめると以前よりひどくなる。結局使う頻度がどんどん高まり手放せなくなってしまった経験がある。便利を手に入れたらリスクもついてくる。人工的な衛生環境に慣れすぎたら免疫力は落ちる。極度な潔癖性分はとても危なっかしい。今日は午後から京都で私塾。大阪からやってきた、招かれざる塾長にならぬよう気をつけよう。また、6月に入るとすぐにアメリカに行くことになっている。十日間滞在して帰国したら、非国民か国際テロリストのような扱いを受けるのだろうか。

対話に「あれもこれも」は禁物

「インターネットで飛び交う情報は過去のものばかり」と主張する場面があった。なるほどその通りだろう。しかし、もし「だからインターネットの活用には限界がある」と続けたら、これは勇み足になってしまう。議論における主張をどこで締めくくるかというのはかなり重要だ。調子に乗って弁舌を走らせてしまうと切り返されてしまう。

冷静に考えてみれば、インターネットに限らず、情報はすべて過去のものであることがわかる。書物だってそうだ。会話など交わされた直後に過去形に転じる。経営方針などの計画や天気予報や競馬の予想を未来形の情報のように錯覚してしまうが、未来をテーマとして扱っている過去の情報にすぎない。


閑話休題。昨日、第2回のディベートカフェを主宰した。第1ラウンドが「朝青龍のガッツポーズの是非」。この論題を11で議論する。第2ラウンドは33で議論する「脱インターネット宣言」(こちらのディベートで冒頭の主張がひょっこり顔を出した次第である)。

いずれも即興である。午後5時に論題を発表、若干の資料も配付。その場で発表されたチームの中で小一時間作戦を練る。ディベートフォーマットは肯定側の「立論」で始まるが、即興ディベートではこれを中途半端に作ってしまわずに、論点だけをメモしておく程度がいい。なぜ即興でやるのかにはいろんな理由があるが、第一義は「よく交叉接合する当意即妙の議論」を楽しみたいからである。

ところが、ディベートカフェのメンバーはほとんど即興ディベートの経験がない。数ヵ月前に論題を公示され、その論題に関して肯定側と否定側の立場から調査して証拠を集め、事前に肯定側の立論をきっちりと構成したり否定側の反駁戦略を立てたりしてディベートに臨んでいたのだ。このような「正規のディベート」では議論を「あれもこれも」と欲張り、論点が多岐にわたることが多くなる。議論も複雑になる。

かぎりなく生きた対話を目指す即興ディベートでこの癖が出るとまずい。即興には幕の内弁当は向かないのだ。むしろ、「あれかこれか」で一品を選ぶアラカルト型が好ましい。余計な枝葉を捨て去り、複雑なからめ手も避けて、単刀直入に論題に切り込むのがわかりやすい。「見方によって違う」とか「ケースバイケースだ」などの姑息な答弁は減点対象にしなければ、即興ゆえの議論のスリルが湧き上がらない。

「ディベート脳」については賛否両論あるが、「死んだ演説」ばかりではなく、時には「生きた対話」に向き合ってみるべきだろう。

歩いて知ること、気づくこと

長期連休あり、渋滞あり。長蛇の順番待ちあり、閑散としたレストランあり。悲喜こもごものゴールデンウィークである。他人が出掛けるときは出掛けない流儀なので、ぶらぶら散策するコースは交通量も少なく人出もほとんどない。大阪を南北に走る主要な谷町筋や堺筋はある種の歩行者天国である。御堂筋ですら、信号無視気味に横断できた。

堺筋本町から北浜へとゆっくり北上。堺筋の東側を歩くか西側を歩くかによって景観はまったく異なる。「あ、あんな店が……」という場合は、たいてい道路を挟んだ反対側を見ていての発見だ。店の前を歩いていても看板が目線より高いと見過ごしてしまう。


北浜の交差点南西角に碑が建っている。このあたりを通って中之島界隈までよく歩くので、記念碑の存在は以前から知っていた。ただ、いつも交通量の多い場所だから、碑の前でひたすら信号待ちしてひたすら公会堂、市役所方面へと歩を進める。今朝は立ち止まって読んでみた。「大阪俵物会所跡」とある。延享元年(1744年)にこの会所がスタートしたという。長崎と中国(当時は清)の海外貿易時に金銀銅が大量に流出するため、当時の輸出特産品である俵物を代用にあてたという旨が書かれている。

その俵物が、フカヒレ、干しなまこ、干しあわびと知って驚いた。こんな昔から中国で日本の乾燥海産物が珍重されていたのだ。三百年近くもブランドを保持しているとは……。高品質がブランドイメージを随えることの何よりの証明である。

肥後橋まで歩いていくと、橋の真ん中まで堂島から長い列ができている。連休最終日、ロールケーキ目当てに朝から並ぶ忍耐と根性はどうだ。噂にちょくちょく聞いていたし目撃もしていた。口にしたことがないので何とも言えないが、ぼくには考えられない「待ち」である。ことグルメ系の食べ物に関して列を成してまで並ぶ必要性をまったく感じない。それがどんなに美味であれ、誰かに頼まれたにせよ、何時間も待つ価値を見出だすことはできない。空腹で死にそうなときに炊き出しに並ぶとは思うが、ロールケーキを求めて並ぶことは絶対にない!


『安藤忠雄建築展 2009――水がつなぐ建築と街・全プロジェクト』の割引き優待券があったので一枚もらってきた。安藤忠雄に文句はない。しかし、チラシのタイトル「対決。水の都 大阪 vs ベニス」は滑稽である。「対決」と「vs」を生真面目に考えずに受け流せばいいのだろうが、対決させてどうなるんだと皮肉りたくなってしまう。大阪とベニスの航空写真を上下に並べて類比しているつもりなのだろうが、水路があるという事実以外に両者には類似点など一切ない。大阪は現代的な車の社会であり、ベニスは近世を残す人の社会である――このたった一つの理由だけで、両者を「対決」や「vs」で向き合わせるようなきわどいアナロジーには無理があるのだ。

水都大阪プロジェクト、大いに頑張っていただきたい。だが、何十年経っても、大阪はベニスにはなれないだろうなと確信した。ベニスになるためには、江戸時代末期の風景をそのまま残しておかねばならなかったのだ。それは叶わぬ夢である。それでもなお、秩序なく林立する高層ビルと、その谷間に申し訳なさそうに生き長らえる大正・昭和の古い建造物と、独特の水路系が織り成す大阪を歩く。週末にこの中途半端な街を散策するのが嫌いではない。

たまには出典不詳が愉快

詠み人知らずには、真性の不詳である場合と匿名希望という場合があるそうだ。講演や研修では、知りうるかぎり出典や著者名を極力示すようにしている。ところが、誰からともなく入ってきた情報や入手経路不明な知識のほうが圧倒的に多いのが現実。どこでどう身につけたのか知らないが、持論をトレースしていくと不確かな情報源に辿り着くのかもしれない。

自力で考えたと思っていたことが、丸々受け売りだったり。拝借したのではなく、偶然にして偉人の言と一致していることもあるだろう。ぼくはメモ帳からふと落ちてくる新聞の切り抜きや、割り箸の袋に走り書きした文言を見つけて、時々楽しんでいる。覚えていることもあるが、忘れていることのほうが多い。十中八九、出典は書いていない。出典がないのはオリジナルなアイデアだから? それとも、引用だったが出典を記さなかっただけ? もはやわからない。


こんな紙の切れ端があった。「できることをしないのは怠慢であり、できないことをできると言い張るのは欺瞞である。」 誰かの名言なのだろうか。ぼくが何かの拍子にメモしたのだろうか。出典不詳、記憶消滅である。

こんなジョークもある。「神経のことを英語で”ナーブ”と言います。だから、イライラすることは神経に障るので”ナーバス”と言うんですね。ナーブが傷つくと大変です。だから薬が必要になります。ナーブを治す天然の薬、それが”ハーブ”なんですね。でも”ハーバス”ということばはありませんから、ご注意を」という具合。ただのダジャレだ。その時はたぶん何かの弾みでおもしろく感じたのだろう。出典不詳も、もしかしたらぼくの作品なのかもしれない。だとすると、ちょっとセンスが悪い。誰かがハーブの形容詞形でハーバスと言ったので、ほんとうは”ハーバル”だよと教えてあげた記憶もない。

抜き書きメモ。これはうっすらと記憶に残っている。「交渉とは知的力学の応用である。交渉力を構成するのは、情報、時間、力。譲歩は投資の量に比例する。ゆえに、失うものがない者は交渉に強い。」 この下線部はぼくの持論となっていて、あちこちでこの話をする。手元に本がないので確かめられないが、これはハーブ・コーエンの交渉の本の部分要約に違いない。

こちらは最近のメモ。「カラダ・バランス飲料DAKARAの余分三兄弟のコマーシャル。余分とは脂肪、糖分、塩分の肥満の三要素。これを”ヒーマン・ブラザーズ”という。」 もちろん”リーマン・ブラザーズ”のもじり。これはぼくの創作である。しかし、それに続く一文「糖分と天海あまみは仕込まれたコードか?」はネット上かどこかで目についたメモだ。それは覚えているのだが、出典不詳。ご存知ない方のために説明すると、このコマーシャルの主役は女優の天海祐希であり、甘味をかけている。

出典や信憑性に左右される日々、たまにはそんなものから解放されて、「人類の知恵はみんなの知恵」と精神を奔放にさせればいい。 

思い立ったが吉日

「思い立ったが吉日」は、「思い立つ日が吉日」という表現もあるように、思いついた日をよき日として物事に着手せよという意味。その昔、仕事や生活も現在とは比べようもないほどゆっくりだったから、「日」でよかったに違いない。今なら、「思い立つ その瞬間が 吉時間」と、時・分・秒のアレンジが必要だ。


一昨日、昨日と特急内で難しい本を読み耽っていた。昨日、大阪梅田経由で帰りがけに書店に立ち寄り、『続・世界の日本人ジョーク集』(早坂隆)を見つけた。前作は3年前に読んでいる。他にも同じ著者のジョーク集を3冊ほど拾い読みしている。「こいつ、本ばかり買って……」という己の自戒のつぶやきもあったが、疲れているせいか、一笑いしてみたらという慰労の声も聞こえた。本を手に取らずに迷っている。そして決めた、適当に開いたページのジョークがよければ買おうと。結果、思い立ったら吉日とばかりに買ってしまった。そのジョークがこれ。

日本人がアメリカ人に言った。
「最近、新しいジョークを仕入れたんだ。もう君には言ったかな?」
「どうだろう。そのジョークは面白いの?」
「ああ、とても面白いよ」
「そうか、じゃあ、まだ聞いてないな」


笑えなかった人、ゆっくり話を追い直してみよう。わかったけれど、さほどおもしろくなかった人、「ごめんなさい」。大笑いした人、「そこまで笑うことはないかも」。

さて、一昨日の講座。話が来月の講座『ことば――技巧の手法』に脱線したとき、「ボキャブラリーの質量と自分の世界が比例する」という話を紹介した。正確に言えば、「私の言語の限界とは私の世界の限界を指している」という命題番号5.6の話だ。これはウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』からの引用。ふつうの人には難解すぎて歯が立たない。ぼくもその一人だが、「ことばと論理」は企画の仕事と講座テーマには欠かせないので一応勉強はする。

目の前に座っていたKさんが、即座にメモして聞き取りにくかったウィトゲンシュタインの名前を確認された。「またいつか」ではなく、その場でチェックする。Kさんがこの超難解なユダヤ人哲学者の本をひもとくのかどうかはわからない。しかし、思い立ったこと同様に、気になったことは聞く、またはメモする。こういう吉日志向の人にぼくは老若問わず敬意を表する。


リスクがないのなら、「思い立てば即実行」がまずいはずはない。仮にリスクがあっても自分一人でどうにか回避したり面倒を見れるならば、案ずるより実行を取るべきだろう。しかし、例外もある。リスクを回避してくれ、また差し迫ったマイナスにならないのなら、「検証中につきしばらく留保」という手がある。いくら思い立ったが吉日と言っても、理性ある大人の世界にあっては「無思考即実行」では話になるまい。

時間、寛容、自由の3点セット

つい「もったいない時間を過ごした」とつぶやいたが、まんざら悪い気もしていない。今朝、本来なら30分で済んだかもしれない打ち合わせが3時間になってしまった。脱線、見直し、小言などであっという間に時間は経過した。半時間で終わる予定が3時間になった。3時間要してしまったのだが、見方を変えれば、3時間注げる余裕があったということでもある。別の約束があったり期限を妥協なく設定しておけば、予定通りに終わった、いや終えることができたはずである。

サラリーマン時代の話。もう25年くらい前になるだろうか。縁故で商談に出掛けていた上司が帰社して言った。

「紹介してもらった人は部長だったけど、2時間も話を聞いてくれた。たぶん、あまり仕事のできない、閑職にある人なんだろう。暇人でなければ、そんなに時間は取れないからな」。

会ってくれた相手にそんな言い方はないだろうと思った。その部長は多忙にもかかわらず、寛容の精神で接してくれたかもしれないではないか。風呂敷のたたみ方を知らぬ上司のほうこそ仕事のできない暇人ではなかったか。

暇人だから時間に融通がきくとはかぎらない。たしかにそんな御隠居さん的ビジネスマンもいる。しかし、「忙中閑あり」も真実だ。人は多忙だと思っている割にはゴミ時間も消費している。逆に、時間がたっぷりあると油断していると、あっという間に1週間や1ヵ月が過ぎてしまう。忙と閑をうまく使い分けて時間管理をきちんとしていれば、時間に対して寛容になれる、つまり「あなた時間でいいですよ」と言えるようになる。


アポイントメントを取るとき、月日は双方合意で決めるのは当たり前。その後の時間決定の段になると、ぼくは原則として相手に時間指定権を譲る。こちらから出掛けていってお邪魔するときも、相手に来てもらって迎えるときも同じである。「その日は終日空いています」とか「夕方以外は午前、午後いつでもいいです」というふうに自由に時間を選んでもらう(もともと欲張って分刻みの約束はしないし、できるかぎり1日のアポイントメントは1件、せいぜい2件までにしている)。

「あなた時間」で決めたからといって自分が束縛されたり窮屈になるものではない。「あなた時間」に「自分時間」を合わせることができる――これこそが真の自由時間だと思っている。暇であるか多忙であるかという状態と、時間が自由であることはあまり関係がない。先行して段取りさえしておけば、多忙であっても自由時間は持てる。後手後手に回ると、暇であっても時間は自由にならない。

時間だけではない。時間以外の諸条件も相手の主張をできるかぎり呑むことによって自由が生まれることもある。自由が欲しければ、まず寛容にならねばならないのだ。

「時間? お任せしますよ」と言えるようになってはじめて、時間をコントロールできたことになる。いつでも自分時間で動けるのは、一見マイペースのように見えるが、「その時間帯」以外が窮屈ということだ。「この時間でなければならぬ」という人物は、可哀想に自由がないのである。その人たちの手帳は屑みたいな約束とゴミ時間の印で埋められていることが多い。

はつはるの雑感

一年前の元日の朝、冷感を求めて散歩に出た。徒歩圏内の大阪天満宮にも行ってみた。まるで福袋を求めて開店前のデパートに並ぶ客気分。参拝にも時間がかかったが境内から脱出するのにも苦労した。

今年はごく近くにある、中堅クラスだが、由緒ある神社に行ってみた。ちょうどいい具合の参拝客数。都心にもかかわらず喧騒とは無縁の正月気分。運勢や占いにあまり興味はないが、金百円也でおみくじを引く。三十六番。これは、ぼくと同年代とおぼしき男性が直前に引いたのと同じ番号であった。


初夢は超難解だった。画像がなく文字ばかり。大晦日に読んだ超難解な哲学書の影響なのだろう。「知っていることを歓迎し、知らないことを回避するのが人間」というお告げ(?)である。目が覚めてから少考。「わかっていることを学び、わかっていないことを学べないのが人間のさが。たとえば読書。ともすれば、自分の知識の範囲内に落ちてくれる内容を確認して満足している。異種の知を身につけるのは大変だ」という具合に展開してみた。


徒歩15分圏内の職住接近生活をしているので、オフィスまで年賀状を取りに行く。自分が差し出している年賀状の文字が二千字に近く、受取人に大きな負担をかける。逆の立場ならという意識を強くして、いただく年賀状は文章量の多寡にかかわらず一言一句しっかりと目を通すようにしている。

年賀状を二枚出してきた人がいる。宛名がラベルであれ印字であれ、何か一語でも一文でも直筆を加えれば誰に書いたのかはうっすらと記憶に残るものである。二枚差し出すというのはパソコンデータに重複記録されていて、そのことに気づいていないという証拠だ。そんな人が今年は二人いた。

数年前にも二枚の年賀状をくれた人がいた。その人には出していなかったので早速一文を書いて年賀状を送った。しばらくしてその人から三枚目の年賀状が届いた。「早々の賀状ありがとうございました」と書かれてあった。


景気に対して自力で抗することができない。そのことを嘆くのはやめて、しっかりと力を蓄える。一人で辛ければ仲間と精励する。今月から有志で会読会を開く。最近読んだ一冊の本を仲間相手に15分間解説する。テーマの要約でもいいし、さわりの拾い読みでもいい。口頭で書評し、そして他人の書評を聞く。すぐれた書評は読書に匹敵する。新しくて異種なる知の成果にひそかに期待している。

おおつごもり雑感

年内四日、年明け四日の八日間、仕事は休業である。仕事はしないが、自宅の本棚を片付けると、ついつい本を読んでしまい、整理がはかどらない。気がついたら仕事のネタを探している。さて、今日からは超難解な哲学の本を毎日数時間読むことに決めていた。ゆるんでアバウトになりそうな脳に気合を入れるため。哲学なんて正月早々無粋な話だが、テレビを観ておせちを食らって初詣もいまいち芸がない。


欄干橋虎屋藤右衛門、唯今は剃髪いたして円斎竹しげと名のりまする、元朝がんちょうより大晦日おおつごもりまで各々様のお手に入れまするは此の透頂香とうちんこうと申す薬……。

外郎売ういろううり』の冒頭である。透頂香とは気つけ、二日酔い覚まし、食い合わせ、喉に効くオールマイティな妙薬。これが昼夜を問わず毎日売れて売れてしかたがない。だから元朝(元旦の朝)から365日間商売繁盛というわけである。妙薬は無理だが、妙案をひねり出すべく見習わねばならない。


本棚に見つけたのは岩波の『いろはカルタ辞典』。「いろはカルタ」なのに五十音順で検索する。それもそのはず、「いろは順」で引ける世代が圧倒的に少なくなっているのである。カルタに採用される諺・慣用句などの語句は大きく上方系と江戸系に分かれるらしい。しかし、驚いたのは「い」だけであるわあるわの18種。てっきり「犬も歩けば棒に当たる」か「石の上にも三年」くらいしかないと思っていた。

急がば回れ。一を聞いて十を知る。一寸先は闇。井の中の蛙大海を知らず。居食いぐいをすれば山でもむなし。砂子いさごも遂にいわおとなる。石臼箸で刺す。石原で薬罐やかん引く。医者の不養生。一心岩をも通す。芋の煮えたもご存知ない。いやいや三杯。祝いは千年万年。鰯の頭も信心から。言わぬは言うに勝る。

最初の四つは「なるほどあるかもしれない」と納得もするが、その他はなかなか教養を要するではないか。いろはカルタ侮るべからず。「ろ」以下にざっと目を通して、レベルの高さに驚いた。決して子どもオンリーの遊びでなかったと見当がつく。


この辞典の最後は「わ」である。

我が田へ水を引く。我が身をつめって人の痛さを知れ。わからず屋に付ける薬はないか。禍は口から。

ややネガティブで教訓的なものが続いたあと、やっと定番が登場――「笑う門には福来たる」。嫌というほど見慣れ聞き慣れした常套句だが、しかめっ面する奴よりも笑っている人間のほうが福に恵まれる可能性は大きい。やっぱり難しい哲学など読み耽らずに、お笑い番組で正月気分に浸るのが正解か。