ランチのこと、町中華のこと

たわいもない外食談議の折に気づいたこと。粉もんのメッカ大阪の、歴史のある住宅街でありオフィス街でもあるのに、うどん店が一つ消え二つ消え、今では徒歩圏内にはない。チェーンの店ならあるが、昔ながらの麺類一式を扱ううどん屋が見当たらないのだ。

うどんはないが、蕎麦屋は有名店も含めて56店ある。カレーとラーメンは十数年前から超激戦区なので、それぞれ10店舗は下らない。粉もんのお好み焼きと焼きそばもカレーとラーメンに次いで多い。洋食店はまずまずあるが、和食処は減った。

ここ3年出張が減って、オフィスでの弁当や近くの店での食事が増えた。ランチタイムはたいてい一人で出る。即決できそうだが、自由度が高いと逆に迷う。そして、先週と先々週に食べたものを振り返っているうちに、迷った末に中華を選択することになる。

ところで、大衆的な町中華の原点は青少年時代の「若水」という店の中華そば一択。ラーメンではなく、中華そばという呼び方が習わしだった。今思えば「五香粉」の、八角と山椒と丁子ちょうじを混ぜたような焼豚かメンマの独特の香りを漂わせる中華そば。


中華のメニューは他のジャンルよりも圧倒的な種類を誇る。麺類や飯類はもちろん、スパイス料理や揚げ物・焼き物・煮物もある。店を中華に決めるのは簡単だが、入店してから迷い始める。日替わり4種、週替わり2種だけならいいが、中華料理店のメニューは昼夜の別がないので、メニューの定番料理は昼でも注文できる。選択肢が多すぎる。

ワンタンメンと半チャーハンのセット(焼売2個付き)
醤油ラーメンと半チャーハン

迷わないようにと、どの店でも麺と半チャーハンのセットにしようと決めたことがある。店によって味が変わるから飽きないだろうし、値段も700円~850円とお得感もある。しばらく続ければ麺と半チャーハンの食レポができるかもしれないとも思った。

週始めに2日連続注文した。月曜日に入った店では日替わりの海鮮XO醤炒めに心を奪われながらも半チャーハンセットを指名。火曜日の店では日替わりの酢豚定食を我慢して、この日も初心貫徹。2日にわたるこんな食べ比べは生涯初だ。月曜日の店のチャーハンは決して「半」ではなかった。ラーメンスープの味はだいぶ違ったが、どちらも味は濃厚だった。

3日目の水曜日。中華料理店に行きかけたが、和食店の店頭に並んでいる天ぷらと惣菜の弁当を買った。濃いスープの麺と、「半」とは言え少なからぬ量のチャーハンを3日連続狙い撃ちするほど麺とチャーハン好きではない。世の中には、ランチ処には、そして中華料理店には、毎日注文を変えてみたくなる料理がいろいろあるのだ。

夏は豚肉料理

中華の庶民的なスタミナ料理と言えば、豚肉のレバニラ炒め(ぼくは「ニラレバ」と言う)。レバニラは、酢豚定食や回鍋肉定食と並ぶ人気の豚肉料理だ。豚肉や豚ホルモンに夏野菜やニンニクの芽などを加えて炒めた定食は元気もりもりになりそうな気がする。

鰻もいいが懐にやさしくない。牛肉の焼肉やすき焼きもいいが連日というわけにはいかない。夏のスタミナ源はやっぱり豚肉がお手頃だ。レシピが豊富なので週に23度食べても飽きない。

7月末からランチで食べ歩きした豚肉料理8品を紹介する。なお、エピソードがあれば書くが、いちいち「うまい」というコメントは入れない。


レバニラ炒め

若い頃、夏場に街中華に入ったらレバニラ炒めか酢豚かだった(店が珉珉ならジンギスカン定食)。写真は最近たまに行く中華の店の一品だが、ニラが少なく見えるほどレバーがこれでもかというほど入っている。注文時に「ライス少なめ」と告げる。

焼豚とレアチャーシューの鶏・魚貝ラーメン

焼いたチャーシューとレアのチャーシューを使うラーメン店。チャーシューの切れ端も無料でトッピングしてくれる。豚肉は牛肉よりもスープとの相性がいい。

トンテキ

一度きりだが、厚切りトンテキと薄切りトンテキをそれぞれ200グラム注文したことがある。さすがにきつかったので、今は厚切りと薄切り合わせて300グラム、しかも年に1回で十分。焼き上がった肉を濃いめのソース鍋にどぼんと漬ける。揚げて煮込んだニンニクは好きなだけ盛ってくれる。

カツ丼

定番のカツ丼。所望すればカツとじとライスを別盛りにしてくれる。麺類一式の店の人気のご飯ものはカツ丼と親子丼。これにミニうどんかミニそばが付く。

生ハム

休日はたまに昼飲みする。たいてい白のスパークリング、それに生ハムを合わせる。ゆっくり噛みしめるように食べ、ハムのあとはパスタかピザをシェアしていただく。

月見焼豚丼

焼きとんの店の〆ご飯。焼豚の下に月見が隠れている。生卵を見るとテンションを上げてかき混ぜるお方がいるが、かき混ぜ過ぎると味がわからなくなる。箸で黄身を崩したら、黄身の流れにまかせてご飯と肉をいっしょに食べるのがいい。

満州風酢豚

普段食べる酢豚はライスと合うが、この酢豚はビールでいただく。さらっとさっぱりした甘みのあるたれが薄切りの肉にまつわりつく。街中華では出ないが、中国の延辺や東北の料理店ではメニューに出ている。

イベリコ豚のロースト

豚肉のローストは脂と赤身のバランスと焼き加減で味にかなりの変化が出る。イベリコ豚という語感と厚切りした断面の視覚が食味に大いに影響する。

夏はやっぱりカレー?

「夏はやっぱりカレー」と言われても、「夏はやっぱりアイスコーヒー」と同じく、特に違和感を覚えない。誰が言い出したか知らないが、暑さとスパイスは相性がいいようだ。では、「カレーと言えばやっぱり〇〇〇」と言い切れるカレーはあるか? 絞り切れないという点では「ない」と言うしかない。

ここ十数年、日本で独自に進化したスパイスカレー。あまり追いかけなかった。それよりも、近場でインド/ネパールカレーを中心に食べ歩いた。何しろ居住区と職場は関西有数のカレー激戦区なので、徒歩圏内でいろいろ賞味できてしまう。インド/ネパールだけでなく、パキスタンやスリランカやシンガポールもある。

ここ数年、ナンよりもライスの頻度が高くなった。よく行くネパールの店ではご飯たっぷりの「ダルバート」。もっとよく行く南インドの店では、土曜日は大盛りのかやくご飯「ビリヤニ」、そして最近の日曜日は「カレーはやっぱりミールス」と決めて店に入る。ダルバートもミールスも、また北インドのタ―リーも、味や盛り方のニュアンスが違うだけで、基本はライスとカレー数種類の定食である。

南インド料理の定食、ミールス
同じ店の別の日のミールス

ひいきにしている店のミールスは、ライスと8種類ほどのカレーの小皿を丸い大きな皿に乗せて出てくる。中央にはパラパラとしたバスマティライスを盛り、その上にパパドという豆の粉を薄く焼いたせんべい。バスマティはジャスミンライスのように香りがなく、カレーで煮込んだおかずとの相性がとてもいい。

小皿のカレーは日替わりでおかずが変わるが、定番はサンバル(豆と野菜の辛酸っぱいカレー)とラッサム(塩酸っぱいスープ)。あとは、ココナツカレーやダル(豆のカレー)やポテトの炒め物、ホルモン煮込みやカボチャなどの小皿もたまに出てくる。カレーとナンを注文すると、1種類か2種類のカレーに小さなライスが付いてくるのが一般的。ミールスなら、ふんだんに豆と野菜と肉を使った味の違うカレーが何種類も楽しめる。

インド/ネパール料理は、ご飯をたっぷり食べさせる。ミールスのいろいろな小皿はご飯をモリモリ食べる仕掛けなのではないかと思う今日この頃である。

焼きそばを食べ比べる

『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』というパロディ本がある。100人ほどの文豪の名文の一節をカップ焼きそばをテーマとして創作した一冊。たとえばシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のあの有名なシーンが次のように化けている。

ああ、ロミオ。あなたはどうしてロミオなの? バラは名前を捨てても、その香りは美しいまま。
インスタントになっても、焼きそばは美味しいまま。
ロミオ、その名前を捨てて。私に顔を見せて。蓋を開けたら麺が見えるように!

こんな具合に名作のパロディが書かれる。佳作とそうでないものが半々というところか。カップ焼きそばがパロディになるのは、カップ焼きそばの本質に愉快があるからだ。鉄板で調理する焼きそばはB級グルメなどと言われるが、カップごときに負けるわけにはいかない。それどころか、うまさに唸ることも稀ではない。

時々ぶらぶら歩く商店街に「ヤキソバ研究所」なる醤油焼きそばの専門店がある。入店体験なし。興味がないわけではないが、近くを通る時はいつもランチの後。ともあれ、焼きそばは立派に研究対象になり、その成果が商いになることの証明である。


焼きそばの研究家や通などとは思わないが、焼きそばは好きであり、好きと言うかぎりは数をこなしており、平均すると週一ペースになるかもしれない。これまた好物のパスタといい勝負である。と言うわけで、今年になって食べた焼きそばをレビューしてみる。

定番のソース焼きそば

具は豚肉とキャベツのみ。具の種類は少なめがおすすめ。卓上のソースを好みに応じて足す。焼きそばとご飯をいっしょに食べるかどうかという論争があるが、好きにすればいい。

上海焼きそば

ソース焼きそばに比べて具が多い。そばをベースにしたあっさり系の野菜炒めという感じ。上海焼きそばと香港焼きそばは見た目よく似ている。色合いと味は香港のほうがやや濃い。

西安クミン焼きそば

行きつけだった店では「西安シーアン焼きうどん」と呼んでいた。これでもかとばかりにクミンと唐辛子をまぶしてある。ご飯に合う。この店、残念なことに移転してしまった。

タイの焼きそば、パッタイ

カオマンガイで使う鶏肉とモヤシを炒める。生野菜が添えられ、唐辛子と砕いたピーナツがかかっている。日本米だと合わないが、タイ米との相性はかなりすぐれている。

タイの醤油焼きそば、パットシ―ユー

パッタイに青菜が加わり、見た目も味も濃くなっている。上海も香港もこのパットシーユーも醤油味が違う。組み合わせる調味料によって醤油の味変が生じるのだろう。

モンゴルの羊肉焼きそば、ツォイピン

珍しい羊肉の焼きそば。割と辛めに作られている。羊を敬遠する人は多いが、牛肉焼きそばよりはかなりおいしい(牛肉は焼きそばの具としてはイマイチである)。

リングイーネの創作焼きそば

リングイーネという稲庭うどんに似たパスタを使う、わが家の創作焼きそば。茹で残ったリングイーネを好みのキノコと炒め、醤油を数滴たらす。刻み海苔と大葉をまぶす。

バスク風イカ墨めしを作る

数万年から十数万年前の「しゅつアフリカ」以来、ホモサピエンスは世界に拡散し多様な進化を遂げて今日に至る。定着した土地の環境に適応し、調達した食料を加工して腹を満たした。農業と牧畜を発明して食材を生産し、長い歳月をかけて様々な料理の方法を編み出してきた。ありとあらゆるうまいものはすでに実現している。

一品料理から和菓子や洋菓子に至るまで、インスタ映えとか何とか言って、見たことも味わったこともない変わり種の一品を作ってはみても、めったなことではこれまでのうまさを超えるものに出合わない。昔から今に引き継がれて受け入れられている、スタンダードな料理のほとんどはこれ以上ない完成域に達しているのではないか。

ただ一握りの料理人によって限られた場でしか供されない料理がある。また、うまい料理でも日常的に食すものとめったに口に入らないものがある。たとえば、バスク地方のビルバオやサンセバスチャンを旅した食いしん坊の知人は「初めてのうまさ」と言う。街々に数えきれないほどの美食倶楽部があり、アマチュアが作るシンプルな料理が魅力らしい。


細かくみじん切りしたタマネギをオリーブオイルで炒め、イカの切り身を入れて塩を少々加える。次いで完熟トマトでなじませたら、イタリア産の米、カルナローリを投入。そこに米と同分量のイカ墨たっぷりの魚貝スープを加える。焦がさぬよう火の用心しながら、弱火で15分。火を止め蓋をして蒸すこと5分。「バスク風イカ墨めし」が出来上がる。

一年か二年に一度だけ作り、自画自賛しながら食べる。タマネギとトマトは溶け、見た目は米とイカだけの料理。以前テレビで知った、バスク地方の美食倶楽部を真似た一品だ。レシピとしてはリゾットに準じるが、米を硬めに調理するとパエリアの食感に近くなる。具だくさんにすると米のうまさが半減する。パスタ料理も具材が少ないほうが麺がおいしい。

デリケートな火加減とテキトーな手順の調和によって少ない食材でご馳走を作る。寿司に日本酒を合わせるように、このイカ墨めしには白ワインか発泡酒を合わせる(と言うか、それ以外の選択肢が思い浮かばない)。米を主食一点張りで捉えずに、食材の一つとして工夫すれば酒に合う米料理が生まれる。

連休は近場で食べ歩き

連休中の大阪は、キタもミナミも観光客で溢れかえり、繁華街は思うように歩けなかった。キタとミナミの中間に住んでいる。それぞれの中心街へはメトロで2駅だが、急ぎでなければたいてい歩く。半時間以内で行ける。観光客が並ぶ店を避けて、近場の食事処を一日に一店訪ねてみた。


人気店のようだが、たまたま二階の席が空いていた。自宅から徒歩10分と近いが、初入店。和洋数種類のランチメニューがある。店のしつらえも名前も和風なので、日替わりの和定食を指名した。この種の「いろんなおかずをちょっとずつ」という盛り付けは女性好みのはやりなのだろう。合格点のおいしさだが、当世、どこにでもありそうなランチだ。

自宅から徒歩5分。お気に入りのピザとパスタの店だ。その割には年にランチ3回、ディナー1回程度。コロナだったのでやむをえない。毎日4種類のピザを用意している。定番の「マルゲリータ(写真)」かチーズ4種トッピングの「クワトロフォルマッジ」のどちらかを注文する。昼前から20人以上並ぶ超人気の蕎麦屋が近くにある。ひいきにしている店だが、小一時間待って2,000円の天ざる定食なら、待たずに済み、1,000円でサラダとドリンクの付くピザにする。

いわゆる一般的な色とりどりの酢豚とは違う、満州酢豚。これをメニューに載せている中華料理店は多くない。薄切りの豚肉にささやかに千切りの野菜が添えてある程度で、とにかく大量の豚肉をいただくのがコンセプト。醤油を使わない、透明の甘酢液をかけてある。周りは食べたこともなく名前すら知らない人ばかり。この酢豚を食べないのは人生の一大機会損失だと思う。これまで4店で食べたが、それぞれ微妙に食感と味が違う。

カウンターだけの店。旬の魚を料理する。鰻丼、まぐろ丼、穴子/野菜天丼など丼が売り。時々ブランド牛のステーキも出すが、少考せずに、漬け丼か煮付けを選ぶ。この日の海鮮漬け丼は、まぐろの中トロ、カツオのたたき、ヒラメ、天然真鯛、剣先イカ。複数の魚を盛った漬け丼は、名前と食材を照合させながら食べるのが作法。カツオとイカとヒラメをいっしょに頬張ってはいけない。

たこ焼きをテイクアウトしてみた。何年ぶりかわからない。聞くところによれば、最近では8個で730円というのがあるらしい。B級どころか高級食である。9個で450円という店がある。これが相場らしい。この店、焼いたのはいいが、思い通りに客が来ず、売れ残ったたこ焼きを100円引きの350円で売っている。容器に入っているので端っこのほうが変形している。当然めているが、「アウトレットコーナー」という立て札に笑わされ、つい買ってしまった。

牡蠣食気考

先月、すでに旬が終わった。それなのに、今頃になって『牡蠣食気考』と題して、食べ足りなかった牡蠣の話をするとは未練がましい。

牡蠣食気考は「かき/くいけ/こう」と読めるが、ついでに語呂よく「かきくけこ」と収めたい。何でもかんでも好き嫌いせずに食べる気満々、牡蠣ならなおさらのこと、一目散で食い気に走る。

牡蠣の季節が始まる晩秋になると、いつも「昨年はあまり食べた記憶がない。今シーズンは食べるぞ!」と決意し宣言する。その割には年内と1月はせいぜい一、二食程度で、あまりガツガツしない。プランクトンが豊富になる2月から牡蠣はいっそうおいしくなる。牡蠣の旬を2月初旬から3月中旬に定めて集中摂取するのだ。しかし、牡蠣と同等においしい食材に恵まれる年は牡蠣を食べ損ねてしまい、気がつけば季節は春になっている。

ぼくの集中摂取などせいぜい1ダース、たかが知れている。中世フランスのアンリ4世は一度に20ダース食べたという。ローマ時代の軍人アルビヌスはその倍の500個を食した。これで驚いてはいけない。そんな数は可愛いもの。同じくローマ時代の大食漢ヴィテリウス帝は一度に100ダース、なんと1,200個の生牡蠣を平らげたという記録を残している。

カキフライ20個は無理でも、レモンを絞るか塩でつるりと味わえる生牡蠣なら20個はいけそうだ。

「サカナは外国人と日本人では食べ方が異なるが、牡蠣だけは万国共通で生を食べる。大げさのようだが全世界の人々が牡蠣の旨さを知っているからだろう」
(岩満重孝『百魚歳時記』)。

広い世界、広い日本に有数の牡蠣の産地がある。牡蠣はどこの産地が一番うまいかなどと論じても意味がない。牡蠣について言えば、旬がうまいと言えば事足りる。あとは人それぞれの好みだ。地元の人たちは地場がうまいと思っている。日本の生牡蠣はおおむね実入りがよく厚みがあるが、パリで何度か食べた生牡蠣は薄っぺらい。それが彼らの舌に合うし、口に入れてみればわかるが、生食にもってこいの味とサイズなのだ。

パリはバスティーユのマルシェ(2011年11月中旬)。牡蠣1個1.6ユーロと書いてある。当時は円高で1ユーロ105円だった。1個168円くらい。

フランスではカキフライという食べ方をしない。ほぼオイスターレモンである。機会損失だと思うが、生牡蠣で十分なのだろう。しかし、牡蠣は食材として万能。焼いたりグラタンにしたり蒸したり刺身にしたりと、あの手この手で料理を工夫すれば、巨漢の大食いヴィテリウス帝には及ばなくても、2ダースくらいなら問題ない。終わりに、自作の牡蠣料理のいくつかを紹介しておく。

オリーブオイルで煮た牡蠣のコンフィ。
殻付き牡蠣のポン酢。
加熱用牡蠣のニンニクとトウガラシのマリネ。パスタに使う。
実入りのいい牡蠣めし。

牛ステーキの焼き加減は?

焼肉とステーキは同じ料理の別の言い方か? ソースや調味料に違いがあっても、どちらも肉を焼いている点では同じか? しかし、「焼肉を食べに行こうか」と「ステーキをおごるよ」は同じではない。さらに言えば、焼肉と呼ぶ時の肉は通常は牛、豚、羊だが、ステーキはその他に鶏や鴨や魚、さらにはコンニャクやシイタケだったりすることもある。

牛肉に限ると、焼肉とステーキはよく似ているが、特徴的な違いがある。外食の場合、たいてい焼肉は客自らが好みの加減で焼く。一方、ステーキは店側が焼くので、店の調理人は客に好みの焼き加減を聞いてくる。客はおおむねレア、ミディアム、ウェルダンのいずれかを告げる。

ユッケ、ミンチ肉のタルタルステーキ、牛刺しなどは、まったく火を通さずに生のまま食す。鉄板であれ網であれ、ステーキには火を通す。薄い肉だと焼き加減は3段階が限界。焼き加減を微妙に調整するためには肉に厚みがいる。厚さが2センチ以上の牛肉なら上図のように、さらに好みの加減で焼くことができる。

レアは肉の表面だけを強火でさっと焼くか炙る。火は中までほとんど通らないので、ナイフで切ると断面は赤い(時に血が滲み出る)。ミディアムはレアの断面にピンク色が残るが、生焼けという状態ではない。ウェルダンは表面もよく焼けていて、切った断面からも赤みがほぼ消えている。

30代前半に勤務していた会社近くに良心的なステーキハウスがあった。同僚のアメリカ人と月に23回足繁くランチに通ったものだ。同僚はミディアムレア一辺倒。ぼくはいろんな焼き具合を試して、その店が仕入れている肉にはレアが合うと判断。その頃から今に至るまで、焼いてもらう場合も自宅で焼く場合もステーキはほぼレア仕上げだ。

そもそもレアの定義が「表面を強火でさっと・・・焼く」と曖昧だ。「さっと」は15秒なのか30秒なのか、肉質と肉厚を見て直感で判断するしかない。裏側の焼き方も焼き時間も悩ましい。いい感じのレアになっているだろうと思って切ってみるとミディアムになっていたりする。

年末に黒毛和牛のステーキ肉を買い、サランラップで包んで数日間寝かせておいた。冷蔵庫から取り出して常温に戻してからクロアチア産のハーブ塩をまぶして、厚めの鉄板で一気に焼いた。頃合いを見て端を一切れカットして焼き具合をチェック。レアの手前のブルーレア状態。すべて切り終えて皿に盛りつける頃に、余熱で理想的なレアに仕上がった。満悦至極。

ラーメンのレシピ再現物語

たまに行くいつものラーメン店でいつもの一番人気のラーメンを食べた。会計時に「これ持って帰って食べてみて」と店主が言い、インスタントラーメンを差し出した。パッケージを見ると、いま平らげたラーメンと同じ名前が……。「これ、ひょっとして」と言いかけたら、「話せば長いのでまた今度」と返された。

ラーメンマニアではないので、さすがにその日の夜には食べず、二日後の休日の昼に作ってみた。店の麺は生麵、インスタントの方は蒸して乾燥させているだろうから、口当たりが違う。生麺に比べてやや細い。しかし驚いたのはスープのほうである。店のスープとの味の違いがぼくの舌ではわからなかった。

後日、客がひけた頃合いを見計らって店に行き、同じラーメンを注文し、スープを味わい、あらためてインスタントのスープの出来に感心した。だいたい見当はついていたが、「いったいどういう経緯でインスタントができたのか」と尋ねた。以下、店主の話。


数カ月前にうちのラーメンがこの地区でグランプリを受賞したのは知っての通り。それ以来、並ぶ人の列も長くなった。常連さん以外の見慣れない客も増えた。新しい客でよく通ってくれる人が何人もおり、その中にいつもスーツを着た若い女性がいた。

女性は昼のピーク時間を避けて遅めに来る。閉店の30分前くらい。ゆっくり食べ,スープもじっくり飲む。食べ終わる頃にメモ帳を取り出してすばやく何かを走り書きする。「ごちそうさま」とだけ言って店を出ていく。他の客とは雰囲気が違う。女性の一人客は多くないので目立った。

最近特によく来るなあと思っていたある日の会計の時に、「いつもありがとうございます。気に入っていただいているなら何より。それにしても、よく来られますねぇ」と聞いてみた。他店の偵察などと思っていたわけではない。ここまでよく足を運んでくる理由を単純に知りたかったから。

女性は恥じらうように「実は……」と言って名刺を差し出した。大手食品会社の商品開発担当者だった。仕事柄いろんな店で食事をし、これぞと思うメニューを味わい、うま味のもとや成分を想像するという。そして、こう切り出した。「いつもいただいているこのラーメンをインスタント商品として当社から発売したいと考えています」。

麺もスープもレシピと作り方は教えられないと言うと、「承知しています」。飲み残したスープの持ち帰りもお断りと言えば、「当然です。こちらのお店の名前と商品名を拝借するのですから、合格と言っていただけるまで試作してお持ちします。なにとぞよろしくお願いします」と女性は深く一礼した。オファーを受けることにした。


以上がおおよその店主の話。店で十数回食べ、記憶とわずかなメモを頼りに、麺とスープを再現する。店では化学調味料を使わないが、食品メーカーは材料に調味料や添加物を使って同じ味を作り出す。女性は何度も何度も試作品を持参した。店主は妥協せず厳しく品評したという。ついにある日、店主とスタッフは納得のスープを味わうことになる。「麺は生麺ではないから80点どまりでしかたがない。しかし、スープのほうは……うちの味に近づいた。すごい再現力だと驚いた」と店主。

その後ぼくもインスタントのほうを何袋か買って食べた。かれこれ20年前の話。店主は数年後に一身上の都合で別の仕事に就いたため、店は今はもうない。ちなみに、店主はぼくの実弟である。

特価チーズの品質を巡って

「品質」はモノの良・不良を問題にする時に使われる用語。「品質がねぇ」などとつぶやき始めたら、何かしらよろしくない気配が察知されている証拠である。

製造過程で不良品を出さないように工夫することを「品質管理」という。そして、製品が顧客に売られる時および売られた後「いついつまで」の品質の良さを約束することを「品質保証」という。品質の管理と保証はセットになっている。

チーズ専門商社のアウトレットで定価1,000円のフランス産のチーズが299円で売られていた。価格ラベルに「品質管理の為」と書かれている。この6文字の裏には記述されなかったメッセージがある。想像してみた。

「お客様、店側で品質維持しながら在庫を保存してきましたが、そろそろ賞味の期限が近づいてきました。よろしければ、破格のお値段でご紹介します。これから先、この品をお客様にバトンタッチしたいと思います。なお、私どもの手を離れた後は、どうか自己責任にて保存または召し上がっていただきますようお願い申し上げます」

誤表示や偽装を見逃してはいけない。しかし、安全で美味で安価なら「品質管理の為」という不器用な表現の揚げ足を取ることもない。前向きかつ好意的に検討してあげてもいいのではないか。

フランス産のまずまず上等なヤギのチーズが70%オフなのである。「品質管理の為」は誰にでもわかる表現ではないが、悪だくみではなく、何かよいおこないをしているように聞こえる。何と言ってもコーヒー1杯よりも安い値段なのだ。買って今夜か明日に食べてしまえばいいではないか……こんなふうに思ってしまう。

但し、覚悟もいる。「うまくて安い」は実感しやすいが、人の舌は必ずしも危機管理に優れているとは言えない。鼻でしっかり嗅ぎ、次いで舐めてみて安全だと判断しても、やっぱりそうではなかったということは12時間後の腹痛や下痢でわかる。時には死亡に至ってはじめて安全ではなかったことを知る。知るのは本人ではなく、本人以外の誰かである。