コーヒーが当たり前の嗜好品になって久しいのに、「ある種のコーヒー」だけがまだ蚊帳の外。それは、「急行」という名のコーヒー、エスプレッソだ。
シーン1: 友にウンチク
「またエスプレッソ?」
「また、と言われるほど飲んでない。エスプレッソのマシンが見えて、いかにもエスプレッソを売りにしているような店では注文するけどね」
「エスプレッソってイタリア語だったよね?」
「うん、急行という意味の」
「なんで急行?」
「注文してすぐに出てくるから。それに、出てきたら砂糖をたっぷり入れてかき混ぜ、これまた一気に飲むから。注文から飲み干すまであっと言う間。だから急行」
「本場にはぼくたちがよく飲む、例のホットコーヒーもある?」
「あるよ。カッフェ・アメリカーノ」
「いわゆるアメリカンというやつ?」
「いや、ベースはエスプレッソなんだ。ほとんどの店ではそれを湯で薄める」
「ゆ、湯で!?」
「そう」
「ところで、いまカッフェって言ったよね。エスプレッソとカッフェは違うもの?」
「同じものさ。そもそも、バールに入ってエスプレッソを注文する時、誰もエスプレッソなんて言わない。カッフェと言えばエスプレッソのこと。エスプレッソが苦手な日本人が、普通のホットコーヒーのつもりでカッフェを頼むと、エスプレッソが出てくる」
「イタリア料理店でエスプレッソを飲む場面は稀に見るけど、一緒に喫茶店に入って、エスプレッソを注文した知り合いはきみが最初だ。そしてたぶん、これからもきみだけ」
「コーヒーと言えばエスプレッソを意味するイタリア、コーヒーと言えば絶対にエスプレッソを意味しない日本。おもしろいね」
シーン2: 使用上の注意
「エスプレッソください」
「はい?」
「エスプレッソのシングル」
「お客様、エスプレッソは苦いコーヒーですが、よろしかったでしょうか?」
「はい」
「ごく少量になりますが……」
「知っています。シングルで」
「シングルですとこちらの小さなサイズのカップになりますが、よろしかったでしょうか?」
「それで結構」
「砂糖とミルクはご入用ですか?」
「砂糖だけでいいです」
(しばらくして)
「お客様、こちらエスプレッソのシングルになります」
シーン3: ほんとにいいんですか?
「エスプレッソください」
「えっ? お客さん、いま何て言いました?」
「エスプレッソ」
「エスプレッソ? ほんとに? この店始まって以来の初注文!」
「驚かれても……。だってメニューにあるんだから」
「ええ、マシンがあるので一応書いてはありますがね。ほんとにいいんですかあ? ほら、こんな小さなカップですよ。それにとびきり苦い」
「わかって注文してる。ダブルで」
「ダ、ダブル!? シングルじゃなくて?」
「エスプレッソのダブル」
「お客さん、もう一度確認しますね。いま注文されているのはエスプレッソのダブル。よろしいでしょうか?」
「それでよろしく」
「最終確認です。小さなカップに少量、それで450円。よろしいですね。後悔しても責任は負えませんので。(別のスタッフに)エスプレッソダブル入りました。マジで!」