新聞を購読する世帯がどんどん減っている。ここ数年特に顕著だ。購読者が減れば発行部数が減る。ちなみに、2020年の発行部数は2017年に比べて700万部も減少した。部数だけで価値を評価すべきではないが、他のメディアに比べて新聞への情報依存率が低くなったのは明らかである。
今のマンションに引っ越した2006年、一番に訪問してきた販売店の新聞を購読することにした。当時はまだ勧誘が活発で、初月無料や美術館チケットの配付などのサービスがあった。新聞にはよく目を通し、公私に役立ちそうな記事はマメに切り抜いて再読したりもした。しかし、3、4年前からあまり読まなくなった。そして、ついに2019年5月――記念すべき令和元年早々に――購読をやめた。
新聞がないと情報オンチになるかもしれないと危惧したが、この2年、特に困ったことも不便もない。テレビとネットがあればビッグニュースには事欠かない。新聞ならではの小さなエピソードや夕刊にしか載らないようなローカル事情には疎くなったが、一大事ではない。但し、万事がオーケーでもない。ネットで情報渉猟しているうちに、読みたくもない記事に晒され、つい目を通してしまう。
新聞購読をやめてからテレビの情報ではさすがに物足りないと感じることがあり、そのたびに購読再開をちらっと思うこともある。しかし、購読をやめた直後の状況をもう一度思い起こしてみる。新聞のない朝が考えられないと思っていたのに、やめても何も変わらなかった。毎日読むのも記事をクリッピングするのも必要不可欠なルーチンではないこともわかった。
そうこう考えているうちにあることに気づいた。なぜ今まで気づかなかったのかが不思議である。実はマンションの二軒隣のビルの1階にコンビニのLがあるのだ。購読していた時は、寒い朝も慌ただしい朝も8階から玄関横のポストまで取りに行かねばならなかった。しかし、それを13年続けたのだから問題ない。なにしろわがポストからコンビニはわずか30歩なのだから。
コンビニならその日の気分でそのつど毎日、朝日、日経、読売、産経から選べる。場合によってはスポーツ新聞でもいい。読みたいか別に読まなくていいか、朝に決めればいい。あの話を詳しく読みたいという日に買うのでコスパがいいのである。夕刊が読めないことと購読に比べて一部20円ほど高くなることくらい大したことはない。
先月から実践し始め、土、日を含めて週に3回ほど買って読む。先週は土曜日に朝日、日曜日に毎日を買った。早朝にマスクをつけてコンビニに行くのにも慣れた。買うのは新聞だけなので手ぶらで行ってスマホ決済する。毎回「レジ袋はいかがいたしましょうか?」と「レシートはご入用ですか?」と聞かれる。これにはまだ慣れない。