創作小劇場『言語異化学探究所』

 

 ここ・・に来るチャンスを得たのは、ジャン・エクスオー先生のコネのお陰でした。ジャン・エクスオー先生は日本語に堪能で、見た目も典型的な日本人の顔と体型なので、全然ジャンという雰囲気ではありません。ところで、ジャン・エクスオーを前後入れ替えるとエクスオー・ジャンで、香港料理に使うあの調味料「XOジャン」と同じ。たぶん仮名かペンネームなのでしょうが、「本名ですか?」とは聞きづらく、出会ってからずっとジャン・エクスオー先生と呼んで今に至っています。

 ここ・・とは「言語異化学探究所げんごいかがくたんきゅうしょ」。その名の通り、言語を探究していると聞いています。いつも見たり聞いたりしているものがある時突然異様なものに見えたり聞こえたりすることがあります。逆に、いつも変に見えたり聞こえていたりしていたものを何かの拍子で近しく感じることもあります。どちらも異化作用です。当探究所では、ものよりもことばを取り上げるようで、パンフレットにも「見慣れたことばの中に潜んでいる知られざる要素に気づき再発見しようという活動、云々」と書いてあります。

 今日は取材のために訪れました。ジャン・エクスオー先生の都合がつかなかったので、初訪問にして一人でやって来ることになりました。応対してくれたのは探究所所長代理の「1120氏」。ぼくの住んでいるマンションの部屋番号と同じ数字だったので、少し――いや、かなり――驚きました。単なる偶然だと思いなさないと、変な気持ちが尾を引きます。

 「話はジャン先生から聞いています。たいていのご質問にはお答えできますので、どうぞ遠慮なさらずに」と1120氏。ここでは探究者番号でお互いを認識し呼び合う習わしがあるとのことでした。
 この探究所設立の経緯と探究している代表的事例を聞きたいと告げました。

 「では、設立のきっかけから。ところで、アメリカの哲学者のW.V.クワインをご存知?」
 名前だけ知っているという程度なので、「ほとんど知りません」と答えました。
 「変わった人ですが、ユーモアのある人。『定義よ、汝自身を定義せよ』なんて言った人です」
 そう言って、探究所の所長がクワインからインスピレーションを得た話を語り始めたのです。

クワインは「知っている」と「できる」が交換可能なことに気づいた人です。「方法を知っている」は「できる」ということを意味します。そして、「それができる」とはとりもなおさず「それを知っている」ことでもあります。英語では「知っているけれど、できない」などとはあまり言わないのです。

 「たとえば?」と一例をお願いしました。
 「クワインは英語の知る・・できる・・・を例として挙げ、これら二つの動詞は究極的に同一の語だと断定したのですよ。書いたほうがわかりやすいですね」
 そう言って1120氏は立ち上がり、“I know how to play the piano.”“I can play the piano.”という英文を声に出しながらホワイトボードに書きました。
 「ピアノの弾き方を知っている、ピアノが弾ける。この二文はね、同じ意味なのですよ。二つの単語に注目してください」
 1120氏はknowcanの下に赤いマーカーで傍線を引いて説明を続けました。
 「ほら、knowkncancnをご覧なさい。どちらもクンという音です。元々同じことばだったのですよ」
 1120氏はこの二語の関係性には意味があると言いました。しかし、クワイン博士の最初の音「ク」と最後の音「ン」をつなぐと「クン」になるのは偶然に過ぎず、そこに意味はないと言いました。

 「二つ目の質問への答えは、当探究所設立の動機そのものです。つまり、ここでは様々なことばの音や綴りに着目して、異化作用や意味性と無意味性を探究しているのです」
 失礼ながら「うーん」とつぶやいたかもしれません。正直言ってよくわからなかったのです。ことばを継げそうもないので、再び「たとえば?」と聞くしかありませんでした。
 「あなたは英語の“walk”と日本語の歩くが関連すると思いますか?」
 うぉーく、ウォーク、walk……あるく、アルク、aruku……ひらがな、カタカナ、アルファベットがあれこれと頭に浮かびました。
 「どちらもクの音で終わりますね」
 「他に何か関係性とか、気づきませんか? 英文字の中に」
 アルファベットをいろいろと浮かべているうちに、ついに「歩く」を“alk”と表記できることに気がつきました。
 「ええー、walk“alk”が入っているではないですか!?」
 無条件反射的に声が大きくなっていました。
 「そんなに驚くことはないですよ。わたしたちは、だから英語と日本語に接点があるなどと言いません。ただ、この一致に気づいたら最後、もうwalkの中にalkを意識せざるをえなくなります。これが異化作用です」

 何が何だかわからないような、戸惑った表情をしてしまったのでしょう。1120氏は別の例を取り上げました。
 「日本語の道路はドーロと発音します。英語ではロードです。太平洋を渡っているうちにさかさまになりました。フフッ」
 カッコ笑いのような笑いでした。
 「まさか……冗談ですよね」
 「そんなバカなことはないですね。フフッ。ただのことば遊びです。わたしたちはこんなことも探究しますけどね」
 その後もこうした話が少し続いたが、約束の時間が過ぎたので失礼することにしました。

 話についていけたかどうか、自信はありませんでした。探究テーマの妥当性や意義についても半信半疑でした。しかし、「歩く」と“walk”の、いわゆる異化作用には偶然以上の何かを感じざるをえなかったのです。帰りにカフェに寄り、コーヒーとケーキのセットを注文しました。しばらく不思議な感覚に包まれていましたが、「いや、もしかするとそんな例はいくらでもあるかもしれない」と思い始めました。手帳を取り出して、思いつくまま英語の動詞を書き、それと対照になる日本語を並べていきました。飲むとdrink、見るとsee、書くとwrite、考えるとthink、払うとpay……という具合に。途中、喋るとtalkを思いついた時、alkにハッと気づきました。しかし、talkの中には喋るも話すも語るもありません。

 語尾の音が同じで、英語の中に同じ意味の日本語が内蔵されているような他の例はないかもしれない……ということはどういうことだろうか……例が一つしかないとは? 他に例が見つかるとは? どっちにしても驚くほどのことじゃないのではないか……。ぼくの頭の中で異化作用が現れ始めていました。めったにない偶然などは大した不思議ではなく、逆によくあることのほうが不思議なのではないかと。
 ところで、帰宅してからカフェのレシートを見たら、コーヒーとケーキのセットの料金は1120円でした。まあ、よくある偶然です。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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