季節が秋に移ってから「往路15,000~20,000歩、復路メトロ」というスタイルで週末に歩く。勝手知ったる近場、東西南北の方向だけ定めるが行き先は決めない。緩急交えて歩き、決して焦らない。いつものルートなのに毎回新しい発見がある。表示を見て町名を初めて知り、碑の一文を読んでエピソードを知る。
わが家から道一本向こうの熊野街道に入る。数分後、焼肉店の角で熊野街道は東へ直角に曲がり、そのまま道なりに進むと四天王寺に到る。昨日は敢えてその道を取らず、焼肉店前を南へ直進して空堀商店街を横切った。町家を改造したショップ前に出る。
このあたりは最近ごぶさたしていたが、斜め向かいに本屋ができている。のれんを見た時は甘党の店かと思った。入店は次の機会に見送る。「の 君に本を」という店名から、誰かに贈りたい本を選ぶというのがコンセプトではないかと思った。
この先を真っすぐ進むと大阪市立中央小学校がある。4つの小学校(金甌、桃園、桃谷、東平)を統合してできた学校だ。その前にカステラの端っこが売られていたカステラ屋があったが、今風のカフェに変わっていた。
すぐ近くに、落語『高津の富』で知られる高津神社。石の階段を上り境内へ。七五三のお参りで賑わっている。寄席の「高津の富亭」から英語が聞こえてくる。英語落語か。別の階段を下りて神社の裏へ。「梅乃橋」がある。その名の通り、この一帯は梅の名所だった。土佐のはりまや橋といい勝負ができそうなミニチュア感が何とも言えない。今では水も何も見えないが、かつては道頓堀川の源流だったと言われる。
東方面の谷町筋に出てさらに南へ。ふと清水坂を思い出して道を西へ入り伶人町へ。このあたりは北の夕陽丘と接する、夕陽がきれいに見える高台の地形。西から清水坂を上がってきたところに新清水清光院がある。墓地の端の突き出した場所に「清水の舞台」がある。本家の京都からは絶対に見えない通天閣がここからは見える。
南側に崖があり、流れ出る玉出の滝は市内唯一の滝らしい。この近辺は昔から泉が湧くことで有名。増井、逢坂、玉出、安居、土佐、金龍、亀井が天王寺の七名泉である。所々に豪邸が建つ閑静なエリアだ。そこから真田幸村戦死跡の安居神社を抜け、一心寺から茶臼山の河底池へ。さっき清水の舞台から眺望した通天閣が間近に見えた。