迂回ルートを辿る

元日、例年通り、自宅から近い真言宗の寺に参った。檀家ではないが、護摩焚きの様子を眺めるのが気に入っている。二日、来客があって終日在宅。一歩も出ないで暖まっていると身体がなまる。翌三日、外へ出て動きたい衝動に駆られる。住吉大社に出掛けることにした。

谷町界隈に住むので、メトロで天王寺に出て路面電車の阪堺線に乗り換えれば大社の鳥居前に着く。所要時間40分弱。しかし、勝手をよく知るルートなので面白味がない。新鮮味を求めて迂回することにした。最寄りのメトロ中央線の堺筋本町から本町へ。四ツ橋線に乗り換えて玉出へ。初めて歩く界隈から年季の入った商店街を通り抜ければ、ぶらり鳥居まで20分。

途中、「水木しげる先生  生誕の地」の碑に初めて気づく。境港ではなく、住吉の粉浜の人だったのか。令和43月とつい最近の建立だから、初見なのも無理はない。商店街に入り、たこ焼きを買う。10250円は昭和の値付けである。公園のベンチに腰掛けて熱々を食べる。新年3日目なのに参詣道はかなり賑わっている。

往路と帰路に分かれている。往路側に松尾芭蕉の句碑を見つける。迂回ルートならではの発見だ。芭蕉没後170年の1864年に建てられた碑、彫った文字が劣化していて読みづらい。碑の横に立つ説明板をカンニングする。

升買て分別かはる月見かな

字も難読だが、背景を知らなければ意味も難解。住吉の市で何日か前に升を買った翁が気分が変わって、句会に出なかった、つまり月見の夜に月見をしなかった……。体調が思わしくなかったが、そうは言わずに、気が変わったということにしたという意味らしい。芭蕉はこの後、御堂筋の久太郎町あたりで病の床に伏し、ついに没した。水木しげるが大阪で生を受け、芭蕉が大阪で亡くなった。

さて、住吉の本殿。鳥居を過ぎてからそこに達するまでずっと混み合っていて時間がかかった。この比ではない元旦はさぞかし凄まじいはず。そそくさと賽銭を放り投げ、二礼二拍一礼して後ろの人に場を譲る。おみくじの列も長い。もっともみくじを引く気は当初からないので、誰も並んでいない「清塩」を選ぶ。清めに用いてもいいが、もちろん調理にも使える。出来上がった一品は聖なる味がするかもしれない。

帰路も玉出まで歩いたが、さらに20分ほど先まで歩いて天下茶屋へ。そこでメトロに乗り、起点となった堺筋本町まで戻ってきた。あまりなじみのない迂回ルートを辿ってみると新しい発見と気づきがある。たまにはいい。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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