先日、2020年1月中旬からの1カ月半を振り返ってみた。振り返りのきっかけは2週間前の大阪城の梅林散策。今年の咲き具合を数年遡って比較していて、2020年1月26日の高津神社の写真に目が止まった。ノートに同じ日付けがないか調べてみると、あった。「2020/01/26 踊る梅、芽吹く梅」と題して走り書きしたページだ。
神社裏の庭に白梅がぽつぽつと小さく咲いていたが、昨年よりもだいぶ早い。今日も温暖だった。ほとんどの枝で蕾が今まさにふくらもうとしていた。すでに芽吹いてこぢんまりと一斉に咲いている枝もある。
梅の特徴はたくましい幹と四方八方に伸びる枝ぶりに出る。枝の伸びるさまとゴツゴツとした曲線は力強い踊りを思わせる。時にその姿態は得体の知れない魔物に化ける。白梅の可憐さとは対照的に、梅の木のシルエットは天候や時間帯によっては不気味な存在に見える。
2020年1月15日、日本初の新型コロナウィルスの感染が発表された。長期出張で高知にいたが、その日はたまたま空き日だったので牧野植物園を訪れていた。植物を自分事として広大な敷地を歩き回る一方で、コロナはまったく他人事だった。冒頭の1月26日になっても、コロナの行方は定かではなく、世間はまだ恐怖心に怯えていなかった。
およそ半月後の2月11日、京都は平安神宮方面に出掛けて、白川沿いから知恩院あたりを散策した。駐車場にバスは一台も止まっておらず、名所はどこも閑散としていた。京都はその日、観光都市ではなく「古都」だった。そのことを――団体から中国語が聞こえてこないことも含めて――幸運だと思った。
その4日後の2月15日、どうなるかと案じていたが、以前から決まっていた大会が神戸で開催された。大講堂では席の間引きもなく多数が一堂に集まった。マスクは事前告知で推奨もされておらず、当日に強要もされなかった。万が一クラスターが発生していたらと今思うと、綱渡りの開催決行に冷や汗が出そうになる。
その翌週から2月下旬まで、マスクの着用は求められたが、美術館へ映画館へと出掛けたし、週末は普通に外食もしていた。パンデミックや感染の不安が露わになったのはは3月に入ってからだ。特に、志村けんが亡くなったのを機に人々の意識が大きく変化した。3月29日のことである。
丸3年は長かったようであっと言う間だった。いや、あっと言う間のようで長かったと言うべきか。以前なら思い出しづらかった年月日を、写真のデジタル記録が教えてくれる。年月日が紐づけられて経験や場面が容易によみがえる。あの年の1月から始まった3年間をさっさと忘れてしまいたいが、なかなか忘れられないし、きれいさっぱり忘れてはいけないのだろう。