一たび勝たんとするに急なる、忽ち頭熱し胸踊り、措置かへつて顚倒し、進退度を失するの患を免れることは出来ない。もし或は遁れて防禦の地位に立たんと欲す、忽ち退縮の気を生じ来たりて相手に乗ぜられる。事、大小となくこの規則に支配せらるのだ。
二十代半ばで読んだ『氷川清話』(勝海舟)の一節である。元々は剣術の話だったと記憶している。勝とう勝とうと焦るとうまくいかず、かと言って、守ろう守ろうとすると消極的になり相手に付け込まれる。たいていのことに当てはまるが、論争や議論をしている時の心理がほぼこの通りに作用した経験がある。
じたばたもせず、またぐずぐずもせず、どんな状況にあっても、まずは自力を用いるしかない。己の自力(または地力)がどの程度かよく心得て、それ以上の力に期待しないよう腹を据えておく。望外の力が出たら「まぐれ」だと思いなす。同書で「虚心坦懐」という熟語の意味を正しく知り、その後長く座右の銘としていた。
虚心も坦懐も、つまるところ、素直で平穏な、こだわりもなくわだかまりもない状態である。しかし、こういう心の持ちようが一番難しい。虚心坦懐と口にする時は、はしゃいだり騒いだりしてはいけない。残念なことに、JK元首相が大声で「虚心坦懐!」と張り上げるのをテレビで見、しかも座右の銘にしていたのを知って以来、使わなくなった。
虚心坦懐が陳腐なことばに聞こえそうなので、まず声に出さなくなった。書くこともなくなったが、今日は久しぶりに書いてみた。一時的に座右の銘にしていたほどだから、消しゴム篆刻もした。落款として年賀状で使ったことがある。スキャンした印影データが残っていた。彫ったハンコの行方は不明である。消しゴムとして使った覚えがないので、きっとどこかにあるはず。