「誰それを知っている」

縁と人と関係について書こうと思う。

大学の先輩筋にあたる人だが、初対面の時に、自分の紹介よりも先に「誰それを知っている」ことを強調した。ぼくはまだ40歳になる前で、仕事のために縁を求めようといろんな人に会っていた頃だ。「誰それを知っている」と言うその先輩を頼もしく感じたのを覚えている。誰それを知っていると誰それを知らないとの差が大きいことはよく承知している。

知識や経験にもモノにも縁が生まれる。知識があるとか経験を積んでいるとか、店の名、商品の名、本のタイトルなど、「何々を知っている」という縁にも期待を寄せがちだ。ブラフと紙一重の縁もあるが……。

人との縁は求めて叶うものでもないし、欲張って結ぶものでもないことはすぐにわかった。それでも、縁は異なものであり神妙に響くし、他の類語では言い換えしづらい。「コネ」と言ってしまうと、その異にして神妙なニュアンスが消えてしまう。縁は縁と言うしかない。


縁について考えていくと、人と関係の話に行き着く。人間を「にんげん」と読めば人のこと。人間万事塞翁が馬の諺のように「じんかん」と読めば世間のこと。世間は人々が集まって作る社会。で、その社会とは? と問うと、堂々巡りになってしまう。社会という集合体は、人々と人間関係でできているからだ。

さっきコネと書いたが、コネは“connection”で、縁と同様に人間関係を意味する。誰かと誰かが繋がるのが関係。関係は多義語だが、繋がり方次第では時に怪しげにもなる。たとえば「関係がある」や「親しい関係」と言うと、何か裏があるのではないかといぶかってしまう。

今月に入って、ぼくの「誰それを知っている」がきっかけになって、関わった2件の仕事で助けてもらった。その2件の誰それさんにとっては、ぼくが以前「誰それ」だった。持ちつ持たれつ。振り返ってみれば、この1年も公私ともに縁のネットワークでやってこれたと思う。

投稿者:

アバター画像

proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です