抜き書き録〈テーマ:プチ哲学〉

言語と表現のテーマ探しの依頼があり、いろいろ自前でネタを出している。一息ついて、ヒントのヒントくらいになりそうな本を何冊か引っ張り出して再読中。


📖 意味

意味は存在するものではなく、生成するもの(……) 意味は、客観的に存在していたものとして捕まえられるのではなく、不意を突いてわたしの世界に到来する。わたしが意味を見出すまでは、意味はどこにもなかったのに、見出したあとでは、それによってわたしの過去までも変えられてしまうほどである。
(船木亨『メルロ=ポンティ入門」)

「意味」は難しい用語である。「意味の意味」はさらに難解を極める。「意味がある・・」とよく言うけれど、意味は事態や術語や行為などに元々内在していない。内在していないから、事態や術語や行為などに意味を見出す(正確に言えば、「意味を付与する」)。ゆえに、意味は生成するものなのである。

買ったまま昨日まで積まれていた数冊の本のうち、一冊の本を手に取って適当なページの数行を読んでみて、「ちょっとおもしろそうだ」と自分を促そうとしたその時その場で意味が付与される。意味が生まれるかどうかは自分次第なのだから、意味を見出さない誰かさんにとってはその本は無用なのである。

📖 言語

「机」という言葉は、この世界にある、数えきれないたくさんの机を意味している。けれども、「机」の意味を理解するのに、そんなにたくさんの「机」を見る必要はない。私たちは有限個の、それも、ごくわずかの机を見るだけで十分なのだ。
(橋爪大三郎『はじめての言語ゲーム」)

世の中には様々なサイズとデザインと素材でできた机が存在する。机の専門家はおそらく世界のすべての机を見たり触れたりはしていない。机についてすべてを枚挙するいとまはない。しかし彼らは机を深く理解し、机を語り、机を創作することができる。有限個がいくつかは具体的に言えないけれど、いくつかの机によってすべての机に共通する特性を理解する能力が人には備わっている。

赤ん坊は語彙ゼロの状態から語彙を習得し、言語を理解し操るようになる。こうした「一を聞いて十を知る」特殊能力によって人は省エネ的に言語を習得し、言語のお陰で何もかも実際に体験しなくても理解力を身につける。

📖 論理

言葉と言葉の関係をつかむこと、それが論理的ということであるから、接続詞に代表される接続表現、すなわち言葉と言葉をつなぐ言葉は、論理によってひときわだいじなものとなる。
(野矢茂樹『哲学な日々――考えさせない時代に抗して』)

単語であれ文章であれ、一語または一文だけで成り立つ場合はそこに論理はない。たとえば、「雨」「桜」には論理はない。しかし、「雨の中、桜が咲き誇っている」と言えば、状況描写がおこなわれ、また「雨が降っても桜まつりは開催される」と言えば、情報が伝達される。この一文と別の一文をどうつなぐか。そのつなぎ方によってメッセージの中身も伝わり方も変わる。たとえば、「雨が降っても桜まつりは開催されるので、購入した前売りチケットの払い戻しはない」という具合。これは「AなのでB」という、論理のある文章である。接続詞の使い方を見れば、人の考え方や論理力の程度がわかることがある。

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proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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