1970年代の終わりから海外広報の仕事に従事し、30数年間、英文を書いていた。日本企業の海外向け会社概要、アニュアルレポート、定期刊行物の執筆と編集が主たる業務。英語のネイティブライターとチームを組んでいた。
しかるべき取材と調査の後に最初から英語で記事を書く場合と、いったん日本語で原稿を書いてから翻訳する場合があった。書いてから仕上げるまで文章を推敲・校正し、個々の単語のスペルを何人もが何回もチェックする。書いたり翻訳したりする以上に大変な作業だった。PCの英文ワープロを使い始めたのが80年代半ば。それまでは電子タイプライター。PCを使うようになっても、しばらくはスペルチェック機能はなかった。
複数の人間が何度もチェックしているのに、入稿後にミスが見つかる。そのまま印刷されたことも数回あり、そのうち一度か二度は刷り直しを余儀なくされた。知っている単語を当たり前のように知っていると考えず、すべての文字を念入りに見つめる……疑わしきは念のために辞書を引く……見間違いやすそうな書体は避ける……などの工夫を重ねて、ミスは段々と少なくなり、やがてミスをしなくなった。
英語ができる人ほど辞書をよく引く。対して、英語に自信がない人ほど辞書を引かない。そのくせ、セレクトやランチやワインなどは辞書がなくても間違わないと甘く見ている。
自販機のサイド面に貼られたポップにスペルミスを見つけたことがある。一目「秘密」の意の″SECRET”に見えたが、「秘密の飲み物」はおかしい。まもなく″SELECT”のつもりだとわかった。「セレクトショップ」などと言う時のあのセレクトだが、″L”を″R”としてしまった。「よりすぐりの飲み物」のつもりであることはわかるが、不注意なスペルミスだ。
日本人は「アール」と「エル」の発音が苦手で、文字を書く時にもそれが影響することが多い。ボードに「本日のRanch」と書かれている店があった。なぜオーナーも店員も気づかないのか。”Lunch”という綴りはそんなにハードルが高いのか。ライス(Rice)のスペルを″Lice”(シラミ)とした例は、幸いなるかな、まだ目撃したことはない。
ワインの綴りが″Wine”ではなく、″Wain″となっていたのも見たことがある。スペルを間違うのは元々知らないというケースもあるが、英語の前にローマ字を学んだ弊害が出ているのではないかと睨んでいる。
数年前、カレンダーの表紙に″Calender”と綴られたミスを見つけた(正しくは″Calendar″)。これなどは気づきにくい。もしかしてこのスペルもあるのかと思わず辞書を引いたくらいだ。そして、数日前の大きなのぼりに印刷された″spice carry”である。のぼりがこれ見よがしに堂々とそよいでいたので、正しいはずの″curry”のほうが怪しく見えたほどだ。
元原稿と照合しながら複数回、複数人でチェックする、そして分かっているつもりでも辞書を引く――スペルミス防止策はこれしかない。それでもなお、スペルチェックで疲れてくるとスペルミスを見逃しやすくなる。また、ミスに気づいて校正したはずなのに正しいスペルが反映されていなかったという、原因不明の予期せぬトラブルも生じることがある。