ジョークの使いどころ

ある高名な国際ジャーナリストが、世界で活躍するジャーナリストに欠かせない条件を語ったことがある。言うまでもなく、筆頭は語学である。三つ目が楽器が弾けることで、これには少し驚いた。語学の力だけでいかんともしがたい場の潤い、空気の緩和にピアノかギターを奏でるといいと言うのである。なるほど。だが、ピアノやギターはどこにでもあるわけではないから、つねに携帯するなら現実味があるのはハーモニカだろう。そう考えて、ぼくはハーモニカの独習に励んだことがある。

そう、ぼくは高校と大学の一時期、国際ジャーナリストに憧れたことがあるのだ。英語ディベートを通じて語学に励んだのも、語学学校で教え研究したのもそんな動機ゆえであった。ところで、3条件の二つ目がジョーク。「ジョークに強くなれ」とは弁論術や人間関係論では古典的セオリーなのである。もちろん、どんなジョークでもいいわけではない。TPOをわきまえなければならない。と言うことは、かなりの在庫を抱えておく必要がある。だから幅広く読んだ。読むだけでは再現できないから、自分流の表現やシナリオに変えて覚えた。実は、ぼくが一番よく読んだ書物のジャンルはジョークやユーモアに関するものだ。

ジョークという芸が身を助けてくれたことがよくある一方で、こけた経験も数知れず。仕込んだネタが予想通りの笑いを誘わなければこれほど惨めなことはない。ジョークは切り出し方、話し方、間の置き方で天と地の差が出る。ぼくのジョークを誰かがそっくりそのまま使っても功を奏するとはかぎらない。けれども、話し手の技術だけでジョークは完結しない。相手の教養や想像力も反映する。これを逆用する。「ジョークを笑えるかどうかであなたがたの教養が試される」と言ってからジョークを放つと、分からなくても分かった振りをしてみんな笑う。見栄っ張りの集団では効果てきめんである。


では、一つジョークを披露しよう。あなたは試される。

脚を組む

ある日、学生と教授が雑談していた。熱弁中の先生が脚を組むとズボンの裾が上がり、靴下が目に入った。よく見れば、右足のソックスが青、左足のソックスが赤である。
学生は教授の話が途切れたところで尋ねた。
「先生、色違いのソックスなんて、ずいぶん変わってますねぇ」
問われるのに促されて、教授は左右の足元に目を落とす。
「そうなんだよ、きみ。わたしも変なソックスだと思っているけどね、家にはこれと同じものがもう一足あるんだよ」


さて、冒頭の国際ジャーナリストの話。自他ともに認めるかどうかは知らないが、自分だけの評価に限定すれば、一応ぼくは語学、ジョーク、楽器という、国際ジャーナリストの3条件をある程度満たしたことになる。しかし、二十代前半のその時点でぼくのその職業への憧れは消え失せていた。以来三十有余年を経て今に至る。語学とハーモニカは錆びつかないようにたまに口慣らしする程度だが、ジョークのねたはせっせと仕入れユーモアセンスを磨くことには精進している。よほど相性がいいのだろう。

投稿者:

アバター画像

proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です