「危ない!」とは何か

注意書きとは、言うまでもなく、注意を促すものである。注意を促しはするけれど、注意に従うかどうかはあくまでも促されたほうの判断次第。電車のドアに貼られているシールの、「指をはさまれないように注意」というメッセージなどはすっかり空気のような存在になってしまって、毎度毎度気にも留めないし注意を促されることもない。

「こちらはちゃんと注意をしている。何かあったら自己責任だぞ」という、表示者の責任回避の魂胆が見え隠れしている。おびただしい注意書きの割には、促される側はさほど意を注いだりしていない。要するに、人は注意書きに忠実に従って日々を生きているわけではないのである。

注意を促し呼びかけるだけでは効果がないと判断すれば、「危険!」とか「危ない!」と表記する。「ご注意」のなまやさしさに比べれば、迫力がありドスがきいている。

畝傍御陵前 龍のオブジェ

先週の出張時に見た研修会場前の噴水のオブジェを見た。龍がモチーフになっているが、何かの文化歴史的ゆかりのあるモニュメントかもしれない。「危ない」と呼び掛け、「ここで遊ばないでください」と補足している。オブジェは遊び道具ではなく、静かに愛でるものであるという意味なのだろう。

さて、「危ない」とあるが、ここで遊ぼうとする分別不十分な子どもに何が危ないのかが伝わるのか。「何が危ないの?」とパパやママに聞けば、「ケガするかもしれないでしょ」と答え、「なんでケガするの?」と聞けば、パパやママは「危ないからでしょ」と言うに違いない。同語反復的なトートロジーだ。もちろん遊び次第ではケガなどしないかもしれないが、その遊びの内容を規定できないからこそ、「ここで遊ばないでください」と曖昧なのである。


日本のB級標識・表示ばかりを集めた本に「危険! 触るとヤバイです」というのがあった。なぜ危険かという論拠が示されている。ヤバイから危険なのである。とは言え、何がヤバイのかはわからない。そのヤバさを明かすためには触ってみるしかない。触ってみて危険だということが実感できた時は手遅れである。やっぱりヤバかったということになる。

子どもたちにわかるようにと、「こちらはきけん! みぎにいけ」とひらがなで表記すると、「こちらは危険! 右に池」と読み取るとはかぎらない。「こちらは危険だから、右に行け」と推理するかもしれない。すると、お池にはまってさあ大変ということになる。「危ない」にはゆゆしき危険もあればこけおどしもあるだろう。ゆゆしき危険なら危険地帯を生活圏に作ってはいけない。作らざるをえないのなら物理的に立ち入りできないように造作しておくべきである。

突然「危ない!」と後ろから叫ばれても、体を右へかわすか左へかわすか、姿勢を低くするのか、走り抜けるのか立ち止まるのか……咄嗟の判断を迫られる。表示板の「危ない!」には考える余裕はあるものの、その余裕のせいで「なぜ、何が危ないのか?」と遅疑することになる。遅疑でもしてくれたらまだしも、慣れきってしまうと、やがて「危ない!」の効能は消え、無機的なメッセージとして景観を汚すだけの存在に成り果てる。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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