告げたつもり

「わらうべしー、わらうべしー」と車掌が次の駅名を告げている。たまにではあるが、この路線を利用しているから、自分が乗車した駅名も降車予定の駅名も、その両駅の間の二つの駅名も、当然すべて知っている。だから「次は、わらうべしー、わらうべしー」と聞こえても、それが「(次の駅で)笑うべしー」と告げられているとは思わない。

「ありがとうございます」が「あざーす」に化けるほどの変態メタモルフォーシスではないが、「わたなべばしー(渡辺橋)」が「わらうべしー(笑うべしー)」に聞こえてしまうのも一種の変態作用である。人によってはお笑い芸人の「笑い飯」に聞こえるかもしれない。もちろん、車掌は「わらうべしー」とか「わらいめし」と発しているのではなく、生真面目に「わたなべばしー」と告げている。ちなみに、「しー」と音引きにするのは駅名を告げる時の車掌の職業的な習慣または癖である。

どんなに発音が本来あるべき音からズレていても、アナウンスする車掌がマイクに向かって面倒臭そうに発音しても、ぼくの聴き取りにはまったく支障がない。正確に言うと、ぼくは聴き取ろうなどと意識すらしていない。ただ聞こえてきた音があり、それがぼくの脳内発音辞書の「わたなべばし」に照合されたのである。仮に車掌が「次は、わーしー」とかなりいい加減だったとしても、聴き取れたはずである。

京阪中之島線

「浪華八百八橋」と言われただけあって、大阪には橋が多い(実際は二百ほどらしい)。この路線は京阪中之島線。堂島川や大川が流れる地下を走るだけに、橋がつく駅名も少なくない。京橋、天満橋、なにわ橋、大江橋、渡辺橋という具合で、橋の駅が五つ連続している。

閑話休題――。正確でない音から正確な音を推理できるのは、すでに知っているからである。母語であれ外国語であれ、ど真ん中のストライク以外にいろんなストライクがあり、大暴投のボールでないかぎり、その言語に通じた受け手は音を聴き取るのである。人はおおむね決まった発音体系で喋るが、認識にあたってはアバウトな発音まで含めていろんな音を聴いて意味付けることができるようになっている。

どんな乗客にもわかるように明瞭な発音で駅名を告げる車掌もいれば、発音など意識せずにただ告げるだけの車掌もいる。ここに、告げて伝わることと告げても伝わらないことが対比される。告げるとはボールを相手に投げることである。伝わるとはボールが相手の構えているミットに入ることである。告げると伝わるは違うのだ。ぼくたちは、使い慣れたことばをいつもの音で発話する。そして、そのことばや音になじみの薄い相手の理解負担を増やしている。告げたからと言ってほっとしてはいけない。たいていの場合、告げたつもりになっている。告げたことが伝わるところまで見届けてこそのコミュニケーションなのである。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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