調べる、調べない、思い出す

経験や知識がどのように記憶されているかについて日々めったに気にすることはない。「今年一番印象に残っていることは?」と聞かれてはじめて、読んだ本の書名と著者名を思い出し、また旅先での印象を語ることができる。精度はともかく、少しでも語れるのは記憶に残っているからだ。

遠近法

経験や知識は、ある部分ではイメージとして、また別の部分ではことばとして記憶の複雑な体系を成している。但し、現物の書類やファイルのように整理整頓されているなら取り出しはさほど難しくないが、〈記憶の図書館〉ではディレクトリーがはっきりと決まっているわけではない。年月のラベルがでたらめだったり、いざと言う時に思い出が想起できなかったりする。

ぼくは36歳の時の1987年に起業した。その数年前から1995年頃まで香川県高松市に毎年二、三回出張していた。本四架橋である瀬戸大橋が開通したのが創業年の前後という記憶はあるが、正確な年度は(今この文章を綴っている時点で)思い出せない。十年以上の空白があって、ここ数年は再び高松からお呼びがかかる。その時代に比べて讃岐うどんがすっかり全国区になった印象がある。

さて、今は新大阪から岡山まで新幹線を使い、岡山から高松へは快速マリンライナーで大橋を渡る。その前は大阪の天保山から高松までジェットライナーの海路だった。さらにその前は、新大阪から岡山までは新幹線、岡山から在来線で宇野港まで行き、高松までは宇高連絡船というフェリーに乗っていた。当時は「大阪伊丹空港-高松空港」というフライトがあったので、一度予約したことがあった。あいにくひどい天候不良のため飛行機が飛ばず、急きょ伊丹からタクシーで新大阪へ向かった。得意先の幹部のどなたかに「大阪から高松に飛行機という発想がそもそも間違っている」というようなことを言われたような気がする。


記憶力を鍛えたいという欲求があり、その欲求に応えてくれそうな方法を喧伝するセミナーや書物がある。しかし、上記のように思い出を振り返りながら思うのだ。脳みそのひだに一度刻み込まれた記憶のことごとくをいつも正確に再現する必要などあるはずもない。心象やことばの一部が欠落するのは当たり前だろうし、その逆に、経験とかけ離れて誇張されるのもよくあることだ。年月や場所や経験をデジタル的に完璧に記憶再生をしても、その見返りとして、感覚の誤差や認識間違いという人間味は失われてしまうに違いない。思い出そうとする脳の自然な働きを封じ込めて何でもかんでも調べて確かめるというのは考えものである。

事実に関しては、調べればたいていのことがわかる時代になった。ある事柄を苦労して記憶した人と、ネットで即席的に検索した人との間に現象面での差はない。むしろ、しどろもどろになる前者よりも直近でコピー&ペーストした後者のほうが精度に優れているかもしれない。しかし、文を綴らせたり話をさせてみたらすぐにわかるのだ。点だけを拾い出した調べものと線の記憶を辿ろうと思い出したのとでは熟成度が違うのである。調べることが容易かつ日常茶飯事になった時代だからこそ、「調べるべきこと」と「調べたいこと」と「調べなくてもいいこと」を峻別しなければならない。この三つの棲み分けは、脳を無機的なコンピュータにしないための手軽なコツなのである。

仕事を合理的におこない、経験をかけがえのないものにしたいのなら、調査の役割や要・不要をしっかりとわきまえるべきだろう。ある知識については精度が必要であり、ある経験については精度などどうでもいいことがある。ここで、小林秀雄の『無常といふ事』の一節を思い出す。ちゃんとノートに書いてあるから、それをそのまま書き写す。

「思い出がぼくらを一種の動物であることから救うのだ。記憶することだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。」

調べて覚えることに躍起になる暇があったら、数値や客観的事実に縛られぬ原体験のさわりを思い出そうと努めるべきだろう。想起した事柄は曖昧かもしれない。しかし、曖昧な思い出がデジタル的に再現されたデータよりも劣っていると決めつける根拠などどこにもない。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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