夏の休暇の過ごし方――人混みと遠出を避ける、近場を歩く、落ち着いた喫茶店でアイスコーヒーを飲む、本屋に立ち寄る、映画館に入る、たまに質素に外食する、等々。他にもいろいろあるが、威張るようなハレの行動は何一つない。自宅ではだらっとして本の拾い読みをするか音楽を聴くか、欧州紀行のテレビ番組を観るか、思うところがあればノートに文章を綴り、機が熟せばパソコンに向かって活字にする。この小文はいきなりキーボードを叩きながら書いている。
この十数年、少し長めの海外の旅を企てた時は閑散期に休みを取る算段をしてきた。それとは別に、世間と同期する長期休暇が当然ぼくにもやって来る。鋭気を養えればいいが、なにしろこの暑さである。暑気が意欲を萎えさせマンネリズムを助長しかねない。そう、八月の休暇には倦怠や疲労のリスクが潜むのである。この時期の過ごし方は難しい。うまく気分一新を図って多忙な秋に備えなければならない。
マニアでもコレクターでもないが、万年筆で気晴らしをすることがある。最近、拾い読みした数冊の本に偶然万年筆の話が出てきた。そのうちの一冊にドイツ文学者の高橋義孝の随筆がある。
「古本を買ってきて、中にセピアのインクで線が引いてあるのを見ると、ヨーロッパの十九世紀の学者の書斎をちょっとのぞいたような、たのしい気持がする」
別に何と言うこともない文章なのだが、こういう一文に刺激を受けることがある。このくだりに気持が少し弾み、「そうだ、万年筆の手入れをしよう」と思った。このペンにはこのインクと思いつきで決め、一度決めると数年間踏襲することが多い。万年筆の適材適所に応じてインクの色を見直すことにした。十数本所有する万年筆のうち、よく使うのは五本。この五本にそれぞれの役割を決めてインクを入れ替えてみた。三日前のことである。
あれこれと悩んだ挙句、万年筆とインクの「パートナーシップ」を決めた(写真、左から順に一本目、二本目……)。
一本目。パリで買ったウォーターマン。外国で初めて買った万年筆だ。やや太字。はねや曲線の微妙な書き味に難があるが、どんな紙の上でもまずまずなめらかに走る。誰かのまとまった話を聴きながらノートを取るのに向いている。これには〈フロリダブルー〉というインクを合わせた。
二本目。加藤製作所製の万年筆。握りがぼくに合っていて速筆しやすいペンである。このペンは自分が何かを考えて書くのに向いている。どんなインクがいいかずいぶん悩んだが、買った当時から使い続けている〈ロイヤルブルー〉しか思い浮かばない。そのまま継承することにした。
三本目。モンブランのマイスターシュトゥックNo.149。十万円超の万年筆だが、こんな高価な逸品を自腹では買わない。幸いなことにこれは頂きものだ。細字なのであまり気に入らず、めったに使わなかった。しかし使わなければ永久になじまない。食わず嫌いをしてはいけないと思い、数年前から時々使うようにしている。署名をしたり一文だけ書き添えるのによい。条約締結などの場面で重宝されてきたのもうなずける。この五本の中では実用性に乏しく出番が少ないのは否めないが、「見せびらかしの万年筆」としては高級腕時計以上に威力があると万年筆達人が言っていた。インクは複数候補の中から、ひとまず〈ラピスラズリ〉を指名。
四本目。廉価版のシェーファー。ペン先にやや弾力があるので、筆圧を変えれば細くも太くも書ける。数行の文章向きと判断して、誰かが書いた原稿や企画書の添削やコメント書き込みに使うことに決めた。神戸INK物語シリーズの甲南マルーンという名の〈ワインレッド〉を充填した。青を使っていた頃とは雰囲気が一変する。書き味までよくなったような気がするから不思議である。
五本目。小ぶりなペリカンの細字。細字の割にはインクの出も悪くないので、小さな用紙に小さく書くときに重宝していた。しかし、それなら水性ボールペンでも十分。そのためペンケースに入ったままということがよくあった。先の高橋義孝の一文の「セピアのインクで線が引いてある」がヒントになって、この万年筆を読書時に使うことに決めた。すでに試し始めたが、大胆に傍線を引き欄外にメモを入れるのに都合がいい。手元にあった地味な〈セピアグレー〉をインクに選んだ。線の引き始めと引き終わりに滲みが出ていい感じである。