二十代、三十代の頃、現在の年齢を遠望しては「そのくらいの歳になったら分別も備わっていろいろと見えているだろう、知識もだいぶ深く広く修めているだろう」などと楽観していた。楽観は甘かったと痛感し始めたのが五十も半ばになってからである。もっと大人になっていると当て込んでいたが、目算外れもはなはだしい。齢を重ねても、未熟な部分はしっかり残っている。青少年的未熟ならいいが、幼児的未熟に気づくと愕然とする。
もちろん、そこまで悲観しなくても、未熟性が克服できている一面もないことはない。ぼくの親戚筋からすれば、人前に出て講演をしたり会社を経営したりしているのは驚きらしいのだ。青少年時代に静かに考えたり読書をしたりする性向はあったものの、まさか議論好きへと大転向するなどとは夢にも思わなかったようである。
たしかに無知や不知が部分的に解消されて、知っていることも増えた。どんなに無為無策に生きたとしても、そこに何がしかの経験知が積まれるだろう。何の自慢にもならないが、アルファベット26文字は小学生で覚えたし、生活空間で用いるモノの名称は手の内に入っている。専門領域の話題なら、少々難度が高くても語り書くこともできる。しかし、知らないことばはいくらでも次から次へと現れてくるし、出張で訪れる街については圧倒的に知らないことばかりである。いや、わが街についてさえ未知はつねに既知を凌駕している。
七月の終わり、十数年ぶりに高知を訪れた。研修の仕事で2泊3日。たまたま前回と同じホテルに宿泊したので、ホテルの玄関からフロント前のロビーの構造は覚えていたし、ホテル前の路面電車通りも記憶に十分に残っていた。前に足を運んだ喫茶店はエントランスを見ただけで思い出した。高知について圧倒的に知らないわりには、ごくわずかに知っている事柄が点を結んで大まかな図が浮かぶ。まるで無数の星の中から適当に都合のよい星をいくつか選んで星座を描くようなものである。
食に関しては、鯨もウツボも四万十の鰻も馬路村の柚子も知っている。しかし、実際に舌鼓を打った覚えのあるのはカツオのタタキと皿鉢料理と生ちり、それに野菜類だけである。生ちりとは、フグのてっさ風にヒラメの刺身を敷き詰め、その周囲にカツオの心臓や鮪のエラなどを茹でて冷やした珍味を数種類並べた料理で、ポン酢で食べる。前回ご馳走になり今回も久々に食したが、やっぱりなかなかの味わいであった。
この生ちり、地元の人がほとんど知らなかった。どうやらぼくの入った割烹の独自メニューだったようなので無理もない。しかし、彼らの大半は、ぼくがホテルの朝食で口にした「柚子とひめいちの辛子煮」も「ひっつき」も知らなかった。おそらく大阪人にとってのたこ焼きほど地元では浸透していないのだろう。ぼくにとっては、ひめいちという小魚も浦戸湾のエガニも初耳で初体験。四万十川源流の焼酎ダバダ火振も初めて飲んだ。関心の強い食ですら知らぬことずくめである。
知らないものを食べるたびに、ぼくは無知を自覚する。よく知っていると自惚れている他のこともこんなふうなのだと思い知る。無知や知の偏在を一気に解消することなどできない。しかし、世の中知らないことばかりと弁えているからこそ、小さな一つのことを知る愉しみもまた格別なのである。
「もっとも関心の強い食」ですか?もっとも関心の強い『知』」のような気がしました。確かに,関心自体が「知」に基づくものなので,「関心の強い『知』」は同義反復になるかもしれません。にもかかわらず,「食」をテーマにした「知」についての考察ではないでしょうか?
ぼくが食に大いなる関心があることを知っている人は少なからずいます。良書を読むのを途中でやめることはあっても、うまい食事を中断することはありません。良書を「知」とするなら、知への関心はなまくらです。但し、主宰者の立場であったり年長者であることから、食事中は話してばかりいるので、他人が見たら食に関心がないように見えるかもしれません。いずれにせよ、何をテーマにしても、知について考え語っていることはご指摘の通りです。