一説 便利な表現である。「一説によると」などと書いてあると、他説のことはそっちのけで、妙に納得してしまう。たかが一説なのに、されど一説として説得力を増す。たとえばこんな具合。
「一説によると、アサリの語源は『漁る』が転化したものだという」。
どんな説がいくつあるのか知らないが、「一説によると」とあるだけで素直に受け入れる。この一説、真説か異説かもわからない。『新明解』の語釈㊁にあるように、一説は本来「ある説(意見・うわさ)」にすぎない。他説への言及がなければ、引用された一説を信じるしかない。一説は「排他的唯一説」としてまかり通る。
宝くじ ことばの意味を掘り下げもせずに、安易に比喩が使われるケースがある。パーティーでのくじ引き遊びと宝くじはまったく違う。なのに、次のような比喩を耳にすることがある。
「こんなチャレンジをしても、宝くじと同じで、当たるか当たらないか分からない」。
「くじ引き遊びと同じ」なら、たしかに当たり外れがある。しかし、宝くじと同じというのは比喩間違い。別に確率論を持ち出すまでもない。宝くじは当たらないものと考えるのが現実的なのだから。「こんなチャレンジをしても、宝くじと同じで、当たらない」と言うのが妥当である。
一円 ぽつんと「一円」と言えば、生活上最小の貨幣価値のことである。ところが、一円にはもう一つ別の、「広い範囲にわたる様子」という意味がある。まったく意味が違うので混乱することはないが、次の例はどうだろう。
「全国一円 (株)ホワイトキャット急配」
再配送の煩わしさに戦略を変えざるをえない宅配業界にあって、このご時世に全国どこへでもたったの一円で配送とはありがたい……と読み違えて荷物を持ち込んでくる人がいないともかぎらない。
おかしい 反論や批判にはきめ細かな表現が求められる。しかし、勢いよく突っかかったのはいいが、止めを刺すのが「おかしい」では的外れにして期待外れである。
某野党党首は反対派の急先鋒に立って滑舌よろしく強いことばを吐くが、さてどこに落とし込むのかとお手並み拝見していたら、「……私は、これは、人として、おかしいと思います」で締めくくった。延々と理屈を並べてきて最後に「おかしい」はない。おかしいなどという表現でコメントする時は半分ギャグっぽく微笑むものだろう。いかめしい表情と口調には合わないのである。おかしいはコンビニ表現だが、この一言でそれまでの強弁の影が薄くなる。
四字熟語 初見であっても、漢字で書かれていれば雰囲気から何となく類推できる熟語がある。たとえば「危急存亡」に出合うとする。何となくではあるが、危険が迫っていて命にかかわりそうな場面のことだと見当がつく。とは言え、四字熟語は知識・教養であるから、知らなければ意味不明である。たとえ書くにしても、「跳梁跋扈」だの「臥薪嘗胆」だのという熟語は唐突に使わないほうがいい。
漢字が示されても難解なのが四字熟語だ。話しことばで使う際にはいっそう気をつけなければならない。何度も苦い経験をしてきた。前後関係や文脈にも留意して「けいきょもうどう」(軽挙妄動)、「いっしそうでん」(一子相伝)などと発してもほとんど伝わらない。「はくらんきょうき」(博覧強記)などは、「白乱狂気」だと誤解されたこともある。「たじょうたかん」(多情多感)ですらわかってもらえないことがある。四字熟語ももはやコンビニ表現と成り果てたかのよう。使う側には便利で心地よいかもしれないが、小気味よい音を響かせる割には雰囲気以外の意味はほとんど伝わらないのである。