カラスが声と姿を照合して仲間を認識することはよく知られている。ぼくたちからすれば、カラスはみんな黒くて同じ姿格好に見える。犬や猫なら少しは違いがわかるが、カラスの個体差となると峻別は容易でない。しかし、カラスどうしはお互いがわかる。わかるのは差異の認識ができるからだ。
鳥類の中ではもちろん、動物界にあっても、カラスの観察力と学習力はずば抜けている。コミュニケーションも行動パターンも想像以上に複雑、伝え合う意味も深いということが近年の研究で解き明かされた。カラス、なぜ鳴くの? カラスの勝手ではなかった。また気の向くままに鳴いているのでもなかった。意味のある複雑なコミュニケーション行動をしていたのである。
都会のカラスの脳のシナプスが、刺激が少ない地域のカラスのそれに比べて複雑な構造を持つことがわかっている。神社周辺と森にいれば変化が乏しく、たいていの状況は定常処理で切り抜けられる。しかし、都会に棲息するカラスが晒される情報量は半端ではない。生きる上で必要な情報を環境から入手し、それらを組み合わせて記憶として働かせる能力がいる。環境適応しようとしてカラスは仲間との綿密なコミュニケーションに必死である。
言うまでもなく、カラスは文字を持たないから、音声によって伝達理解をおこなう。仲間の鳴き声を聞き分け鳴き声で反応する。人間も同じだが、人間は文字によって音声を補い、高精度なコミュニケーションをおこなう。すなわち、読み書きというリテラシーによって知を共有できる。これが人間関係の基本の基本である。
日々強く意識してリテラシーの習熟に励めば、ことばと想いは近づいてくる。ことばと想いの完全一致など万に一つも望めないが、読み書きを習慣化すると、考える力が養われる。強く意識して続けるには脳のスタミナが欠かせない。ところが、五十の声を聞く頃から、スタミナ切れが生じる。若い頃に操れていたことばが思うように出てこない。それまでと同じレベルの学び方や鍛え方では劣化に歯止めがきかなくなるのだ。
カラスにとってコミュニケーションは生きることと同義である。大いに見習うべきだ。歳をとっても生きていかねばならない。しかし、話す聞くという音声面のリテラシーだけでは壁にぶつかる。壁は、読み書きというリテラシーで突き破らねばならない。残念なことに、ほとんどのシニアは読書意欲も減退し、文を綴る機会も減ってくる。やがて、ことば遣いが雑になる、固有名詞を忘れる、考えの精度が落ちてくるなどの症候群に見舞われる。
鍛えるのに時間はかかるが、衰えるのはあっと言う間だ。五十代、六十代になると筋肉の衰えと同じことが脳でも起こり始める。せっかくいろいろと経験を積んできたのに、晩年になってそれを生かせないのは実に情けないではないか。このような理由から、来年度に向けて「アンチエイジング・リテラシー」の実践方法を集大成しようと構想を練っている。見通しが立てば少しずつここに書いてみるつもりである。