『昨日、今日、明日』と言えば、イタリア映画。原題“Ieri, Oggi, Domani”の直訳が、そのまま邦題になっている。三つの物語から成るオムニバス構成。観たのがもう何十年も前なので、内容はほとんど覚えていない。ソフィア・ローレンの妖艶な肢体だけが印象に残っている。
経験していない明日を思い出すことはできない。明日は想像の対象外の時間である。では、今日はどうか。リアルタイムであり、刻々と過ぎてゆく時間軸を辿れば、朝の出来事や体験を夕方に思い起こすことはできる。
記憶があやふやなずいぶん昔のことは無理だけれど、昨日という過去なら思い出しやすい。昨日のことはまだ冷めやらぬ余韻が記憶の中に残っている。よかったことにはほくそ笑み、芳しくなかったことは今日も引きずっている。進行形の今日や未来形の明日に比べれば、昨日は確かなのである。
「ぼくはずっと思っているんだ。きのうになればよくなるだろうって」(チャーリー・ブラウン)
よく言ってくれた、チャーリー。その通り。何の根拠もないのに、明日になれば今日よりもよくなると信じている人がいる。今日がダメだった、でも明日があるさと思い直して励まされるとはお人好しにもほどがある。チャーリーは覚めた目で昨日、今日、明日を見ている。今日の次にもう一度昨日がやって来たら、後悔と反省をした分、少しはましにやり直せるかもという気になる。