バイブルサイズのシステム手帳、スマホのメモアプリ、A5判のシステム手帳、スタイラスペンで綴るiPadのノートアプリ……。一応これだけの「メディア」をいつもスタンバイさせているが、常用はバイブル判のシステム手帳と脳内記憶。これでたいていのメモやノートは間に合う。
とは言え、手書きが出発点でない場合もある。つまり、直接PCやスマホで打ち込む雑文が多々ある。紙のメモには手が届きやすく、情報はとりあえず一元化できている。電子デバイスのメモはあちこちに散在して、どこに何があるかわからない。メモやノートに関してはまだまだ紙優勢である。
ノート術のことをこのブログで何度も書き、講演でも何度も喋ってきた。「いったい何を書いているのか?」と興味を示す人は少なくない。何を書いているか? まだよく理解していないことを書く。書きながら内容が明らかになってくるのを期待している。同時に、未成熟なメモを、ただ気になるという理由だけで、走り書きすることもある。
25℃の朝の涼と23℃の朝の涼の違い。2℃の差を表わす語彙が「涼しい」と「昨日より涼しい」では情けない。
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楽屋言語で分かり合えることは共通言語になりにくい。共通言語で分かり合えることは楽屋言語派からすれば面白味に欠ける。
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一つの大きな愉しみに期待するよりも、日々複数の小さな愉しみを体験するのがよい。大きなものはめったに来ないのだから。
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「みんな」と言う時、自分は除かれ、たいてい他者のみを示す。たった一人の他者をみんなと言う場合もある。そう、みんなとは“all”ではなく、都合のよい“someone else”なのである。
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人は強い動機や願望によって変身するばかりではない。たとえば樹木や花壇のある川岸に佇んで、偶然にして人は、作曲家に、絵描きに、詩人に変身するきっかけを与えられる。稀にホームレスに変身する人もいる。
数年前、サンマルタン運河沿いでぼくは駄文を綴る徒然の遊歩人に変えられてしまった。その時のメモは紙のトラベラーズノートに残っている。