師走の候、古典に入(い)る

幸か不幸か、師走になると出張がめっきり減る。地元での講演や研修も12月は少ない。と言うわけで、オフィスにいる時間が長くなる。「幸か不幸か」と書いたものの、決して「幸」とは言いがたい状況かもしれない。唯一の慰めは、多忙期に備えて知のインプットができるという点だろうか。

「知のインプット」などと洒落こんだ言い方をしてみたが、何のことはない、日頃腰をすえて読めない本や資料に目を通すだけの話である。今年は古典を読み直している。源氏物語ブームであるが、古典イコール文学ではない。一昔前の思想ものや歴史・文化だって古典になりうる。わざわざ本を買いにはいかない。かつて一度読んだものをなぞったり、買ったけれども未だ読破できていない書物に挑んだりしているところだ。

加速する情報化時代、昭和までの著作は古典という範疇に入れてもいいかもしれない。では、なぜ古典なのか? 実は、11月に高松で数年ぶりに再会したY氏の古典への回帰の話に大いに刺激を受けた。退職されて数年、六十歳も半ばを過ぎた今、ビジネスや時事関連の本をすべて処分し、書斎をそっくり読みたい書物に置き換えたとおっしゃる。食事をしながら、シェークスピアや小林秀雄を高い精度で熱弁される。大いに感心し、啓発された。

仕事柄、時々の話題や最新の動向にはある程度目配りせねばならない。でなければ、時代に取り残される。しかし、新作ものばかりでは焦点が定まらない。新刊を休みなく追い求めるのは、煽られて次から次へと新しいサプリメントを求める心理に似ている。これに対して、一時代を画した古典は大きくぶれない。価値の評価は上下したとしても、生き残っている古典は継承されてきたのであり、継承されたということはいつの時代も選ばれるに値したのである。サプリメントとは違って、こちらは身体によいおふくろの手料理みたいなものだ。


1219日は今年最後の私塾の日である。以上のような環境にいるぼくなので、私塾スペシャルの今回、心底古典講座にしたかった。それは、しかし、5月の約束を破ることになる。すでに「マーケティング」でテーマは決まっているのだ。

「失われた十年」からの数年間でマーケティング理論は激変した。激変のみならず、諸説入り混じり、何をお手本にすればいいのかわからない状況だ。こうなった最大の要因はインターネットである。「売買」という概念は牛を呼び売りした三千年前から変わったわけではないが、メディアの多様化とともに売買関係や売買心理は新しい領域にぼくたちを誘った。

すでに決まっているテーマとぼくの関心事が相容れないわけではない。一計を案じるまでもなく、マーケティングと古典を単純につなげばいいのである。題して“Marketing Insight Classic”。敢えて日本語のタイトルにしない。理由は、“Classic”には古典という意味以外に、「最高、一流、重要、模範、決定版」などのニュアンスがあるからだ。

サブタイトルはわざと長ったらしく「マーケティングの分野に足跡を残した古典的思想に知と理を再発見して今に甦らせる」とした。何と切れ味のない文章なんだ! と自己批評はしたが、ぼくが今まで「幅広く勉強してネタを仕込み、じっくりコトコト煮込み濃縮してきたエキス」だし、そんな名前のスープもあるくらいだから、これでいこうと決断した次第。

ユーモアの匙加減

ユーモア、ジョーク、エスプリ、ウイット、パロディ、ギャグ……「愉快学」の専門家はニュアンスを峻別して見事に使い分ける。この関係の本は若い頃から百冊くらい読んできたので、ぼくもある程度はわかっているが、今日のところは「ユーモア」ということばにタイトルの主役を務めてもらった。

「ひきこもごも」という熟語がある。断るまでもなく、「ものすごく引きこもる」ことではない。このことば、「悲喜交交」と書く。人生には悲しいことも喜ばしいこともある、社会には悲しむ人がいる一方で喜びに満ちた人もいる、悲しみと喜びは入り混じって人間模様や人生絵図を描く……まあ、こんな意味である。悲悲交交ではたまらない。できれば、毎日一生、喜喜交交がありがたい。

世の中、おもしろい人間とそうでない人間がいる。ぼくの周辺にもバランスよく半々で棲息している。どちらかと言うと、ぼくは悲劇よりも喜劇をひいきし、泣きネタよりは笑いネタのほうを好む。もちろん、このことは単純な楽観主義者・楽天家を意味しない。もらい泣きはしないが、もらい笑いはする。儀式としての作られた泣きは許せるが、本気モードでない作り笑いは許せない。

涙は国境を越える共通価値をもつ。だから、ぼくには悲劇はことごとくステレオタイプに映る。スピーチでは身の上の不幸や苦労話を語っておけば大失敗はない。講演会場に悲しみの空気を充満させるのはさほど難しくないのだ。他方、普遍性がないわけではないが、喜劇はおおむね個々の土着文化に根ざす。この場所・この街でおもしろいことが、少し離れたあの場所・あの街で笑いを誘わない。笑いは成功するか失敗するかのどちらかで、成否明白ゆえに挑戦的である。したがって、おもしろさの査定には「満点大笑」と「零点不笑」さえあれば十分、わざわざ「大笑」「中笑」「小笑」を加えて5段階評価にする必要はない。


雨降りの日に百円引きしている蕎麦屋がある。空を見上げれば雨模様だ。店に入る直前ポツポツと降り始めた。傘はない。こんな時、百円引きに目がくらまず、さっさと入店するのは粋かもしれないが、そこに愉快精神はない。やっぱり、蕎麦屋の隣のビルに潜んで土砂降りになるのを待つ姿のほうがユーモラスである。

明けても暮れても冗談ばかりでは周囲が疲れる。生真面目とユーモアのバランスを取るのは容易ではない。こういう文章にしても、真摯に綴っていけば生真面目な空気が充満して息詰まってくる。それに耐えられなくなると照れてしまう。そこで自ら茶化す。ユーモアで生真面目ガスを抜きたくなる。もちろん、こうなるのはぼくの特性であって、世の中には何時間も生真面目を語り書き続けられる人もいる。一度たりとも他人をクスッと笑わせもせず、読ませ聞かせ続ける力量には驚嘆する。

ここで昨日の年賀状の話を続ける。ぼくが年賀状にしたためる文章は、自分なりには本質論であり真摯な意見であると思っている。しかし、シャイな性分ゆえ、どこかでユーモアを小匙一杯加えたりシニカル系愉快を仕掛けたりしないと気がすまなくなるのである。ただ問題は、年賀状を手にする人たちすべてが、ぼくの匙加減の味になじんでいるとはかぎらないこと。したがって、人を小馬鹿にしてけしからんとか正月早々冗談はやめろとかの怒りを感じる方には申し訳ないと言うしかない。

しかし、もっと気の毒なのは、ユーモア味にまったく気づいてくれず、メッセージの全文を生真面目に受け止める人たちである。彼らは「おもしろい年賀状があるよ」とは言わず、「ためになるよ」と言って社内回覧したり清く正しく朝礼のネタにする。ある意味で、悲劇である。

年賀状という「年一ブログ」

年賀状準備の時期になった。当たり前のことだが、年賀状というものは、投函する前にまず書かねばならない。書くにせよラベルを貼るにせよ印字するにせよ、宛名・住所は面倒である。しかし、もっと面倒なのは裏面の原稿である。

ぼくが作成する年賀状は、社名で差し出す一種類のみである。公私の隔てはなく、仕事と無縁な知人や親類にもこの年賀状を出す。創業当初の数年間は現在とは異なるスタイルだったが、1994年から15年間現在の「型」を継続している。

ぼくの年賀状を受け取ったことのない人はさっぱり想像がつかないだろうが、裏面には謹賀新年から始まり文字がびっしり印刷されている。だいたい二千字前後である。正月早々これを読まされるのは大変だと思う。したがって、ごく一部の熱狂的なマニアを除けば、たぶん読んではいない。後日、年賀状の話題が出たときに読んでいないとばつが悪いので、一月中にぼくと会う可能性のある知人は、キーワードくらいは覚えておくのだろう。


ハガキサイズにぎっしり二千字。もはや「小さな」という形容では物足りないフォントサイズになっている。「濃縮紙面」とでも呼ぶべき様相を呈している。だから、友人の一人などは、このハガキをコンビニへ持って行きA4判に拡大して読むそうである。ありがたい話だ。なお、原本はA4判なので濃縮したものを還元していることになる。

市販の定番年賀状を買えば宛名と住所だけで済ませられる。実際、そうして送られてくる年賀状が2、3割はある。誤解しないでほしい。そのようなまったく工夫のない年賀状をこきおろしているわけではない。むしろ、差出人にのしかかる負担と抑圧の少ない年賀状が羨ましいのである。いや、ぼくにとって、ほとんどすべての年賀状がぼくのものよりも文章量が少ないという点で羨むべき存在なのだ。

干支をテーマにしておけばさぞかし楽に違いない。なにしろ干支は毎年勝手にやってきてくれる。いきおい文字や図案に凝ったり写真を散りばめたりする方面にエネルギーを注げる。ところが、ぼくの場合、毎年11月中旬頃から数週間ずっとテーマを考える。テーマが決まると、二千字で文章を綴るのは一気だ。たぶん半日もかからない。但し、印刷・宛名とその後の作業がせわしくなるので、デザイン要素は最小限にとどめる。こうして文字だらけの年賀状が刷り上がる。


スタイルの踏襲は意地の成せる業か。15年という歳月にわたる継続は、簡単にスタイルの変更を許してくれない。「毎年楽しみにしています」というコメントをくれる十数人を裏切ってはいけないという、一種の情が働くのか。スタッフも全員、ぼくの手になる年賀状を社用で利用する。醸し出すべき個性と社風の両立も難しいが、テーマ探しとスタイルの継承が精神的負担になり抑圧になる。

今年は負担と抑圧が例年より大きい。なぜだろうとよく考えたら、わかった。年賀状はぼくにとって、年に一回したためるハガキ判のブログだったのだ。それが、今年6月から本ブログを始めたために、意義が薄まったような気がしてならないのである。振り返れば、ブログ習慣というのは、二日に一回のペースで年賀状を書いているようなもの。あらためて一年ぶりの更新に戸惑っている。

負担、抑圧、苦痛に耐えて何とか平成21年度の年賀状の構想が仕上がった。今日一気に書き上げる。ちなみに、平成20年の今年に差し出した年賀状を紹介しておく。

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イタリア紀行21 「エトルリア文明の名残」

オルヴィエートⅡ

エトルリアについてよく知らなかったし、今もさほどわかっていない。『エトルリア文明』というえらく難しい本にざっと目を通したが、受け売りするレベルにも達しない。ローマ時代を読むだけでも精一杯、さらにその前の紀元前の時代にまでは手が回らないのだ。エトルリア時代とのきっかけは2004年。ペルージャ滞在にあたって調べていたら、紀元前4世紀のエトルリア時代に遡る古代都市であることを知った(目の当たりにしたペルージャに残るエトルリア門は「歴史の貫禄」そのものだった)。

オルヴィエートもエトルリア国家の一つで、ペルージャよりさらに23世紀遡ると言われている。エトルリア(Etruria)はエトルリア人(etrusco)たちの居住地で、主として現在のトスカーナ(Toscana)地方を中心とした地域である。“Toscana”はこの“etrusco”に由来するらしい。生兵法は大怪我、いや大恥の基ゆえ、塩野七生の『ローマから日本が見える』に拠って「エトルリア人」を紹介しておく。

エトルリア人の起源については、いまだ謎とされているのだが、早くから鉄器の製造法を知っていて、イタリア半島に彼らが定着したのも、半島中部にある鉱山が目当てであったと考えられている。古代エトルリアには十二の都市国家があったが、突出した力を持つ国家はなかったので、エトルリア全体で協調行動を取ることがなかった。このことが、のちにエトルリアが衰亡する致命傷になったのである。

話をオルヴィエートに戻す。この日、アパートで前夜調理して食べ残したイカのリゾットをカップに入れて持参していた。それとゆで卵でランチを済まそうと思っていたので、レストランに入る予定はなかった。初めて訪問するイタリアの街で地元の料理とワインを賞味しないのはあまり賢明ではない。それは重々承知しているのだが、ローマで予約していたホテルを急遽キャンセルしたため想定外の出費があり、財布の紐を締めにかかった矢先だったのだ。

「ここはエトルリア文明の街だ」と自覚するだけで、視線は古びた煉瓦や街路にも延びてくれる。街の中心であるレップブリカ広場では市が立っていた。名物の白ワインを買わない手はない。二本がセットになったご当地の定番を買う。広場から旧市街あたりへ出て、地図に名前も載っていない小道をぶらぶら辿ってみた。

旧市街やドゥオーモへ引き返す別ルートの道すがらにエトルリア時代の遺産はほとんど残っていないのだろう。おそらく現存する面影は中世の佇まいなのだ。にもかかわらず、エトルリアの名残を時空間的に錯視している。そのように感じざるをえない舞台装置がここには巧妙に仕組まれていた。 《オルヴィエート完》

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レップブリカ広場の市場。店の数は多くないが、結構賑わっていた。
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広場に面して建つサンタンドレア教会と市庁舎。
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心惹かれたレストラン。メニューの値段を見て引き返した。
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サングラスを掛けたイノシシの剥製のディスプレイ。
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土産に買った白ワイン。一本400円。賞味した某氏は超高級ワインだと絶賛。
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ドゥオーモに向かう裏通り。エトルリア料理のトラットリア。
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通りから姿を現すドゥオーモ。繊細で眩しい光を放つゴシック建築の華である。
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「バラ窓」と呼ばれる丸いデザイン。まるでレース模様を編み込んだかのよう。

ネガティブマニュアルを解体せよ

今週の月曜日、昼にうどんを食べに行った。午後1時前、すでに賑わいのピークは過ぎているはずなのに、カウンターは満員。「お一人ですか? そちらのテーブルでお相席願えますか?」 示されたテーブルには女性が一人。そこに進みかけた矢先、別のテーブルが空いたのでそちらに座った。「お相席になるかもしれませんが、よろしいですか?」と念押しされてから、注文を聞かれた。

注文してからおよそ5分、うどん定食がきた。ランチタイムは客が引き潮のように消えていく。店に入ってからわずか10分ほどの間に、カウンター席も6つあるテーブル(各4席)も半数は空き、一つのテーブルに一人か二人が座っている状況になっている。誰が見たって、がらんとしている。

にもかかわらず、入店から食事を終えるまでの20分間、ぼくはホールを仕切るオバチャンの「お相席でお願いします」と「こちらのテーブル、お相席お願いするかもしれませんが、よろしいですか?」という声を少なくとも5回耳にした。ピークを過ぎてもお客さんは一人、二人と来る。そのつど、このオバチャンはそう声をかけるのである。他のテーブルが空いているのに、「こちらのテーブルで相席お願いします」と誘導し、知らん顔されて空いているテーブルに座られると「こちらのテーブル、お相席お願いするかもしれませんが、よろしいですか?」

このオバチャン、もはやうどん屋であることを忘れている。ピーク時の満席をどうやりくりして席を割り振るかに必死だ。これは、店長にきつく叱られたトラウマか。おいしいうどんをゆっくり食べてもらうどころではなく、限られた時間に何人捌くかがオバチャンの仕事になっている。未だ来ていない客との相席を当面の客に乞うのはネガティブ接客である。閑散とした時間帯にまでいちいち「相席」云々はないだろう。正直言って、うどんを食べた気はしなかった。落ち着かないこの店には二度と行かない。


「エスプレッソのほう、こちらの小さなカップでごく少量のコーヒーになりますが、よろしいでしょうか?」 エスプレッソを注文すると、5店舗のうち3店舗でこう確認される。飲んだことのないエスプレッソを注文したのはいいが、出てきた小さなカップを見てイチャモンをつける客が月に一回か二回かあるのだろう。そんな客対策としてマニュアルに「エスプレッソ注文時の確認事項」が追加されたのに違いない。

注文カウンターでアイスだのホットだの、レギュラーだのカフェラテだのと書いてあるメニューを見つめること数分、迷いあぐねて「エスプレッソ」と注文する客には、臨機応変を条件にそのように確認してもいいだろう。エスプレッソを知らない可能性があるからだ。だが、小銭をポケットから取り出しながら、メニューも見ず一秒たりとも逡巡せずに「エスプレッソ!」と威勢よく注文する客に断りはいらない。その対応は、喫茶業としては野暮である。

百円硬貨を二枚カウンターに差し出して、「ごく少量の濃いコーヒーの入った小さなカップのエスプレッソをください」と客のほうが先手で攻めたら、カウンターの向こうのアルバイトの女子、どんな反応を見せるのか。「エスプレッソのほう、ダブルにもできますが……」と対応するようマニュアルには書かれているかもしれない。 


リスクを未然に防ぐことは重要である。しかし、必要以上にクレームの影に怯えることはない。怯えて構える「転ばぬ先の杖」が目立ちすぎて逆効果だ。こうして編集されるマニュアルを「ネガティブマニュアル」とぼくは勝手に名付けている。正社員・パート社員は「後で文句を言われないための単純ハウツー」を徹底的に仕込まれ、まるで機械のようにワンパターンで反応する。こんな書き方をすると、人間に失礼? いやいや、センサーで状況判断できる機械に失礼だ。

思い上がるカスタマーや理不尽クレーマーが激増する昨今、ネガティブマニュアルによる自己防衛に走らざるをえない心情も察する。だが、行き過ぎだ。商売の本来あるべき姿から逸脱している。一握りの消費者への過剰対策が多数の良識ある消費者の気分を損ねることだってある。そのことに気づくべきだ。 

字句や文章に線を引く

昨日、何冊かに一冊は流し読みという読書に回帰しようと誓った。しかし、現実的にはそんな悠長な読み方は少なくとも仕事上は許されず、本にどんどん印を入れたり線を引いたり欄外にメモを書いたりする日々だ。

「線を引く」には二つの機能がある。後日の再読用に目立つようにしておく機能と、意識を高め読み取る気合を入れる機能だ。一つ目の機能は付箋紙でも代用がきくが、二つ目の機能はペンによる線引きでなければならない。印や線は内容の理解を促すような気がする。おそらく錯覚なのだろうが、ぼくの知り合いには一冊の本のうち90%の文章を蛍光マーカーで光らせている人がいる。


『広辞苑』で「下線」の項を引いたら、「アンダーラインに同じ」と書いてあった。ページを繰り直してアンダーラインの項へ。そこには「注意をひくため、または備忘のために、横書きの字句の下に引く線」とある。そりゃそうだ。文字の下に引く線だからアンダーライン。横書きの場合はそう。ところが、横書きの本なんて少数派ではないか。実際、手の届く本箱の一番上――読みかけやこれから読もうとセレクトした本を並べている棚――には80冊の本があり、そのうち横書きの本は『中学理科の教科書』と『ラテン語の世界』の二冊だけである。

わが国では圧倒的に多い縦書きの本。強調線を引くのは文字の右側であるから、アンダーラインとは言わない。ほとんどの国ではアンダーラインでいいだろうが、雑誌や一部の書物を除けば日本の出版物では下線の出番は少ない。再び『広辞苑』をめくった。さっき「下線」を調べたら「アンダーラインに同じ」だった。ならば、「横線」の項には「サイドラインに同じ」と出てくるのだろう、と推理した。

JR東海道線の支線「横須賀線」はあったが、「横線」なんていうことばはない。それで「サイドライン」へ飛んでみた。「テニス、バスケット・ボール、バレー・ボールなどで、コート両翼の区画線」が一つ目の意味で、二つ目に「傍線」とあった。

傍線なら知っている。傍点ということばもある。実を言うと、横線を発想する前に「縦書き文には傍線だろう」と見当をつけていた。しかし、ぼくが知るかぎり、傍線は自分のために引くのではなく読者のために引く線である。引用文などで「傍線筆者」と書くのは、読者のために原文にはない傍線を著者がほどこすことだ。


面倒臭くなってきたが、ここでやめたらそれまでの時間がムダになる。そこで念のために傍線を調べてみた。「強調し、または注意を向けさせるために、文字の横にひく線」とある(傍線部分は岡野――こんなふうに使う)。やっぱりそうだ。他人に向けられた線のことなのだ。しかし、ちょっと待てよ。強調するのは自分のためかもしれない。いや、自分が自分に注意を向けさせることだってありうるぞ。

というわけで、別の辞書『新明解国語辞典』にあたった。「縦書きの文章で、注意すべき字句(文)の右側に引く線」と定義されているではないか。さすが「明解(明快)」だ。これなら、注意すべき字句へ喚起させるのは自分でも他人でもいいことになる。しかも、「縦書き」と「右側」とまで厳密に書いてくれている。

縦書きの文章に引く線の名称は「傍線」ということで、一件落着。であるならば、先程の「強調し、または注意を向けさせるために、文字の横にひく線」の引用にあたっては、「下線部分は岡野」としなければならない。このブログ記事は横書きなので、必然下線と呼ぶべきであった。線はややこしい。縦書き・横書きに関係なく、これからは文章を囲もうと思う。

筆記具構えて本を読む

決心したのに守れなかった。それなくして一日を終わらせることはできないのだろうか。職業病なのか、あるいは習性なのか。久々にフルネームで呼んでやるならば、そいつはパーソナルコンピュータというものである。

血行があまりよくない。過度のPC使用が原因だと勝手に決めている。差し迫った仕事がない今日、在宅読書をすることに決めた。自宅なら軽装でデスクに向かえるし、いつでも身体をほぐす体操もできるし、刺激臭の強い湿布を貼っていても気にならない。何よりも、職場にいなければPCを使わずにすむだろうと目論んだ。

本は何冊も拾い読みした。しかし、途中で「はてな癖」が出てきた。読んでいる本のテーマとは無関係のその「はてな」が気になり、PCを取り出してそのことを書こうと思い立った。こうして「今日はPCを使うまい」という決心は数分前に崩れた。

(こんな経緯を前置きにしたために、休ませる予定だった指も手首も余計に使った。いきなり本題に入って、さっさと電源オフしたらいいのに……。おっと、この注釈すら余計。)


やわらかな木洩れ日が射す広い庭に面したテラスでティーカップ片手に読書。映画かドラマで実際に見たか、見たような気がするデジャヴ体験か、こんなシーンがよく浮かぶ。優雅な読書習慣は教養の高さを漂わせる。こんな場面でマヌケ顔の主人公は想像しにくい。記憶に残るそのシーンにズームインしても、筆記具はどこにも見当たらない。その読者はゆったりとページを繰るのみである。

そんな光景がチラチラして、読書に専念できなくなったのだ。その主人公に比べて、タイ製の中性ゲルインク「印のつけられるボールペン」という名称のペンを右手に読書をしているぼくが何だか守銭奴のように思えてきた。そんなに卑下することはない、獲物を追うハンターのごとく一字一句一行たりとも見逃さぬ知的情報行動ではないか!? と叱咤激励してもなんだかむなしい。

なぜ文章に線を引いたり用語を囲んだりするのか。欄外にメモを書き込むのか。好奇心とは一線を画す野心の成せる業か。習慣や仕事柄などいろんな理由があって「読書にペン」という取り合わせになっているに違いない。しかし、いつかどこかで使ってやろうという下心を認めざるをえない。ぼくのペンは一色なので三色ボールペンより下心の度合いはましだろうが、筆記具は読書の一つの特徴である「読み流し」の楽しみを奪っている。

本から何かを学ぶことと本そのものを読み流すことはまったく違う。忘れまいとして読むか楽しもうとして読むかという違いでもある。昨今、前者の読み方ばかりしている。読書や書物を題材にする著者もみんな筆記具片手に読んでいるんだろう。小説を読む時までペンを取り出すようになると、もはや仕事になっている。

調査や資料探しと次元を異にする読書をどこかに置き忘れてきたようだ。せめて数冊に一冊くらい、筆記具の代わりにコーヒーカップを片手に読書をしてみたいものである。  

なかなか整合しない、主題と方法

社会的意義のきわめて小さいニュースをお伝えする。昨日(12日)ぼくが代表を務めるプロコンセプト研究所が創業21周年を迎えた。一日遅れで取り上げることによりタイムリー価値も低減した。だからこそ、「済んだ話」として照れずに書ける。いや、記念日についてあれこれ書いてもしかたがないか。

過去21年間「理念は何ですか?」とよく聞かれた。聞かれるたび「ありません」と答える。まっとうな企業人や経営者が聞いたら呆れ果てるに違いない。おおっぴらに理念を掲げて公言することを躊躇するぼくだが、企業理念らしきものがないわけではない。世間で言う理念に相当するのは「コンセプトとコミュニケーション」なのだが、理念とは呼ばない。それを目的や目標や夢とも呼ばない。「コンセプトとコミュニケーション」は「コンセプトとコミュニケーション」であって、わざわざ理念という冠をつけることはない。

創業以来、ぼくはコンセプトとコミュニケーションを仕事にしてきたし、顧客のコンセプトづくりとコミュニケーション活動のお手伝いをしてきた。だから、理念ではなく、問い(主題)であり現実的な答え(方法)なのである。


先週も少し書いた「問いと答え」。この二つを対比するからこそ答えの有効性を評価できる。「無理なくダイエットして痩せたいですか?」――ある広告の問い(主題)である。しかし、無戦略的に太ってしまった意志薄弱な顧客を前提にしているのだから、「毎日10分のダンスエクササイズ」という答え(方法)は有効ではない。試練を乗り越えねばならないのは、テレビの向こうの杉本彩ではなく、デブっとしたテレビの前の消費者のほうなのだ。

新聞でも紹介されていたので知る人も多いだろう。緑茶とコーヒーが癌のリスクを減らすという話。日頃そこそこ飲んでいるのに、抗癌作用にすぐれていると聞いて回数を増やした人がいる。緑茶とコーヒー合わせて一日十数杯飲み続けた。ちょっと動くたびに腹がチャポンチャポンと音を立て、食事も受けつけないほど胃が満タン状態。主題に対する方法の有効性はいつ証明されるのであろうか?

おなじみのテレビショッピング。マッサージチェアの通販である。これだけ多機能、しかも、お値段はたったの(?)89千円! と例の調子でやっている。「疲れをとりたい、癒されたい」という主題に対して「お手頃価格のマッサージチェア」という方法の提案だ。触手が動きかける消費者の踏ん切りどころは「大きさ」である。そのことを承知している広告は、「半畳サイズに収まるのでかさばらない」かつ「お部屋の雰囲気を壊さない」と映像でアピールする。しかと映像を見るかぎり、確実にかさばっているし、和室もリビングルームも完璧に雰囲気が壊れてしまっている。主題を説くまではいいのだが、方法が弱い、答えが甘い!

☆     ☆     ☆

美しい理念を掲げながらも、現実には理念通りに行動できない企業。看板に偽りありだ。見事なテーマで企画提案書が練られていても、そこに一発解答の提案はない。広告の甘いうたい文句に誘惑されて手に入れた商品は何も解決してくれない。問題提起は威勢がいいが、いざ答えの段になると消費者の着払いというケースがおびただしい。「口先ばっかり」と言われぬように、自分への警鐘としておく。

組み合わせと配置の妙

G・ミケシュが著した『没落のすすめ』に、「虚栄心、好奇心、サディズム、冷静さ――これらを組み合わせれば、立派な外科医が出来上がる」という記述がある。医者に関して下手にコメントすると総理大臣すら批判を浴びるご時世だ。30年前に書かれた英国人の本でなかったら、「サディズム」はちょっとまずいかもしれない。

ところが、話はここで終わらない。著者はこう続ける――「と同時に、同じ組み合わせが性犯罪者をも作り上げる」。著者でないぼくだが、引用するだけでもドキドキしてしまう。外科医と性犯罪者を対比して類似性もしくは共通点を論うのは度胸を要する。しかし、これしきのことで目くじらを立てていてはいけない。例には事欠かないのだ。「無学歴、貧乏、病弱、苦労、一途」が稀に立派な人物の養分になる一方、これまた稀にテロリストをたくましく育て上げてしまうこともある。

驚くに値しない、当たり前のことなのだ。確率論からすれば、この国にあなたと同じ誕生月日の人間は35万人ほどいる。その中には医者も犯罪者も善人も悪人も必ずいる。血液型O型、四緑木星、みずがめ座というぼくと同じ組み合わせにも多種多様な人間が存在しているに違いない。「えっ、こいつと同じ!?」と、不幸な偶然にショックを隠せないかもしれぬ。もちろん、お互いさまだが……。


身長と体重がまったく同じでも、人間にも「鋳型」というものがあるから、見た目のスタイルはまったく違って見える。同じ顔のパーツを使うのだが、出来上がりの配置のおかしさに笑い転げるのが福笑い。部品の良し悪しが重要なのは十分承知しているが、実のところは組み合わせや配置の妙のほうが決定的なのである。綺麗な瞳、筋の通った鼻、魅力的な唇、すっきりした小顔に恵まれてもレイアウトがまずいと台無しだ。

「人が事実を用いて科学をつくるのは、石を用いて家をつくるようなものである。事実の集積が科学でないことは、石の集積が家でないのと同様である」(ポアンカレ)

多くを示唆する名言である。情報の集積は知恵ではない、読書の集積は創造ではない、計画の集積は行動ではない……。学問の集積は必ずしも偉人をつくらなかったし、生真面目の集積も成功と程遠い結果をもたらすことが多かった。組み合わせと配置の妙――これこそがバランスなのだろう。

今年わが国が輩出したノーベル賞受賞者。お茶目な人あり、ワイン好きあり、シャイな人あり、テレビゲームに興じる人あり、風呂好きあり、とてつもないことを考える人あり……。自己評価すると、ぼくはほとんどこれらすべてに該当する。おそらくバランスが悪いに違いない。

なお、この組み合わせと配置にさまざまな問題の原因を求めていくと、けっこうすっきりすることが多い。たとえば、企画がなかなか通らないのは、内容の問題ではない。企画書のパーツはいいのだが、目次の構成と章立ての比重が悪いだけなのだ、など。但し、「個々の才能やスキルには問題がないのだが、組み合わせと配置がまずい」――これは言い訳にはならない。なぜなら、そのことを別名「バカ」と呼ぶからだ。 

イタリア紀行20 「ゴシック建築と白ワイン 」

オルヴィエートⅠ

20083月のとある日、ローマのヴァチカン近くのアパートを午前8時に出発。地下鉄レパント駅まで10分ほど歩き、ローマの終着駅テルミニへ。鉄道に乗り換えて普通列車で1時間20分のオルヴィエート (Orvieto)を目指した。

オルヴィエート。ワイン好きなら知っているか聞いたことがあるに違いない。ローマから近いにもかかわらず、たとえば『地球の歩き方 ローマ版』にこの街の情報はない。掲載されているのは『フィレンツェとトスカーナ版』のほうだ(フィレンツェからオルヴィエートは倍以上時間がかかる)。ローマ版ではティヴォリやヴィテルボ、フラスカーティは紹介されているいる。オルヴィエートをわざわざフィレンツェ版のほうに編集した理由がわからない。

イタリアを代表するゴシック建築のドゥオーモと安価で上質の白ワイン。オルヴィエートが自慢できる目ぼしいものはこの二つだけ。しかし、この二つ以外に何も望まなくてもいい。下手に何でもかんでも揃っていたり中途半端な特徴を備えているよりは、「これしかない」と言い切れるほうが「地ブランド」に秀でることができる。欧米人観光客は美しいファサードのドゥオーモ前広場にたむろしワインショップを訪れる。やはりその二つがお目当てなのだ。

当初からローマ滞在中にオルヴィエートに出掛けるつもりではあった。しかし、ぼくの動機は大それたものではなく、白ワインの里を見てみようという程度だった。オルヴィエートの駅からケーブルカーを乗り継いで到着したのはカーエン広場。先を急ぐならバスか徒歩でドゥオーモへ行く。しかし、広場の少し先の展望スポットに寄って眼下に広がる景色を楽しんだ。崖っぷち状の丘陵地の街なので眺望がとてもいい。

ドゥオーモに着いた。キリスト教にも教会の建築様式にも知識や教養を持ち合わせていないが、あちこちの街で見てきたデザインとの違いは一目でわかる。金色とピンク色を織り束ねたような模様と繊細かつおごそかなファサードのデザインに目を奪われる。座り込んでうっとりと眺めている人たちもいる。ぼくもしばし足をとどめた。ゆっくり歩きながらメインのカヴール通りに入り市庁舎のあるレプッブリカ広場へ。道すがら、あるわあるわ、名産の白ワインを所狭しと展示しているエノテカ (enoteca)。イタリア語でワインショップやワイン庫を意味する。ワインが23本単位で箱にセットされているのも珍しいが、もっと驚いたのは値札の数字であった。

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ケーブルカーのターミナル駅。
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はるか遠方まで見渡せるパノラマの図。
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着工1290年。300年以上の歳月を経て完成したドゥオーモ。
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ディテールを見事に描き出す浮き彫り。
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定番ワインは1300~500円。驚嘆に値する価格で、うまさも申し分なし。
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              落ち着きのあるドゥオーモ広場ではしばし佇んでみたくなる。