毎日新聞の朝刊に週一回の書評欄があり、『好きなもの』というコラムで著名人が好きなものを三つ紹介する。「何、これ?」というのもあるが、意表をつくのもあって感心する。
食べ物にかぎった好物ならいざ知らず、生活・人生全般における「好きなもの上位三つ」を選ぶのは至難の業だ。いつぞやどなたかが挙げていた「パリのカフェのテラスに座って、行きかうパリジェンヌを眺めること」なんて書けるのはうらやましい。好きなものが「にもかかわらずという言葉」という発想もおもしろかった。ぼくには書けない。と言うか、三つに絞ろうとすれば相当に人目を気にしなければならないだろう。
しばらくぶりに京都に行ってきた。何かをしようと思ったのではなく、京都に行こうと思った。行こうと決めた直後に京都市立美術館で『芸術都市パリの100年展』が開かれているのを知る。本ブログで7月末に紹介したが、ぼくはこの美術展をすでに広島で鑑賞している。二ヵ月も経たないうちにもう一度見る? まあ、ふつうは見ない。ぼくはふつうではないので、もう一度見ることにした。
おもしろいものである。前回印象に残っていない作品が今回は目につき、前回ちょっぴり感傷的になった作品にもはや未練がない。未練どころか、記憶にすらない。場所、状況、季節、気分、体調、時間帯などによって人は凝視したり軽視したりする対象を変える。生で見るのはとても意味深いことだが、図録を買っておくのもまんざら悪くないと思い直した。臨場感に溺れずに、平常心でクールに鑑賞するには図録という手段も有効かもしれない。
広島で適当にしか見なかったオノレ・ドーミエの社会諷刺的版画。京都では実物展示がなく、ビデオ展示になっていた。ある作品に目が止まり、帰宅して広島で買った図録を読み返してみた。作品は石版画で「陶磁器マニア」というシリーズの一つ。犬が猫を追い、喧騒の中で「壷危うし」に慌てふためいている飼い主という図。一コマ漫画みたいなもので、「同時に犬と猫と壷を愛好するのは差しさわりがある」という一行説明がついている。
なんと教訓的な!! 犬と猫の不仲に由来する英語の俗語“cat and dog”は「ケンカ」や「いがみ合い」のこと。また、“cats and dogs”と複数にすると「くだらない組み合わせ」や「ガラクタ」を意味するように、犬も好き、猫も好きというのは具合が悪い。“It rains cats and dogs.“という口語の慣用句は「どしゃ降り」のことだ。そんな緊張関係の中に、もう一つ好きな壷を置いてみたら、結末は想像に難くない。犬と猫にとって、壷はご主人さまほど値打ちのあるものではないのだ。
好きなもの、たとえば好物三種類が身体の中に入って、平穏無事に差しさわりなくそのままケンカもなく棲み分けてくれたらいいが、そんな保障はない。口に入るまでは三つの好きなものが仲良さそうに見えていても、喉元を過ぎてからはどんな関係になってしまうかは知るすべもない。
お気に入りの強打者が三人いたって、一人しか四番を打てない。三番、四番、五番と棲み分けたつもりでも、見えないところで関係のバランスは崩れているかもしれない。
絵画が好きで読書が好きで語学が好きなぼくが、これら三つの趣味を同時にたしなんでいることなどめったにない。三つとも同時に打ち込んだら、たぶん犬と猫と壷の状況になってしまう。複数の好きなことの棲み分けというのはかなり難しいテーマのように思える。強引に好きなものを同時に共生させて、目玉が飛び出るほど高価な壷を犠牲にできるほどの勇気も甲斐性もぼくにはない。
ならば、いさぎよく「壷は大好きですが、犬と猫は大嫌いです」と言い切れるまで一番好きなものだけを追求できるか? これも無理。一兎をも得られないのを承知で二兎ならぬ三兎を追ってしまうのが器用貧乏の常だから。