旬の野菜や果物は格別である。舌鼓を打つのは言うまでもなく、「今しかない」あるいは「今が一番」というタイムリーな価値にわくわくする。
毎年6月下旬になると、山形のMKさんがサクランボを送ってくださる。十年程前まではめったに口に入らなかった代物だが、今ではちょっと贅沢に頬張らせてもらっている。佐藤錦や紅秀峰という品種の名前も覚えた。少し多めに食べるときには、腹を下さないために塩をつまんで舐めるという地元の習慣も知った。
今年は縁あって、二種類の旬の野菜に恵まれた。金沢で開催している私塾の塾生のお一人からの「産地直送」だ。偶然だが、この方もMKというイニシャルである。何となくぼくの「また(M)ください(K)」という下心(?)に呼応しているみたいだ。
春は筍だった。宅急便で届いたが、キッチンに運ぶのに腰が抜けそうになった。開けてみれば、前日に朝掘りした、とてつもなく大ぶりな筍が約20本! いやはや、MKさん、ありがとうございますと感謝。とりあえず土がついたまま数本を知り合いにお裾分けした。
さて、残る十数本。持ち合わせの知識にウェブの情報を補足したうえで、包丁でさばきアク抜き。大鍋、パスタ用の深い鍋、中華鍋などを総動員した。湯気と筍特有の匂いが家じゅうに広がった。調理というよりも、専門店の厨房における仕事のように思えてきた。
しかし、その仕事はほんの序章にすぎなかった。その日からの約10日間、仕事は格闘と化した。筍づくしの日々を闘い抜くことになったのである。やわらかいところを刺身にしたのを皮切りに、土佐煮、筑前煮、天ぷら、若竹煮、きんぴら、ちらし寿司、筍ごはん、中華風炒め物……とありとあらゆるレシピを試み、来る日も来る日も筍を食べ続けた。
筍は傷むのが早いだろうという見込みとは裏腹に、新鮮な水に浸して冷蔵庫で保存すれば日持ちするものだ。その一部をさらにお裾分けしたり、料理にして親類にも持って帰らせた。しかし、もしかして冷蔵庫の中で増殖しているのではないかと疑うくらい、いっこうに減ってはくれない。MKさんへの当初の感謝の気持が薄れ、イジメにも似た心理に苛まれていく。そういう趣旨のメールをギャグっぽく伝えたら、「連絡いただき次第、第二弾がスタンバイしています」との返信。やっぱりイジメだ。
とはいえ、やっぱりぼくは筍が好きなのだ。最近食べていないので、懐かしささえ感じてしまう。そんな折り、三日前にMKさんから蓮根が届いた。加賀野菜に認定されている小坂蓮根という種類だそうだ。一本が丸々三連のまま採れたての状態で数本。見るからに新鮮で、レシピを頭に浮かべればすでに垂涎状態である。
筍の教訓を生かそうと思い、半分の量を知り合いにお裾分けにすることにした。これで、日々蓮根漬けにならなくてすむだろう。いただいた初日は天ぷらに。翌日は野菜炒めに。そしてきんぴらをすればいい。筍のときは、「筍のち筍、筍時々筍」だったが、今回は「雨のち蓮根、晴時々蓮根」というローテーションでいけそうだ。
ところが、さっき台所をのぞいてみたら、今夜で終わってしまうほどの数量しか残っていないではないか。新蓮根の旬は9月初旬。もう少し残しておくべきだった、ちょっと気前よく振る舞いすぎたかと複雑な心境だ。おっと、これは「MK」というサインではない。何事も度を越えてはいけないことくらい承知している。年末の蓮根も美味らしい。それに期待することとしよう。