最初に訪れたイタリアの都市はミラノだった。ミラノのドゥオーモはその規模において世界最大級である。恥ずかしいことに、あのミラノ大聖堂のことをドゥオーモと呼ぶのだと思っていた。しかし、それも束の間、続いてヴェネツィアを、フィレンツェを訪れるうちに、どこの街にもドゥオーモがあることに気づかされた。
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カフェの話(3) 苦味の魅力
その名も”Espresso”という題名の本がある。香りの小史やカップ一杯の朝という項目が目次に並ぶ。コーヒー文化とエスプレッソのバリエーションに関する薀蓄が散りばめられており、高品質の写真もふんだんに使われている。
この中に、詩人でノンフィクションライターのダイアン・アッカーマンの『感覚の自然史』から引用された一文が紹介されている。
「つまるところ、コーヒーは苦く、禁じられた危険な王国の味がする」。
う~ん、どんな味なんだろう。何となくわかるような気がして、喉元までそれらしい表現が出てきそうで出てこない。ことばでは描き切れない味だ。
紀元前から醸造されてきた長い歴史を誇るワインに比べれば、コーヒー栽培の起源はかなり新しい。自生種を栽培種として育て始めたのが13世紀頃だし、ヨーロッパの一部で流行の兆しを見せたのが17世紀だ。アッカーマンが比喩している「危険な王国」とはどこの国なのだろうか。エチオピア? それともアラビア半島のどこか? 野暮な類推だ。仮想の国に決まっている。
いずれにせよ、ぼくたちは「禁じられた味」をすでに知ってしまった。だから、大っぴらに飲んではいけないと言い伝えられたかもしれない頃の禁断のイメージを、今さら浮かべることは容易ではない。ただ、高校を卒業した頃に喫茶店で飲んだ最初の一杯からは、たしかにレッドゾーンに属する飲料のような印象を受けた。コーヒーの味は誰にとっても苦い。子どもだから苦くて、大人だから苦くないわけではない。「おいしい? おいしくない?」と子どもに聞けば、おいしいと言うはずがない。子どもに気に入ってもらうためには、コーヒーの量をうんと減らしミルクと砂糖をたっぷり加えてコーヒー牛乳に仕立てなければならない。
苦味が格別強いエスプレッソには、ブラック党でもふつうは砂糖を入れる。イタリアのバールでは、小さなカップにスプーン一杯の砂糖を入れて掻き混ぜ立ち飲みしている。話しこまないかぎり、さっと注文してさっと飲んで出て行く。なにしろ立ち飲みなら一杯100円からせいぜい150円の料金だ。
ところで、砂糖を入れるのは苦味を抑えるためなのか。苦味を少々抑えたければミルクの泡たっぷりのカプチーノのほうが効果がある。カプチーノを頼んでも30円ほどアップするだけだ。実は、砂糖を入れても苦味はさほど緩和しない。むしろ砂糖の甘みが、ストレートの苦味とは異なる別の苦味を引き出すような気がする。説明しがたいが、何となくそんな気がする。
イタリア紀行51 「古代ローマの時空間」
ローマⅨ
コロッセオから見ると、東にドムス・アウレア(皇帝ネロの地下黄金宮殿)、西にパラティーノの丘とフォロ・ロマーノ、北西に公共広場群のフォーリ・インペリアーリ、そして南西にはローマ時代の円形競技場チルコ・マッシモが広がる。チルコ・マッシモは映画『ベン・ハー』で知られた舞台。観客30万人を集めて馬車競走が繰り広げられた。ここから北西にすぐのところに有名な「真実の口」がある。
ローマにはそこかしこに古代遺跡が存在する。だが、極めつけはこの地域だろう。大半の建造物は半壊し劣化しているものの、どこかの国がロープを張って立入禁止にするのとは違って、この遺跡に足を踏み入れることができるのだ。周辺は交通量の多い喧騒の通りだが、いったんこのエリアに入ってしまうと、静寂空間の中で古代ローマの息遣いが聞こえてくる。
コロッセオの入場券と共通になっているパラティーノの丘に入る。雨に濡れた遺跡が点在し、高台が何か所かあり庭園もある。今では見る影もないが、古代ローマ時代には政治経済の力を握っていた貴族たちが居を構える高級邸宅地だった。遺跡になる前のフォロ・ロマーノやコロッセオやローマの街全体をこの場所から見渡せば、さぞかし壮観だったに違いない。いや、毎日眺めていたから珍しくもなかったか。
フォロ・ロマーノは古代ローマの中心地であった。「フォロ(Foro)」は英語の“forum”と同じで「広場」を意味する。だから、フォロ・ロマーノは「ローマの広場」である。ただ、そこらにある広場とは違い、祭事・政治・行政・司法・商業機能を一極集中させた公共空間だった。商取引市場あり、神殿あり、議会や裁判所あり、記念碑あり。しかも、一般民衆と無縁の存在だったのではなく、市民広場としても活気を帯びていた。
カエサルが議員たちに語りかけた元老院議会場「クリア」は何度か建立され直したが、現在は復元されフォロ・ロマーノの一画にあって当時の政治熱をうかがわせる。共和政の特徴として、このクリア、市民広場、演説のための演壇場が三点セットになっていた。ちなみにクリア(Curia)はラテン語に由来し、「人民とともに」という意味である。これこそ共和政の精神。その名残りは、今もローマ市内で見かける“SPQR”の四文字に示されている。これもラテン語で“Senatus Populusque Romanus”を略したもので、「元老院とローマ市民」という意味である。