足し算のようで実は引き算

取り込んだり蓄えたりした情報がそっくりそのまま活用できたら言うことはない。そんな奇跡的なことができたら、誰も知的活動に苦労などしない。いや、情報を10アイテム仕入れてでも使えれば御の字だろう。だが、現実的には活用確率はもっと低い。バランスシート的に言えば、仕入れ過剰で売上お粗末。ぼくたち個人の「情報ビジネス」は間違いなく赤字である。情けないほどの累積赤字で、企業ならば倒産しているはず。

講座で使ったパワーポイントのスライドの何枚かを三ヵ月後の関連講座に流用する。一度見てもらっているので、「記憶にあるでしょうが、確認のために……」と切り出して解説するのだが、塾生はポカンとしている。記憶にないのだ。覚えているのは塾長をさせてもらっているぼく一人。三ヵ月前の内容でこうだから、「昨年取り上げたけれど……」なんて断らなくても、まず覚えていない。

教育業においてはもっともすぐれた学び手は「記憶力の悪いお客さん」である。毎回毎回新しいネタを駆使して講座を工夫する必要などないのだ。極端なことを言えば、毎年同じ内容の話をしても通用する場合が多い。商売として考えればいいのだろうが、そうはいかない。学習効果のない講座は塾長として敗北感が強い。何とかならないものか。


記憶力の良し悪しは人それぞれである。熱意や集中力や好奇心の度合も影響するだろうし、個々人の当面の課題範囲に話が絡んでくれば情報もよく定着するだろう。記憶した事柄を再生し、あわよくば別の情報と組み合わせて生産的に活用したい―そのヒントを記憶の検索トレーニングに見い出すことができる。

たとえば「りんご」ということばから思いつくかぎりの連想をしてみる。

リンゴ、林檎、アップル、apple、ふじ、ゴールデンデリシャス、青りんご、アップルパイ、津軽、青森、長野、小岩井、apple polish(ゴマすり)、医者いらず、白雪姫、ウィリアム・テル、ミックスジュース、皮むき、すりおろし、歯茎から血、……

これはシナプス回路を使って記憶情報を探った結果である。関連するアイテムを「記憶の大海」に潜って拾ってくる所作だ。つながっているものを拾ってどんどん増やしていくので足し算のように思えるが、実は、つながっていないものを引き算しているという見方もできる。

こんな演習もすることがある。キーワードを伏せておいて、ヒントを一つずつ与える。いくつかのヒントを組み合わせて、キーワードを発見するのである。

たとえば、最初のヒントが「洋服」。当然絞りきれず、大海での検索が始まる。しばらくして二つ目のヒント、「リサイクル」を与える。この時点で、何人かは「フリーマーケット」や「寸法直し」などを見立てる。当たっているかどうかはわからないが、大海が閉じられた湖くらいにはなってくれる。次いで「兄弟」というヒント。すでに見当をつけていた人は軌道修正をし、まだ何にも浮かんでいない人はさらに狙いを絞る。湖が小さな池くらいになる。さらに「節約」というヒントを出し、勘のいい人、つまり検索によって情報をうまく組み合わせることができた人はここでキーワードを発見したりする。池は岸辺の水たまりくらいになっている。最後のヒントは「順繰り」。これで、ほぼ半数以上の人が「おさがり」という、伏せられていたキーワードにたどり着く。茫洋としていた大海が一滴にまで凝縮したわけである。

ヒント、つまり情報が増えるにしたがって検索領域が狭まっていく。情報どうしのあの手この手の組み合わせは、実は創造的な一つの事柄をピンポイントで発見することにつながるのである。上記の「おさがり」の例は事前に取り決めた一つの正解探しだが、未知なる何かを求めるときも検索と組み合わせのプロセスは同じである。情報の足し算は記憶の引き算なのだ。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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