ことばとモノの光景

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行きつけの店の担々麺には半端ない量の肉味噌が入っている。麵を食べた後に、肉味噌の肉と鷹の爪とスープが鉢の底に残る。ミンチ肉を残すのはもったいない。だが、食べ切ろうとしてレンゲを使えばスープも鷹の爪も一緒にすくってしまう。
ある日、穴あきレンゲがテーブルに備えられていた。そうそう、これがいい……と思ったが、穴あきレンゲでもミンチ肉と鷹の爪は同居する。結局、レンゲに残った肉を口に運ぶには
箸で鷹の爪を取り除くことになる。スープがない分、穴なしレンゲよりも多少は食べやすいが、肉と鷹の爪を分別できるレンゲは開発されるだろうか。

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「安っ!」と言うと、料理の値打ちが下がるので、「真心のこもりし御膳春盛り」などと五七五でつぶやくようにしている。
「夢を信じた若き頃 今を信じて生きる日々」などと
七五調でつぶやくと、深刻な話もリズムを得て軽やかになる。

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「雲と空」と「空と雲」。どっちでも同じだろうと思ったが、書いてみたら違って見える。
雲と言うと、言外に空を感じる。だから「雲と空」と言わなくても「雲」とだけ言えばいい時がある。
他方、空と言うだけでは、雲のことは思い浮かばない。だから雲のことも言いたいのなら「空と雲」と言わねばならない。

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大きな虹が出た。みんなが見上げた。鈍感な人も視野の狭い人もみんな見上げたはず。大きな虹は人々を分け隔てなく包容する。
虹が出ていなくても、時々空を見上げてみるものだ。空を見上げるのを忘れたら、目を閉じて空を想う。それを「空想」と言う。

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風景や花を見る。見て何かを語る。対象と距離をおいて感じようとするから語れるのか、それとも、対象に分け入って交わろうとするから語れるのか。
ものの見方や語りは、やれ前者だ、いや後者だと、主張は二分されるが、白黒がつく話ではない。どちらもあるかもしれないし、どちらでもないかもしれない。

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proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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